日本海 (列車)
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日本海(にほんかい)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が大阪駅~青森駅間を東海道本線・湖西線・北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線(日本海縦貫線)経由で運行する寝台特別急行列車。
2008年現在、近畿地方と東北地方を結ぶ夜行バス路線の北限が仙台市と山形市までのため、近畿地方と山形県庄内地方・秋田県・青森県を結ぶ公共交通機関の中で、唯一の夜間移動手段である。
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[編集] 運行概要
[編集] 運行区間
[編集] 担当車掌区
[編集] 使用車両
[編集] 牽引機関車
全線、福井地域鉄道部敦賀運転派出に所属するEF81形電気機関車が牽引する。一部、トワイライトエクスプレス色の機関車が牽引する場合がある。
[編集] 客車
- 現行編成
大阪← | →青森 | ||||||||||||
号車 | 1○ | 2× | 3× | 4○ | 5× | 6× | 7× | 8× | 9× | 10× | 11○ | 12× | |
座席種別 | B | B | B | B | B | B | B | B | B | B | B | A | 荷 |
形式 | オハネフ24形 | オハネ24形 | オハネ24形 | オハネフ24形 | オハネ24形 | オハネ24形 | オハネフ24形 | オハネ24形 | オハネ24形 | オハネ24形 | オハネフ24形 | オロネ24形 | カニ24形 |
[編集] 停車駅
- 2008年(平成20年)3月15日現行の定期列車である「日本海」の停車駅を示す。
大阪駅 - 新大阪駅 - 京都駅 - 敦賀駅 - 福井駅 - 加賀温泉駅 - 金沢駅 - 高岡駅 - 富山駅 - 魚津駅 - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 新津駅 - 鶴岡駅 - 酒田駅 - 羽後本荘駅 - 秋田駅 - 東能代駅 - 鷹ノ巣駅 - 大館駅 - 大鰐温泉駅 - 弘前駅 - 青森駅
なお、以下の区間ではB寝台を普通車座席として利用できる。寝台券も参照のこと。
[編集] 沿革
[編集] 日本海縦貫線全通とその後の展開
- 1924年7月31日 神戸駅 - 青森駅間に、羽越本線の全通を受けて急行列車を設定(富山駅以北は普通列車扱い)。
- 1926年8月15日 全区間を急行列車化。
- 1929年9月15日 運行区間を大阪駅 - 青森駅間に改める。
- 1943年2月1日 大阪駅~青森駅間運転の急行列車廃止。
[編集] 戦後急行「日本海」としての運行再開
- 1947年7月5日 大阪駅 - 青森駅間に、現在の「日本海」の元となる急行列車が運行を開始。
- 1950年11月8日 前記の急行列車に「日本海」と命名。
- 1961年2月9日 羽越本線を走行中の急行「日本海」が崩れた土砂に乗り上げて脱線。C57機関車が大破。鉄道事故も参照のこと。
- 1968年8月 名古屋駅 - 青森駅間を東海道本線・東北本線経由で臨時急行「あおもり」が運行開始。
[編集] 「日本海」ブルートレイン化以降
- 1968年10月1日 いわゆる「よん・さん・とお」と称されるダイヤ改正に伴い、「日本海」に20系客車を導入し、寝台特急化。
- ダイヤ上は特急「日本海」を新設し、急行「日本海」を「きたぐに」に改称した形に。
- 1969年 北陸トンネル内で、「日本海」の列車火災発生。3年後に「きたぐに」で同様の火災が発生し30名の死者を出す惨事となるも、この時は乗務員の判断で列車をトンネルから脱出させたため大事とならなかった。北陸トンネル火災事故も参照。
- 1971年 名古屋駅 - 秋田駅間に臨時急行「あきた」が運行開始。
- 1973年 東北・上越新幹線建設に伴い、臨時急行「あおもり」を日本海縦貫線経由に変更。
- 1975年3月10日 このときのダイヤ改正により、以下のように変更。
- 1976年 季節運転の「日本海51号」の使用車種を24系25系客車へ変更。
- 1978年10月2日 季節運転の「日本海」定期昇格。24系客車、24系25形客車各1往復ずつの設定に。早岐客貨車区所属の14系客車による超広域運用は終了する。2往復ともに青森運転所の担当。
- 1982年11月15日 同じ区間を走る急行列車「きたぐに」が、新潟駅発着となったため、大阪駅 - 青森駅を運行する唯一の夜行列車となる。
- 1982年12月 名古屋駅 - 秋田駅間の臨時急行「あきた」が運行終了。
- 1984年2月1日 「日本海」にヘッドマークの掲出を再開。
- 1985年3月14日 ダイヤ改正に伴い「日本海1・4号」の受持ちを青森運転所(現・青森車両センター)から宮原客車区(現・宮原総合運転所)へ変更。
- 1986年 名古屋駅~青森駅間の臨時急行「あおもり」が運行終了。
- 1986年 夏季期間中のみ「日本海1・4号」にマニ50形荷物車を連結し日本海モトとレールとして、オートバイ搬送も行う。
- 1987年4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、「日本海1・4号」を西日本旅客鉄道(JR西日本)が、「日本海3・2号」を東日本旅客鉄道(JR東日本)が管轄する共同運行列車となる。
- 1987年 「日本海3・2号」にA寝台車両を連結開始。
[編集] 青函トンネル開業以降
- 1988年 青函トンネル開業によりJR西日本保有車両で運行される「1・4号」が函館駅まで運転区間を延長。
- この際、函館行きの初列車はトンネル開業の前日(3月12日)に大阪駅を出発という設定となったため、翌日から運転開始だった「北斗星」に先駆け、営業運転で青函トンネルを通過した最初の寝台特急[1]となった。
- このとき同列車には食堂車復活の構想があり、食堂車が入る予定の5号車は欠車扱いとなった。用意された食堂車スシ24形は「トワイライトエクスプレス」に使用され、復活は実現せず。
- 1989年 大阪駅 - 札幌駅間に「トワイライトエクスプレス」が運行開始。北海道内は日本海1・4号を考慮して、トワイライトエクスプレスは渡島支庁内無停車で、胆振支庁・石狩支庁のみに停車。
- 1990年12月 大阪駅 - 青森駅間に臨時急行「あおもり」運行開始。
- 1994年12月3日 20系客車の老朽化に伴い、臨時急行「あおもり」の使用車両を583系電車に変更。東北方面で20系客車を使用していた最後の営業列車であった。
- 1998年8月 「日本海1・4号」における「日本海モトとレール」扱いを終了する。
- 1998年12月 寝台特急「瀬戸」のサンライズエクスプレス化により余剰となったA個室「シングルデラックス」を1・4号に連結。
- 2004年10月23日 - 11月28日 新潟県中越地震の影響により全列車・全区間運休。
- 2004年11月29日 日本海1・4号のみ運転再開。長岡 - 柏崎間は徐行運転を行い、 日本海3・2号は引き続き運休。
- 2004年12月13日 日本海3・2号も運転再開。ただし、長岡 - 柏崎間は徐行運転を行う。
- 2005年12月25日 - 2006年1月18日 羽越本線脱線事故の影響により、全列車が全区間運休。
- 2006年3月18日 日本海1・4号の函館乗り入れが利用客減少により廃止となり、全列車が大阪 - 青森間に運行に復する。大阪 - 渡島支庁間の寝台列車がなくなる。廃止された区間については青森で函館行きの「白鳥」・「スーパー白鳥」に乗り換えする形に。
- 2006年7月13日 - 2006年8月8日 羽越本線小岩川 - あつみ温泉間の土砂崩れにより運休。
- 2007年7月16日 - 9月12日 新潟県中越沖地震の影響により全列車・全区間運休。臨時急行「あおもり」も運転取り止め。
- 2008年3月15日 日本海3・2号を廃止し、1往復に減便。客車は3・2号で使用されている青森車両センター所属のものを継続して使用。