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オットー・フォン・ビスマルク - Wikipedia

オットー・フォン・ビスマルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オットー・フォン・ビスマルク
Otto von Bismarck
オットー・フォン・ビスマルク

ドイツ帝国初代宰相
任期: 1871年1890年

出生: 1815年4月1日
死去: 1898年7月30日

オットー・エドゥアルト・レオポルト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼンOtto Eduard Leopold von Bismarck-Schönhausen1815年4月1日 - 1898年7月30日)は、プロイセン王国の宰相 (在任1862年 - 90年)、1871年からはドイツ帝国初代宰相を兼務する。

プロイセン王ヴィルヘルム1世の右腕として鉄血政策を打ち出し、普墺戦争普仏戦争を主導してこれに勝利。1871年にヴィルヘルム1世をドイツ皇帝として戴冠させ、ドイツ統一の立役者となる。君主主義の保守的な政治家であり、1880年代に台頭し始めた社会主義運動に対して厳しい姿勢を取ったが、その一方で老齢年金、健康保険労災保険などの各種の社会保障制度を整えたことでも知られる。

彼は優れた外交官であり、現実主義に根ざした政治的手腕には卓越したものがあった。また音楽にも通じ、名文家としても知られている。

目次

[編集] 生誕からドイツ統一まで

ビスマルク (21歳)
ビスマルク (21歳)

1815年ベルリン北西のシェーンハウゼンの大地主の貴族(ユンカー)の子として生まれる。1832年ゲッティンゲン大学に入学、翌年ベルリン大学に移り、法律を学ぶ。1836年から国家の法律行政に関わる。1838年に退職して軍隊に志願する。1845年にはシェーンハウゼンに戻り、ビスマルク家の家督を継ぐ。1847年にヨハンナ・フォン・プットカマーと結婚し、1849年にプロイセン国会の下院議員に当選する。

その後、1851年フランクフルトドイツ連邦議会 (Bundestag) へプロイセン代表として派遣され、ロシア公使、フランス大使を歴任する。こうした国外での経験から、ユンカーの偏狭な精神を脱却して国際的な視野を身につける。

[編集] ドイツ統一へ

1862年には新国王ヴィルヘルム1世によってプロイセン王国の首相 (Preussischer Ministerpräsident) 兼外相に任命される。この時、ヴィルヘルム1世と議会は兵役期間を2年にするか3年にするかで対立し、ドイツ統一を目標とするヴィルヘルム1世は議会を説得するためにビスマルクを起用したのである。期待に応え、ビスマルクは軍事費の追加予算を議会に認めさせた。この時にビスマルクは、現在の大問題(ドイツ統一)は、演説や多数決ではなく、鉄(大砲)と血(兵隊)によってこそ解決される(Nicht durch Reden oder Majoritätsbeschlüsse werden die großen Fragen der Zeit entschieden, sondern durch Eisen und Blut)という演説(鉄血演説)を行い、以後「鉄血宰相」の異名をとるようになった。

[編集] 対デンマーク戦争

鉄血政策を大きく進め、その一方で国際的に良好な関係を作る事に腐心し、イタリアロシアに接近し、オーストリアと同盟を結び、同盟関係を背景に1864年デンマークと争い、勝利してシュレースヴィヒ=ホルシュタインを奪った(第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)。この時の陸軍参謀総長こそ大モルトケであり、これ以降も政治外交のビスマルクと名参謀総長のモルトケのコンビは、対立しつつも車の両輪として活躍することになる。

[編集] 普墺戦争

対デンマーク戦争に勝利して国民の支持も取り付けたビスマルクは、更に手腕を振るうようになる。デンマークから奪った地域の領有権を巡ってオーストリアと対立すると、参謀総長モルトケの入念な準備を背景に1866年6月オーストリアに宣戦布告、7週間で勝利する(普墺戦争)。その一方でオーストリアとの講和条約であるプラハ条約では寛大なところを見せて、オーストリアの決定的な反感を買わないようにも気を配っている。これによりオーストリア主導のドイツ連邦 (Deutscher Bund) は解消され、ドイツ圏におけるプロイセンの主導権は確たるものとなる。

[編集] 普仏戦争

1867年、ビスマルクは普墺戦争の勝利をもとにプロイセンと北ドイツ諸邦を北ドイツ連邦にまとめ上げ、自身は北ドイツ連邦の宰相となって、ドイツ統一への第一歩を踏み出す。そうした状況を見たフランスのナポレオン3世は危険を感じ、プロイセン王家に繋がるレオポルト公のスペイン王位継承問題について、ヴィルヘルム1世に永続性のある保証を要求してきた。ビスマルクはこれを逆用して世論を煽り(エムス電報事件)、1870年7月、フランスをプロイセンに宣戦布告させることに成功した。1ヵ月半後、プロイセン軍はセダンの戦いでナポレオン3世を捕虜とし、フランス第二帝政は崩壊する。年明けにはパリが包囲され、いまだパリ砲撃が続く中の1月18日、プロイセン王ヴィルヘルム1世はヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝に即位し、ここにドイツ帝国の成立が宣言された。

普仏戦争の目的は、「北ドイツ連邦」に属さないバイエルン王国をはじめとする南部諸邦に北との連帯感を持たせ、ドイツ統一を実現する事であった。ビスマルクの目論みは当たり、かつてのドイツ連邦からオーストリアとルクセンブルクを除いたすべての諸侯を、プロイセンを盟主とする新国家のもとに集結させることに成功したのである。

[編集] ビスマルクの内政・外交

ビスマルクの石像(ハンブルク)
ビスマルクの石像(ハンブルク

ビスマルクは統一ドイツの初代宰相兼プロイセン首相となり、1890年に引退するまで19年の永きにわたって、ドイツの更なる発展に尽力する。

内政面についてはカトリックに対する文化闘争を行い、プロイセン的な社会をドイツ全体に広げるような方針をとった。更に当時勢力を拡大していた社会主義者に対する攻撃を強め、ヴィルヘルム1世が狙撃されたのを口実に1878年社会主義者鎮圧法を制定する。その一方で災害保険・健康保険・老齢年金などの社会保障制度の制度を整備する飴と鞭政策を採り、社会主義者が攻撃を仕掛ける口実をなくした。彼が打ち立てた社会国家像は、今日に至るまでのドイツの社会政策の基礎となっており、また日本の明治憲法体制にも影響を与えた。

国内整備と並行して、国際的にも様々な手を打っている。ビスマルクの戦略的思考はモルトケと同じように事前の周到な準備、すなわち慎重な外交関係の構築を重視していた。

フランスを屈服させた後は、そのフランスによる報復の芽を摘み取るような外交を展開、三帝同盟1873年)、三国同盟1882年独露再保障条約1887年)と立て続けに同盟を結ぶ。1877年から1878年にかけて行われた露土戦争の紛争を収拾するためのベルリン会議では「公正な仲裁人」と自称し、全ての国から恨みを買わぬよう、仲介役としてのドイツの立場を強調した。

これらの政策の目標は一にフランスを孤立させ、二にそれ以外の国との良好な関係を作り、三にそれらの国と一蓮托生と言った親密な関係までは作らない事である。ヨーロッパ列強各国の利害を正確に把握し、これを外交によって操る事でヨーロッパに軽い緊張状態を作り出し、どの国もうかつに動けない戦争の無い状態を作り出そうとした。これがいわゆるビスマルク体制である。

このビスマルクの思惑は図に当たり、ヨーロッパには第一次世界大戦まで続く小康状態が生まれる。後に第一次世界大戦の引き金となる三国同盟も、本来はドイツを意図しない戦争から回避させるための同盟であり、統一間もないドイツの安定が目的であったと考えられる。 統一までの戦争政策から一転したこの平和政策の成功からも、ビスマルクが単純にイメージされる「鉄血宰相」では無く、極めて柔軟で現実に即した政治家であった事が伺える。

[編集] 政界引退

ビスマルク(80歳)
ビスマルク(80歳)

1888年、ビスマルクが長年仕えたヴィルヘルム1世が死去する。

息子のフリードリヒ3世が跡を継ぐが、3ヶ月で死去し、さらにその息子のヴィルヘルム2世が跡を継ぐ。

この若き皇帝はビスマルクの複雑な外交術が理解できず、単純で直線的な植民地拡大策を欲し、また社会主義者鎮圧法の更新に反対してビスマルクと度々衝突、ついに1890年にはビスマルクを解任した。

ビスマルクは自分の領地のハンブルク近郊のフリードリヒスルーに引退し、1898年7月30日に没した。

ビスマルクを排除したヴィルヘルム2世は単純に力で植民地を奪い取ろうと3B政策を推進してイギリスと対立するようになり、独露再保障条約の更新を拒否してロシアとも対立。その結果三国協商を形成させてしまい、三国同盟 vs 三国協商という対立関係を生み、ビスマルクが最も恐れていたドイツ包囲網を形作らせてしまった。これにより、ドイツ帝国は第一次世界大戦の敗戦、ドイツ革命という運命へ向かっていく。

[編集] 爵位

  • 1865年 ビスマルク=シェーンハウゼン伯。対デンマーク戦争勝利の功などにより伯爵を授爵。
  • 1871年 ビスマルク侯。普仏戦争勝利の功になどにより侯爵に陞爵。
  • 1890年 ラウエンブルク公。政界引退にともない、長年の功績をみとめられ公爵に陞爵。(ただし一代限りの爵位)

[編集] 逸話

沼に嵌って溺れている友人から助けを求められたところ、銃を向け「その沼は底なし沼なので助けようとすれば二人とも溺れ死んでしまう。せめてもの友情で苦しまないよう一発で殺してやる」と言い放った。驚いた友人は、懸命に泳ぎ自力で沼から這い上がってきたといわれる。この話が実話かどうかは確認されていないが、冷静で計算高く目的のためには荒っぽい手段も辞さないビスマルクの手腕を示す逸話として残っている。

日本の岩倉使節団がプロイセンに訪問したさい、伊藤博文大久保利通ら維新創業の政治家たちと会見し、彼らに大きな影響を与えたと言われる。大久保は西郷隆盛に宛てた手紙の中で、ビスマルクとモルトケを「先生」と呼び、その言説と人となりに大きな感銘を受けたことを綴っている。また、プロイセンの憲法を真似た明治憲法を作成した初代総理大臣の伊藤博文は、首相として君臨していた頃、常にビスマルクを意識して行動していたため明治天皇に「お前は東洋のビスマルクを自称しているそうだな」とからかわれている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキクォート
ウィキクォートオットー・フォン・ビスマルクに関する引用句集があります。
ウィキメディア・コモンズ


先代:
アドルフ・ツー・ホーエンローエ=インゲルフィンゲン
プロイセン王国宰相
1862年-1873年
次代:
アルブレヒト・フォン・ローン
先代:
アルブレヒト・フォン・ローン
プロイセン王国宰相
1873年-1890年
次代:
先代:
ドイツ帝国宰相
1871年-1890年
次代:
レオ・フォン・カプリヴィ


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