オロモウツ
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オロモウツ(Olomouc)はチェコの都市。モラヴィア地方の中部に属する。街の中心部にあるオロモウツの聖三位一体柱は、ユネスコの世界遺産に登録されている。ドイツ語ではオルミュッツ(Olmütz)。人口は約10万人(2005年)。
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[編集] 地勢・産業
モラヴィア地方中部の農業地帯に位置しており、モラヴァ川とビストジツェ川が近くで合流する。農業機械、化学工業なども盛ん。約65キロ南西にブルノが位置している。
[編集] 歴史
古代には、ローマ帝国軍の軍事拠点が置かれていたと考えられている。中世に入ると、1063年に司教座がおかれ、1253年にプシェミスル朝・オタカル2世のもとで都市特権を得てモラヴィア地方における主要都市へと発展し、モラヴィア辺境伯領の都となった。1479年にオロモウツの和議が行われ、ハプスブルク家がオーストリアから追放する条約が結ばれている。しかし17世紀前半の三十年戦争の際に、スウェーデンの攻撃で荒廃し、都はブルノに移った。
19世紀、民族主義の高揚がヨーロッパ各地でみられたが、ボヘミア地方と比べると民族運動の高揚が弱く、1848年のウィーン三月革命の際には、当時の皇帝であったフェルディナント1世がこの都市へと逃れた。1850年、この都市でオルミュッツ協定が成立し、小ドイツ主義に基づくドイツ統一を図るプロイセンをオーストリアがおさえた。その後、革命で解体していたドイツ連邦が再び成立した。
[編集] 文化
16世紀後半に創設されたパラツキー大学がある(フランチシェク・パラツキーに因む)。プラハ大学(カレル大学)についで、チェコにおいて歴史のある大学である。
1716年から建設が始まったオロモウツの聖三位一体柱は、およそ40年の歳月を経て完成し、現在は世界遺産に登録されている。
[編集] 姉妹都市
- タンペレ、フィンランド
- アントニー, Hauts-de-Seine、フランス
- ルツェルン、スイス
- ネルトリンゲン、ドイツ
- ペーチ、ハンガリー
- オーエンスボロ、ケンタッキー州、アメリカ
- スボティカ、セルビア
- フェーネンダール、オランダ