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シミュレーテッドリアリティ - Wikipedia

シミュレーテッドリアリティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

シミュレーテッドリアリティ: Simulated reality)とは、現実性(reality)をシミュレートできるとする考え方であり、一般にコンピュータを使ったシミュレーションによって真の現実と区別がつかないレベルでシミュレートすることを指す。シミュレーション内部で生活する意識は、それがシミュレーションであることを知っている場合もあるし、知らない場合もある。最も過激な考え方では、我々自身も実際にシミュレーションの中で生きていると主張する(シミュレーション仮説)。

これは、現在の技術で実現可能なバーチャルリアリティとは異なる概念である。バーチャルリアリティは容易に真の現実と区別でき、参加者はそれを現実と混同することはない。シミュレーテッドリアリティは、それを実現する方式はどうであれ、真の現実と区別できないという点が重要である。

シミュレーテッドリアリティの考え方から、次のような疑問が生じる。

  • 原理的に、我々がシミュレーテッドリアリティの中にいるかどうかを知ることは可能か?
  • シミュレーテッドリアリティと真の現実に何か違いはあるか?
  • 我々がシミュレーテッドリアリティの中に生きていると知った場合、どうすべきか?

目次

[編集] シミュレーションの種類

[編集] ブレイン・マシン・インタフェース

ブレイン・マシン・インタフェースによるシミュレーションでは、参加者は外部から入ってきて、脳をシミュレーション用コンピュータに直接接続する。コンピュータは感覚データを彼らに転送し、彼らの欲求を読み取り、それに対する反応を返す。このようにして参加者はシミュレートされた世界と相互作用し、そこからフィードバックを得る。参加者は、仮想の領域の中にあることを忘れるために一時的な調整を受けるかもしれない。シミュレーションの中では、参加者の意識アバターによって表現される。アバターの見た目は参加者の実際の見た目とは全く違う場合もある。

サイバーパンクと呼ばれるジャンルのフィクションには、ブレイン・マシン・インタフェースによるシミュレーテッドリアリティが数多く描かれてきた。

[編集] 仮想市民型

仮想市民型シミュレーションでは、その世界の住民は全てそのシミュレーション世界で生まれた者である。彼らは現実世界に真の身体を持っていない。つまり、それぞれが完全にシミュレートされた実体であり、そのシミュレーションの論理に基づいて適当なレベルの意識が実装されている。そのような人工意識は1つのシミュレーションから別のシミュレーションへと転送することもでき、一時的に保存しておいて、後で再起動することもできる。シミュレートされた実体がシミュレーション世界から精神転送技術を使って現実世界の合成された身体に写されることも考えられる(例えば、映画『バーチュオシティ』など)。

このカテゴリはさらに次の2種類に分類される。

  • 仮想市民-仮想世界: 外界の現実性は人工意識とは別にシミュレートされる。すなわち、人工意識は周囲の世界に対して特別な力を発揮できない。
  • 唯我論的シミュレーション: 参加者の周囲の世界は彼らの精神の中にだけ存在している。すなわち、思い通りの影響を周囲に及ぼすことができる。

[編集] 移民型

移民型のシミュレーションでは、ブレイン・マシン・インタフェースの場合のように参加者は外部の現実世界からシミュレーションに入ってくるが、その形態は異なる。入る際に参加者は精神転送技術を使って精神を仮想の人体に置く。シミュレーションが完了したとき、参加者の精神は外界の実際の身体に戻され、その際にシミュレーション内での記憶と経験を得ている。

[編集] 混合型

混合型シミュレーションは様々な意識形態をサポートする。外界からのブレイン・マシン・インタフェースによる参加者や移民やシミュレーションされた仮想市民などである。映画『マトリックス』はこの混合型シミュレーションを扱っている。外界に実際の身体を持つ人間の精神だけでなく、エージェントのようにコンピュータ世界固有の独立したソフトウェアプログラムもある。

[編集] 議論

[編集] 我々はシミュレーションの中で生きている

[編集] ニック・ボストロムの主張

哲学者ニック・ボストロムは、我々がシミュレーションの中に生きているという可能性を追求した[1]。彼の主張を簡単にまとめると次のようになる。

  1. 何らかの文明により、人工意識を備えた個体群を含むコンピュータシミュレーションが構築される可能性がある。
  2. そのような文明は、そのようなシミュレーションを(娯楽、研究、その他の目的で)多数、例えば数十億個実行することもあるだろう。
  3. シミュレーション内のシミュレートされた個体は、彼らがシミュレーションの中にいると気づかないだろう。彼らは単に彼らが「実世界」であると思っている世界で日常生活を送っている。

そこで、以上の3点に「可能性」があるとしたとき、次の二つのうちどちらの可能性が高いかという疑問が生じる。

  1. 我々は、そのようなAIシミュレーションを開発する能力を手に入れる実際の宇宙の住人である。
  2. 我々は、そのような数十億のシミュレーションの中の1つの住人である(iii にあるようにシミュレーション内の住人はシミュレーションであることに気づかない)。

より詳細に言えば、彼は次のような3つの選択肢を想定した。

  1. 知的種族は、現実と区別がつかないほど現実性のあるシミュレーションを開発できるほどの技術レベルには到達できない。
  2. そのようなレベルに達した種族は、そのようなシミュレーションを実行しようとしない。
  3. 我々は、ほぼ確実にそのようなシミュレーションの中で生きている。

ボストロムの主張の前提として、十分に進んだ技術があれば生命にあふれた惑星全体をシミュレートしたり、さらには宇宙全体をその全住民と共にシミュレートできるという考え方がある。そして、シミュレートされている人々はそれぞれに意識があり、その中にシミュレーション外部からの参加者が混じっている。

人類が第一の仮説に反してそのような技術レベルに到達したとしたら、そしてその時点でも人類が過去や歴史に興味を持っていて、シミュレーションを実行するのに何の障害(法律や道徳)もない場合(第二の仮説の否定)、

  • 過去に関するシミュレーションが多数実行されると想定することは妥当である。
  • そうであれば、そのようなシミュレーションの中でさらにシミュレーションが行われ、再帰的に派生していくだろう。
  • 従って、我々が多数のシミュレーションのいずれかに存在しているか、実際の宇宙に存在しているかは不明であり、可能性としてはシミュレーション内の方が高い。

人類(あるいは他の知的生命体)が滅亡する前にそのような技術レベルに到達する可能性は、ドレイクの方程式の値に大きく依存している。ドレイクの方程式は、ある時点で星間通信可能な技術レベルに達している宇宙における知的種族の数を与えるものである。この方程式を解くと、人類以上に進んだ文明が存在するという結果が得られる。実際の宇宙とシミュレートされた宇宙の全ての平均値が 1 以上であれば、そのような文明が歴史上必ず存在するということになり、そのような文明がシミュレーションを行う意志を持っていれば、平均的な文明がシミュレーション内にある可能性は非常に高くなる。

[編集] フランク・ティプラーのオメガポイント

物理学者フランク・ティプラーは、ニック・ボストロムの主張と類似したシナリオを考察した。宇宙がビッグクランチで終焉を迎えるという仮説を採用し、その宇宙全体の計算能力は時間と共に増大していき、ある時点で終焉までの残り時間が無くなっていく速度よりも計算能力の増大が大きくなるとする。すると、実際の宇宙には有限の時間しか残されていないにも関わらず、シミュレーション内の時間は主観的には永遠に続くことになる。

この仮説が現代の人類に暗示しているのは、強大なコンピュータがあれば、各個人の脳の量子状態をシミュレーション内で再創造することで、かつて生きていた人々全員を復活させることも基本的には可能だということである。これにより、移民型と仮想市民型のシミュレーテッドリアリティが可能となる。その中の住民から見れば、オメガポイントは永遠に続く来世であり、本質的に仮想的であることから、任意の空想的な形態をとりうる。ティプラーの仮説では、遠未来の人々が歴史的情報を再生する手段が必要であり、それによって彼らの先祖をシミュレートされた来世に復活させる。しかし、コンピュータの能力が無限であれば、単にあらゆる可能世界を同時並行的にシミュレートすればよい。

しかし、ビッグクランチが起きるかどうかについて、最近では懐疑的な観測結果が多く示されている。

[編集] 計算主義と観念的シミュレーション理論

計算主義とは、心身問題の哲学の理論であり、認識計算の形態の一種であるとするものである。これはシミュレーション仮説にとって、意識のあるものをシミュレーションする可能性を裏付ける考え方であり、特に仮想市民型シミュレーションで必要とされる。例えば、物理的な系がある程度の精度でシミュレート可能であることはよく知られている。計算主義が正しく、人工意識を生成するのに問題が無ければ、シミュレーテッドリアリティの理論上の可能性は確かなものとなる。しかし、認識と現象的意識の関係には異論がある。もし意識に何らかの物理的実体が必須であるなら、シミュレートされた人々は適切に行動できているとしても哲学的ゾンビでしかない。これはニック・ボストロムの主張も否定することになり、意識をシミュレートできないとしたら、我々はシミュレーションの中に意識のある存在としてあるはずがないということになる。

一部の理論家[2][3]は、「意識は計算である」とする派生的な計算主義と数学的現実主義(数学的プラトン主義とも)が真であるとし、我々の意識はシミュレーションの中にあるに違いないと主張している。それらの主張には、"Plato's heaven" あるいは究極の総体(ultimate ensemble)にはあらゆるアルゴリズムが含まれ、その中に意識を実装するアルゴリズムも含まれているという考え方が含まれている。観念的シミュレーション理論は、多元宇宙論万物の理論のサブセットでもある。

[編集]

我々が現実として受け止めているものがシミュレーションであるという可能性を示すには、それが錯覚であるということの何らかの証拠が必要である。例えばは、それを見ている人にとっては(その時点では)真に迫った現実性を持っている。しかし、夢を見ているのだと気づくことはそう珍しいことではなく、それによって明晰夢を見ることになる。

夢の存在によって、真の現実と見分けがつかないシミュレーションが可能かどうか、そして人がそれに騙されるかどうかという問題を解決する。結果として「夢仮説」は除外できないが、常識単純さの考慮が必要であることが議論されてきた。[4]

この主張の哲学的土台となっているのは、ルネ・デカルトの主張である。彼は実在の区別を考えた最初の哲学者の1人である。Meditations on First Philosophy の中でデカルトは「…我々は睡眠と覚醒を明確に区別できる確かなしるしを持たない」[5]とし、結論として「今現在、私が夢を見ていて、私の知覚の全てが偽である可能性もある」[5]とした。これは荘子の胡蝶の夢と同様の主張である。

Chalmers (2003) でも夢仮説が論じられ、それが2つの形態に分類されるとしている。

  • ある人物がある時点で現に夢を見ていて、彼の世界に関する信念が多くの点で間違っている場合(つまり、夢は早晩崩壊する)。
  • ある人物が常に夢を見ていて、彼の想像力にもよるが、実在するかのように物体を知覚する場合。[6]

夢仮説とシミュレーション仮説は共に懐疑論的仮説の一種とされる。しかし、ちょうどデカルトが自身の思考によって自身の存在を確信したように、このような疑問を呈することは、それ自身の真実の可能性の証拠でもある。

個人の知覚が現実世界に物理的基礎を全く持たないような精神状態は精神病と呼ばれる。

[編集] 擬似宗教的主張

シミュレーションがその中で生活する人々のために作られたとするなら、彼らが望みを適切な方法で表現すれば、それに答えてくれるはずだという考え方がある。これは、祈祷に正しい形式があるという考え方を現代的にしたものと言える。科学的に説明のつかない方法で祈祷による願いが聞き届けられたなら、シミュレーテッドリアリティの中に生きていることの証拠であると主張する者もいる。

シミュレーションを実施している者は、シミュレーションの通常の規則に反する形でシミュレーション内容に干渉しているはずだという考え方もある。シミュレーション内に何らかの形で姿を現している可能性もある。これも宗教的ミームの現代版と言える。

シミュレーション参加者はシミュレーションで生涯を過ごした後、外界で一定期間を過ごしたり、再度シミュレーションに入ったりするという考え方もある。すなわち、彼らは前世の記憶を持っている。そのような記憶が正確で、科学的に否定できないなら、我々がシミュレーテッドリアリティの中で生きている証拠となると主張する者もいる。既視感も同じ論法で説明できるとされる。

これらの主張には次の2つの問題がある。

  • これらの宗教的現象の証拠とされる事柄は、必ずしも真実であると確定できない。
  • 真実であったとしても、神学的にも説明できる。すなわち、シミュレーテッドリアリティの証拠とする説は多数の仮説の1つにすぎない。ただし、他の仮説とシミュレーテッドリアリティは必ずしも相反するわけではない(シミュレーションを行っている者が「神」であるという考え方など)。

[編集] 我々はシミュレーションの中に生きているのではない

[編集] 物理学の計算可能性

我々がシミュレーテッドリアリティの中にいるという主張への決定的な反論は、計算不能な物理学現象の発見であろう。なぜならそのような現象が発見されれば、コンピュータができないことが現実に起きていて、コンピュータシミュレーションではそれを再現できないことになるからである。今のところ、既知の物理学は計算可能であると考えられている[7]

シミュレーションはリアルタイムで実行できないという反論もある。しかし、そこには重要な点が見逃されている。問題は線型性ではなく、むしろ無限の計算ステップを有限時間内に実行可能かという点である[8]。これらの主張は、チューリングマシンよりも強力とされる仮説的なハイパーコンピュータ上でのシミュレーションには当てはまらない[9]。残念なことに、シミュレーションを行っているコンピュータが、シミュレートされている世界にあるコンピュータ以上の能力を持っているかどうかを知る方法が全く存在しない。シミュレーションの中と外で同じ物理学的法則が成り立つ必要はないので、シミュレーションの外部では違う物理法則にしたがってコンピュータがより強力であるかもしれない[10]。問題は、宇宙がコンピュータによるシミュレーションでないことを示す証拠が存在しない点であり、そのためカール・ポパーのような見方で言えば、シミュレーション仮説は反証可能性がないため、科学的には受け入れられないということになる[11]

[編集] CantGoTu(カントール-ゲーデル-チューリング)環境

CantGoTu環境の概念は、ゲオルグ・カントール対角線論法クルト・ゲーデル不完全性定理アラン・チューリングなどに代表される計算可能性理論の三つを基礎として、それらをバーチャルリアリティ環境に適用したものである。デイヴィッド・ドイッチュThe Fabric of Reality(1997年)の中で提唱した。

あらゆる可能なバーチャルリアリティを描けるコンピュータを想定しよう。その生成器が生み出す全ての可能な環境は、環境1、環境2 というように並べることができる。それぞれの環境から同じ期間のタイムスライス(ドイッチュは1分としたが、これは原理的にはプランク時間にまで短縮できる)をとる。ここで、新たな環境を次のように構築する。最初の時点では、環境1とあらゆる点で異なる環境を生成し、一定時間後には環境2と全てが異なる環境を生成し、というようにしていく。この新たな環境はそれまでに並べたどの環境とも異なり、どの時点をとっても考えられるあらゆる環境と異なる。従って、このような万能VR生成器を構築することはできず、どんな手段を持ってしても効率的に描けない環境が存在する[12]

しかし、同書の中でドイッチュは「あらゆる物理的に可能な環境を含むレパートリーを持つバーチャルリアリティ生成器を構築可能である」というかなり過激な主張を展開している。

しかし、「あらゆる物理的に可能な環境」を含むとしたら、そのコンピュータは自分自身を含む環境も完全なシミュレーションとして内包しなければならない。

[編集] 計算負荷

仮想市民型
2007年現在、分子動力学に要する計算能力は、世界最高速のコンピュータを数ヶ月使って、蛋白質の1つの分子の動きを0.1秒程度シミュレートできるレベルである[13][14]
銀河系全体をシミュレートするには、誰も観測していない領域のシミュレートを省くなどしない限り、想像以上に計算能力が必要となる。
このような主張に対して、ボストロムは人類の歴史全体をシミュレートするのにおおよそ 1033 から 1036 の計算が必要であるとした[1]。彼はさらに、既知のナノテクノロジーを使って惑星サイズのコンピュータを作れば、一秒間に約 1042 回の計算が可能であると主張している。そして、惑星サイズのコンピュータの構築は基本的には不可能ではないとした。ただし、そのサブプロセッサ間でデータを共有するなら、光の速度が全体の計算速度を制限することになる。
ブレイン・マシン・インタフェース型
夢は、脳のある部分が作り出した刺激を別の部分が現実として感じているものだとする説がある[要出典]。そうだとすると、人間の脳全体より計算能力が低いコンピュータであっても、現実と感じられるようなシミュレーションを生み出せる可能性がある。同様な主張は、鮮明な記憶や想像、特に幻覚などにもあてはまる。しかし、これらは現実よりも鮮明さに欠け、物理法則が常に正しく成立しているわけでもない。現実世界の物理法則を常に正しく適用することは、おそらくシミュレーテッドリアリティでも最も計算能力を要する部分である。また、幻覚はシミュレーションが必要とするような鮮明で豊かな相互作用を提供しない。これは、脳が幻覚を生み出す際の計算能力が限られているためとする説もある[要出典]
主張の妥当性
いずれにしても、現代の感覚でシミュレーテッドリアリティの実現可能性を論じることは間違いである。
また、シミュレーテッドリアリティはリアルタイムで実行される必要はない。シミュレートされた宇宙の住人は、彼らの主観時間と現実世界の時間の流れと違っていても気づきようがない。アイザック・アシモフはこの考え方を限界まで推し進め、住人に気づかれずにシミュレーションを逆方向に実行したり、複数の異なるコンピュータで実行したり、修道士らが数世代に渡ってそろばんを使って週末だけシミュレーションしたりといったことも可能であるとした。いずれの場合もシミュレーション内の時間の進行は妨げられない。

[編集] 不適切な仮説

厳密に言えば、シミュレーテッドリアリティの実在は証明できない。直接観測されるどんな「証拠」も別のシミュレーションかもしれない。言い換えれば、この主張には無限に後退していく問題が存在する。我々がシミュレーテッドリアリティの中にいるとしても、そのシミュレーションを行っている人々が別のシミュレーションの中の住人でないことを確証付けるものはない。つまり、シミュレーションの無限の連鎖がないとは言い切れない。シミュレーション仮説によれば、シミュレーションを実施している現実世界であっても、その世界自体がシミュレーションでないとは言い切れないのである。

[編集] オッカムの剃刀

シミュレーテッドリアリティの中にいるかどうかを確実に知る方法はないことを述べてきた。また、同じ現象を説明できる仮説は他にも多数存在する[15]。このような場合、オッカムの剃刀と呼ばれるヒューリスティック規則が適用されることが多い。オッカムの剃刀では、同じ現象を説明する仮説が複数あるとき、単純なほうを採用する。ありえない仮説に対する懐疑主義的批判で使われることが多い[16][17][18]

これは、ヒューリスティックであって自然の法則ではないため、常に正しいとは限らないが、一般に最善であると考えられている。オッカムの剃刀に従えば、シミュレーション仮説は複雑すぎるため却下され、眼前にあるものはそのまま現実であるということになる。

[編集] 道徳的問題

シミュレーテッドリアリティの考え方を広範囲に受け入れることは、危険な状況を生み出す可能性がある。誰もが現実は幻想であると信じていたら、かけがえのない生命という抑制から解放され、犯罪や残虐行為に走ることに躊躇しない者も多く出現するだろう。

さらに、シミュレーション内の他の人々が単なる「ボット」であるという考えに取り付かれれば、道徳観念は全く異なったものとなる。

しかし、シミュレーションが現代のMMORPGの進化したものだとすれば、何らかの道徳観念がそこに生まれると考えることもできる。例えば、シミュレーションのある参加者が別の参加者の手をハンマーで打ったとしたら、感覚のインタフェースによって痛みが感じられ、その被害者が現実世界に戻っても何らかの影響を被っている可能性がある。

ボストロムは来世について次のように述べている。「来世におけるあなたの運命は、あなたが現在のシミュレートされた現世でどう振舞ったかによって決められるかもしれない」[19] つまり、「高次の存在」を仮定すれば、シミュレーション内で倫理的に振舞うことで、最終的に良い結果が得られるという考え方も成り立つ。

[編集] 科学技術的手法

[編集] バグ

コンピュータによるシミュレーションには、ボイドと呼ばれる隙間やバグがあって、内部からも判る場合があるかもしれない。そのようなものを見つけ、検証できるなら、それによってシミュレーテッドリアリティの内部にいることを証明できる可能性がある。しかし、物理法則に反する事柄は、他にも説明できる仮説が考えられる(神など)。映画『マトリックス』で描かれたように、既視感などの日常的な奇妙な体験も何らかのバグとして説明できる可能性がある。

実際、バグはよくある問題と考えられる。十分に強力なシミュレーションにおいては、全ての経験や思考が監視されている可能性があり、バグや抜け穴に関する知識が即座に消去されるのではないかという考え方もある。もちろん、その場合はバグを発見することはできない(発見したとしてもそれに基づいて行動できない)だろう。

[編集] 隠されたメッセージ、あるいは「イースターエッグ」

シミュレーションには、設計者あるいは謎を解くのに成功した住人が配置したメッセージや出口があるかもしれない。これは例えばゲームなどの媒体で時折見られる。例えば、ネイピア数円周率といった定数に何らかのメッセージが含まれていないかという探索が長年行われている。カール・セーガンサイエンス・フィクション『コンタクト』において、セーガンは円周率から何らかのしるしを見つけ出す可能性を論じている。

しかし、そのようなメッセージは今のところ見つかっていない。もちろん、他の仮説で同じ現象を説明することもできる。

[編集] 処理能力

コンピュータシミュレーションの能力は、それを実行するコンピュータの能力に制限されており、非常に微細なレベル(原子以下のレベル)では完全な計算が行われていないのではないかという考え方もある。これは、素粒子物理学で得られる情報の正確度の上限として現れる可能性がある。

しかし、この主張では正確度の判定をシミュレーション内で作られたコンピュータ上で行うことになる。従って、我々がシミュレーションの中にいるなら、コンピュータの性質を見誤る可能性がある。

この考え方を一歩進めると、我々は物理的限界があるために原子レベル以下の構造を直接見ることはできず、単にシミュレートしているに過ぎないとも言える。つまり、我々は顕微鏡やコンピュータといった機器の正確性を信頼して原子以下のレベルを観測している。これらがいずれもシミュレートされた世界の中にある物なら、現実世界を生成するのに要する計算能力は大幅に削減可能となる。

[編集] ハイゼンベルグの不確定性原理

ヴェルナー・ハイゼンベルク量子力学レベルの世界を観測するとき、あらゆる観点で完全な情報を得ることはできないという事実を発見した。これを不確定性原理と呼ぶ。

性能が限られたプラットフォーム上のビデオゲームで景色をレンダリングする際、この不確定性原理と比喩的に類似したことが行われている。つまり、プレイヤーが見ていない景色はレンダリングされず、プレイヤーが見ようとしたとき初めて描かれるのである。

もちろん、不確定性原理はシミュレーション仮説を持ち出さなくても説明できる。宇宙は単にそのようなものとして存在しているのである。

[編集] デジタル物理学とセル・オートマトン

デジタル物理学では、宇宙の歴史はある意味で「計算可能」であることを基本的な前提としている。この仮説はコンラート・ツーゼの著書 Rechnender Raum で初めて示され、同書ではセル・オートマトンを中心に解説していた。Juergen Schmidhuber は、漸近的に最適な方法で非常に短いプログラムからあらゆるプログラムを生成できるため、宇宙はチューリングマシンと考えることもできると示唆した。他の提唱者として、エドワード・フレドキンスティーブン・ウルフラム、ノーベル物理学賞受賞者のゲラルド・トフーフトらがいる。彼らは、量子力学確率論的性質は計算可能性と矛盾しないと主張している。デジタル物理学の量子版はセス・ロイドが提唱した。これらの示唆から具体的な物理学的理論が構築されたことはない。

物理学における連続体の仕様が、物理的宇宙のシミュレーションを不可能にしているとする見方もある。実数や枚挙不可能な無限を物理学から排除すると、コンピュータシミュレーションの可能性が生まれる。

[編集] その他

[編集] NPC あるいは「ボット」

シミュレーテッドリアリティの中の人々(の一部)は、何らかのオートマタ哲学的ゾンビ、あるいはボットという可能性があり、シミュレーションをよりリアルに、かつ面白くするために付与されているのかもしれない。実際、自分自身以外の人物は全てボットではないかと疑うこともできる。ボストロムは、このような自分自身以外の生命(あるいは、外部からシミュレーションに入ってきた参加者以外)が全てボットであるようなシミュレーションを "me-simulation" と呼んだ。

ボストロムは、ボットに関する考え方を次のように述べている。

先祖シミュレーション以外に、一個人やある集団だけを含むより選択的なシミュレーションの可能性も考えられる。その他の人類はソンビまたは「影の人々」であり、シミュレーションは完全にシミュレーションされた人々が何も疑いを持たないようなレベルで行われる。影の人々をシミュレートすることが、よりリアルな人々をシミュレートするのにくらべて、どれだけ計算能力を節約できるかは定かではない。意識を持たない存在が人間のように振舞って気づかれないということがあるかどうかも定かではない。[1]

「ソンビ」という考え方はビデオゲームに登場するノンプレイヤーキャラクター (NPC)から来ている。「ボット」という言葉は「ロボット」を短縮したものであり、これらの概念はビデオゲームで使われる単純な人工知能が起源である。

[編集] 主観時間

ブレイン・マシン・インタフェース型のシミュレーテッドリアリティはリアルタイムに近い性能が要求されるかもしれない。つまり、シミュレーション内の経過時間は 外界の経過時間とほぼ同じであることが要求される。これは、プレイヤーが何らかのインタフェースでシミュレーションに参加しているとしても、同時にその身体が実世界に存在するためである。従って、シミュレーションが現実より高速だったり低速だったりすると、シミュレーションの外部にある脳がそれに気づいてしまう。

夢の中では、時間経過は遅くなったり速くなったりする。しかし、重要なのはいずれにしても生物学的な有限の速度であるという点で、シミュレーションはそれに追随しなければならない。ただし、参加者が強化されていて、高速な情報処理が可能となっている場合は別である。

一方、仮想市民型や移民型のシミュレーテッドリアリティでは、そのような必要はない。なぜなら、住人はシミュレーション内の物理的特性に従って、経験し、思考し、反応するからである。シミュレーションが低速になったり高速になったりしても、住人の知覚や脳や筋肉も同じように変化する。シミュレーション内での時間計測の方法もシミュレーション内の物理法則に従うため、住人は時間経過の速度が変化したことに気づかない。外界と何らかの通信が可能な場合は、その限りではない。

このため、シミュレーションが完全に停止したかどうかも検出できない。シミュレーションが一時停止すれば、その中の全ての生命や精神も一時停止する。シミュレーションが後で再開された場合、住人は停止する前と全く不連続性を感じないだろうし、たとえ何百万年も停止していたとしても全く気づかないだろう。

以上から、仮想市民型や移民型のシミュレーテッドリアリティでは、宇宙全体を通常の速度でモデル化するほどの計算能力がなくてもよいことになる。チューリング完全の定理によれば、シミュレーションはそのホストコンピュータが管理できる任意の速度で進行可能である。この場合の制約条件は計算速度ではなく、メモリ容量である。

[編集] 再帰的シミュレーション

シミュレーテッドリアリティ内には別のシミュレーテッドリアリティを実行するコンピュータが存在することもありうる。上位のシミュレータはそのコンピュータの全ての原子をシミュレートしており、それら原子によって下位のシミュレーションが計算されることになる。例えば、シムピープルというゲームを遊んでいるとして、シム(シミュレートされた人)がゲームで遊んでいるという状況を想像していただきたい。

このような再帰は無限のレベルで続く可能性がある。この再帰には次のような制約がある。下位のシミュレーションは、

  • 上位のリアリティよりも「小さくなければならない」。なぜなら、利用可能なメモリが少ないから。

そして、次のいずれかが成り立つ。

  • 上位のリアリティよりも低速である。
  • 上位のリアリティよりも単純化されている。
  • 上位のリアリティに比較して不完全である。

最後の場合は、量子力学的不確実性を我々の世界がシミュレーションである証拠とする考え方の基盤となっている。しかし、これはシミュレーションの再帰的連鎖が有限であることを暗黙に前提にしている。無限に連鎖するなら、上位のシミュレーションと下位のシミュレーションに容易に気づけるような差異がある必要はない。

[編集] フィクションにおけるシミュレーテッドリアリティ

シミュレーテッドリアリティは、サイエンス・フィクションのテーマとしてもよく使われる。中世やルネッサンス期の宗教劇では、「世界は劇場である」という概念が頻繁に登場する。以下に作品を列挙する。

[編集] 文学

[編集] 映画、テレビなど

[編集] テレビゲーム

[編集] 脚注

  1. ^ a b c Are You Living in a Computer Simulation? by Nick Bostrom. 2002年7月. Accessed 2006年12月21日
  2. ^ Bruno Marchal
  3. ^ Russel Standish
  4. ^ 「生活全体が夢であるという仮説には、論理的には全く問題がない。夢の中で我々は眼前のものを何でも創造できる。しかし、それが論理的に不可能でないとしても、真であると仮定すべき根拠もない。そして実のところ、我々と独立な物体が存在し、その行動を感覚を通して感じているという常識的な世界観に比較して、(全てが夢であるという仮説は)単純さに欠ける。」バートランド・ラッセル The Problems of Philosophy
  5. ^ a b René Descartes, Meditations on the First Philosophy, from Descartes, The Philosophical Works of Descartes, trans. Elizabeth S. Haldane and G.R.T. Ross (Cambridge: Cambridge University Press, 1911 – reprinted with corrections 1931), Volume I, 145-46.
  6. ^ Chalmers, J., The Matrix as Metaphysics, Department of Philosophy, University of Arizona
  7. ^ PHYSICS, PHILOSOPHY AND QUANTUM TECHNOLOGY
  8. ^ 「しかし、チューリングマシン(TM)などでモデル化される一般的計算システムは有限個の状態を取ることしかできない。TMの内部状態をテープの内容と結びつけて可能な状態数を増やしたとしても、TMがとりうる状態数は枚挙可能な無限になるだけである。さらにTMは枚挙可能な状態遷移しかしない。同じことは科学的モデリングに使われるあらゆる計算機にも当てはまる。従って、通常の計算の説明では、数学全般や自然をマッピングできるだけの十分な状態数や状態遷移数を持たない。従って厳密に数学的な観点からは、あらゆるものをコンピュータ内で表せるという考え方は支持できない。」Computational Modelling vs. Computational Explanation: Is Everything a Turing Machine, and Does It Matter to the Philosophy of Mind?
  9. ^ Hypercomputation, Toby Ord
  10. ^ 「Cosmology Machine は恒星やガスや未知のダークマターについての多数の観測結果からデータをとり、超高速で計算することで、銀河や太陽系の成り立ちを探る。宇宙進化に関する様々な理論をシミュレートすることで、どの理論が現実の宇宙をもっともうまく説明できるかを調べる。」Cosmology Machine creates the Universe
  11. ^ Popper, K. Science as Falsification
  12. ^ Deutsch, D. (1997), The Fabric of Reality, Penguin Books: 特に 123-131 ページ
  13. ^ IBM Blue Gene Team, "Blue Gene: A vision for protein science using a petaflop supercomputer", IBM Systems Journal 40 (2)
  14. ^ Pande, Vijay & et al. (1月), "Atomistic protein folding simulations on the submillisecond timescale using worldwide distributed computing", Biopolymers 68 (1): 91-109
  15. ^ Undeterdetermination
  16. ^ Skeptic report on Occam's razor
  17. ^ Defeating the Sceptic
  18. ^ Ash, T. The Existence of the Physical World
  19. ^ Nick Bostrom (2003年5月16日). "The Simulation Argument: Why the Probability that You Are Living in a Matrix is Quite High." www.nickbostrom.com. 2007年6月4日閲覧.

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • Copleston, Frederick [1946年] (1993年). “XIX Theory of Knowledge”, A History of Philosophy, Volume I: Greece and Rome. New York: Image Books (Doubleday), 160. ISBN 0-385-46843-1. 
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  • Deutsch, David [1997年] (1997年). The Fabric of Reality. London: Penguin Science (Allen Lane). ISBN 0-14-014690-3. 
  • Lloyd, Seth (2006年). Programming the Universe: A Quantum Computer Scientist Takes On the Cosmos. Knopf. ISBN 978-1400040926. 
  • Tipler, Frank [1994年] (1994年). The Physics of Immortality. Doubleday. ISBN 0-385-46799-0. 
  • Lem, Stanislaw (1964年). Summa Technologiae. 

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