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国鉄50系客車 - Wikipedia

国鉄50系客車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第19回(1979年
ローレル賞受賞車両

カテゴリ / テンプレート


50系客車(50けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が主に地方都市圏の通勤・通学時間帯の普通列車に使用する目的で1977年より設計・製作した一般形客車の系列である。

本州以南用の50形と、北海道用の51形があるが、基本的な設計コンセプトは同一であるため、本記事ではこの両形式、また、同一の車体構造を有する荷物車マニ50形郵便・荷物合造車スユニ50形についても併せて記す。

国鉄50系客車
国鉄50系客車

目次

[編集] 概要

1970年代前半まで、地方都市圏の旅客輸送は旧型客車を主に使用していた。これらの車両は都市部の電車化気動車化によって転用されたもので、経年は製造後20年~40年以上に達し、老朽化の進行は保守上の問題と乗客からの不評を顕在化させていた。また、自動扉をもたない旧型客車は走行中でも客用を開閉できるため、乗客が転落する危険があったほか、狭いデッキや出入口は乗降を遅滞させ列車遅延の原因となっていた。

これら地方都市圏の輸送改善に際しては、当時行われていた荷物・郵便輸送への配慮[1]と、貨物輸送量の減少で機関車の余剰が発生していたことから、客車の新形式を開発する方針が採られた。貨物列車の運行の少ない通勤・通学時間帯の電気機関車ディーゼル機関車を有効活用し、輸送力増強やサービス改善を安価に行うための車両として製作された車両群が本系列である。

最初の車両は 1977年 - 1978年に製造され、筑豊本線芸備線東北本線仙台地区)などの線区で特に朝夕のラッシュアワーに使用された。製造は1982年まで続き、同様の条件の他の交流電化区間や非電化区間にも投入された。

民営化直前の1985年前後より電車・気動車の投入が進み、[2]客車列車存置の根拠だった荷物・郵便輸送もなくなったため、1990年代には大量に淘汰されるようになる。一般仕様の車両は2000年(平成12年)で使用を終了し、2002年(平成14年)には定期運用が消滅した。現在ではイベント用や特殊用途に使用されるごく少数が残存するのみである。

1979年鉄道友の会よりローレル賞を授与され、記念プレートはオハフ50 1の車内に取付けられていた。

[編集] 構造

[編集] 車体

普通鋼製車体である。50形については窓構造が従来の一段上昇窓から上段下降下段上昇窓(ユニット窓)に変更されている。すきま風や雨水による浸食の防止と取付の簡素化をはかったため、12系客車など在来のユニットサッシとは互換性はない。車体断面は12系などとは異なり裾絞りのないストレートな腰板を備える簡素な構造で、連結・解放作業を考慮して車体妻面は3面構成の折妻構造とされた。

また、AU75系集中式ユニットクーラーの搭載を考慮した電車形の車体断面および構体構造で設計されたが、新製時には製造コストと電源確保の問題から冷房装置は装備されず、押込式通風装置が搭載された。のちに冷房改造された車両もあるが、それらはいずれも分散式ユニットクーラーや床置式冷房装置、あるいは床下に集中式冷房装置を搭載されており、屋根上に集中式冷房装置を搭載した車両はない。

側面扉は旧形客車で問題視されていた手動扉に代わり、幅を1000mmに拡大した片引戸で半自動操作も可能な自動扉とした。ドアエンジンを動作させる圧縮空気は、空気圧を供給する空気圧縮機もその動作電源も搭載されていないため、機関車から元空気溜管を介して供給する必要がある。このため、牽引用機関車は ARSE ブレーキに改造された20系や10000系高速貨車などと同様、元空気溜管への空気圧供給が可能なタイプに限定され、しかも旧形客車と混結する際には、旧形客車は扉操作用の回路と元空気溜管を持たないため、編成中で50系車両を機関車に続けて連結し、50系の車掌室・業務用室から自動扉を一括操作する必要があった。自動扉の操作回路には、車軸からの速度検出による戸閉保安装置が追加されている。

行先表示は旧形客車の方式を踏襲し、側面中央部窓下にサボ受を設け、サボを掲示する方式としていた。側面上部に自動行先表示器の取付準備工事がなされていたが、実際に設置された車両はない。

車体塗装は交流電気機関車と同様の赤2号(やや小豆色に近い赤色)の一色である。赤色で塗装されていたことから、「レッドトレイン」の名がある。

同時期に設計・製作されたキハ40系気動車115系1000番台などど車体構造などで共通点が多い。

[編集] 車内設備

車内(原型の設備をとどめるオハ510-1)
車内(原型の設備をとどめるオハ510-1)

旧形客車と異なり、長距離列車よりも主に通勤通学時間帯における運用を考慮した車内設備となっている。

座席配置はデッキ付近をロングシート、客室中央をシートピッチ1,470mmのクロスシートとしたセミクロスシートとしている。デッキと客室との仕切扉も旧形客車より拡大され、1,200mmの両引戸とし、引残しを少なくするため取手部分の柱を切欠いている。[3]ボックスシート部のテーブルおよび窓側の肘掛は装備されていない。

暖房装置は旧形客車と同様、機関車から暖房用蒸気の供給を受ける。一部の車両では電気暖房装置を併設する。

50系のみでの編成を組んで使用することを主眼においており、トイレは緩急車のみに設置している。トイレには循環式汚物処理装置の準備工事が施されている。車掌は車内をこまめに巡回し、なおかつ旧形客車では不要であったドア開閉操作をも行う必要があるため、編成中の緩急車の数を旧形客車よりも増やし、[4]緩急車自体にも一端に車掌室、もう一端に業務用室を設けて業務効率化を図っている。車掌室と業務用室には、乗務員扉が設けられている。

[編集] 主要機器

マニ30形の TR230B形台車 50系客車のものと基本構造は同一である
マニ30形の TR230B形台車 50系客車のものと基本構造は同一である

台車はペデスタル式の軸バネ台車で、12系・14系客車などのTR217系を基本に枕バネをコイルバネに変更し、軸受を密封コロ軸受としたTR230形を装着する。

ブレーキは応答性が良好でメンテナンスも容易な三膜式のCLブレーキを搭載する。電磁同期弁は付加されておらず、最高速度は95km/hに制限される。

[編集] 主要諸元

  • 連結面間距離 : 20,000mm
  • 車体長さ : 19,500mm
  • 車体幅 : 2,800mm
  • 車体高さ : 3,650mm
  • 心皿間距離 : 14,000mm
  • 台車 : TR230形
  • 常用最高速度 : 95km/h
  • ブレーキ装置 : CL空気ブレーキ装置

[編集] 形式別概説

この項では新製車両のみを示す。改造車については次項に記す。製作担当は全形式とも富士重工業新潟鐵工所の 2 社である。

[編集] 50形

オハ50 14
オハ50 14

本州以南向けの車両群である。東北北陸地区などに投入された車両は電気暖房を併設し、車両番号を 2000 番台として区別する。

オハ50形
編成の中間に組成する座席普通車で、1978 年 - 1982 年に 335 両 (1 - 335) が製作された。


オハフ50 434
オハフ50 434
オハフ50形
前位側に業務用室、後位側に専務車掌室をもつ緩急車で、トイレも備える。1978 年 - 1982 年に 488 両 (1 - 488) が製作された。
主に列車の最前部、最後部に連結されるほか、自動ドア等客扱の利便性のために編成中間に連結されることもあった。

[編集] 51形

北海道用の車両群で、客室窓を小型の 1 段上昇式 2 重窓とし、車軸発電機をベルト駆動からギア駆動に変更するなどの酷寒地対策がなされる。台車は軸バネと枕バネにゴム被覆コイルばね(エリゴばね)を使用した TR230A 形である。

1979 年までに製作された初期車 (1 - 10) は車体側面の戸袋窓が小型で、オハフ51形では床下水タンクの装架位置が異なる。札幌圏で運用した車両には、機関車に出発合図を送るためのブザー回路[5]が追加された。

オハ51形(二代)
編成の中間に組成する座席普通車で、1978年 - 1982年に 62 両 (1 - 62) が製作された。
オハフ51形
車掌室をもつ緩急車で、1978年 - 1982年に 68 両 (1 - 68) が製作された。

[編集] 郵便・荷物車

マニ50 2232 梅小路運転区
マニ50 2232 梅小路運転区
マニ50 2186 「リゾートエクスプレスゆう」電源車
マニ50 2186 「リゾートエクスプレスゆう」電源車
マニ50形
老朽化したマニ60形・マニ36形など旧形車の置き換え用として開発された荷物車で、1977年 - 1982年に 236 両 (2001 - 2072・2101 - 2264) が製作された。
室内配置は従来の荷物車とほぼ同等で、トイレ・貴重品室を設ける。乗務員室扉は車体前後に設けられ、各々に車掌室と業務用室を配する。荷重は 14t で、外部塗色は青15号である。全車が電気暖房装置を備え、番号は2000番台を付番する。1979年製からはブレーキシリンダの配置など細部が変更され、番号を 2101 以降として区別する。
1986年に鉄道荷物輸送が廃止されたことで本来の荷物車としての用途はなくなり、製造年が新しいにもかかわらず大量に廃車となったが、「MOTOトレイン」(乗客とバイクを同時に輸送する、いわゆるバイクトレイン)用や、救援車の代用としてJR旅客6社に63両が承継された。しかし現在までにバイクトレインはすべて廃止され、営業運転に使用されることはほとんどない。現在、使用頻度の高いものは工場入出場時の控車として使用されるごく一部である。
特異なものとして、24系客車の電源車マニ24形500番台への改造車・「リゾートエクスプレスゆう」用電源車への改造車が存在する。詳細はリンク先の記事を参照されたい。
スユニ50 514(釧路運輸車両所の救援車代用車)
スユニ50 514(釧路運輸車両所の救援車代用車)
スユニ50形
スユニ60形などの旧形郵便・荷物合造車を置換えるため計画された郵便荷物合造車で、1978年 - 1981年に80両 (2001 - 2063・501 - 517) が製作された。
台枠も含めて車体は完全に新製したが、TR47形台車および連結器は旧形のスハ43形スハネ16形などから流用したもので、名義上は新製ではなく、種車になった車両の改造扱である。
本州以南用の0番台と北海道用の500番台がある。0番台は全車電気暖房を備えており、番号は2000番台となっている。外部塗色は青15号である。
技術力の維持と向上をはかるため、本形式はすべて国鉄工場で施工している。当初は100両改造される計画であったが、郵便・荷物輸送の低迷により80両に下方修正された。1986年の郵便・荷物輸送の廃止と共に大部分が廃車されており、JRへの承継は北海道3両、東日本4両にとどまった。現存している車両は北海道・東北で救援車代用として配置されている。


[編集] 改造車

[編集] 国鉄時代

「MOTOトレイン」用マニ50形
オートバイ輸送と鉄道利用者との結合による企画として、1986年7月から夏季のみ実施の「MOTOトレイン」用として尾久客車区のマニ50形9両を改造した。車掌室、貴重品室、トイレ・洗面所を撤去のうえ、車内にオートバイの緊結装置を取付け20台積載できるようにした。9両中マニ50 2120・2124・2128の3両は、車掌室等を存置したため、10台しか積載できない。1987年のJR移行では全車が東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。
上野 - 函館間で運行され、急行八甲田」と快速海峡」に併結[6]して運転されたが、「八甲田」の廃止とともに運転を終了した。1999年と2000年に9両全車廃車となっている。
※ マニ50 2120・2124・2128・2154 - 2159
簡易ビュフェ「オアシス」
国鉄四国総局で、オハフ50形を簡易ビュフェに改装した車両である。
ボックスシートの一部を撤去し、カウンターを設けて生ビールコーヒーなどを販売した。ボックスシート間にはテーブルを設置した。
ビュフェとしての使用は1986年7月23日 - 8月30日の間で、民営化後の1989年に廃車された。
※ オハフ50 180

[編集] JR北海道

快速「海峡」用改造車
車内には、青函トンネル内での現在位置を表示する装置が設置されていた
車内には、青函トンネル内での現在位置を表示する装置が設置されていた
  • 50形5000番台
青函トンネルを含む津軽海峡線の快速「海峡」(青森 - 函館)用として改造された車両である。改造工事は1987年のJR発足以前にすべて完了し、北海道旅客鉄道(JR北海道)が全車を承継した。
側面窓は固定式の大型一枚複層窓に交換され、外部塗色は青色地に白帯の塗装に変更された。車内には青函トンネル内列車位置表示装置の取付が行われ、座席は全席とも新幹線0系電車の廃車発生品の転換クロスシートに取替えられた。オハフ50形は当初ロングシート部分のクロスシート化のみで竣工したが、1987年度中に転換シートへの交換を完了している。
冷房装置も設けられ、分散式の AU13AN 形を屋根上に装備する。この電源はED79形電気機関車が備える電気暖房用電源を冷房用電源として兼用し、自車に冷房電源装置はもたない。このため、5000番台の改造種車はすべて電気暖房装置付き車両となっている。ブレーキ装置の改良が実施され、最高速度110km/hでの走行に対応している。
オハ50 5001・5002・5004・5005・5012・5013・5015は1991年 - 1992年に飲料水自販機を設置している。
オハフ50 5010は1997年にカラオケ個室(8人用・5人用各2室)設備が設けられた。同年、オハ50 5004・5005は台車を空気ばねのTR217系に交換している。
1998年以降、「ドラえもん」とのタイアップ列車「ドラえもん海峡号」対応として、車体外部へのシール貼付、車内へのステッカー貼付が全車に行われた。年度によりシールのデザインは異なっていた。オハフ50 5007・5008は「ドラえもんカー」として座席を撤去し、売店とフリースペースを設けた。
2002年12月のダイヤ改正で「海峡」が廃止されたため本来の用途がなくなった。
※ オハ50 2264 - 2267・2105 - 2107・2270・2031・2032・2108・2109・2263・2268・2269→オハ50 5001 - 5015
※ オハフ50 2380・2381・2390・2391・2332・2042 - 2044・2398・2041・2392 - 2397→オハフ50 5001 - 5016


  • 51形5000番台
オハ51 5002車内
オハ51 5002車内
快速「海峡」の増発対応として、1990年に51形を改造した車両である。塗装や車内は50形5000番台とほぼ同等であるが、オハフ51形にはトイレ対向部にベビーベッドを設けて、乳児の世話ができるようにしている。
最初は冷房装置を搭載していなかったが、のちに集約分散式のAU51形2基が屋根上に搭載された。50形5000番台と同じく電気暖房用電源を冷暖房用として用いるため、暖房は電気暖房式に改造された。
改造当初は台車やブレーキ装置の改造がなされず最高速度95km/hのままであったが、1996年 - 1997年に、オハ51形は14系客車の廃車によって生じたTR217CまたはD形台車に振替え、オハフ51形はTR230形台車の改造とブレーキ装置の改良により、最高速度が110km/hに引上げられた。また、オハ51形はカーペット車に改造された。その際、後位側客扉が閉鎖されている。
1999年にオハフ51 5002が事故廃車となり、2002年12月のダイヤ改正で「海峡」が廃止されたため本来の用途がなくなったが、青函トンネル緊急救援車としてオハフ51形5003・5004が残されている。
※ オハ51 35 - 38→オハ51 5001 - 5004
※ オハフ51 61 - 64→オハフ51 5001 - 5004
客用扉増設改造
札幌圏のラッシュ対策のため、1987年に苗穂工場でオハ51形の1両に3扉化改造を実施した。車体中央に 1000mm 幅の客用扉と客室との仕切り扉を増設し、客室は前後2室に分かれた形態である。増設扉近接の座席はロングシートに変更された。
改造は1両で終了し、量産への対応は711系電車の3扉化改造・721系電車によってなされた。1994年に廃車されている。
※ オハ51 41
「ノロッコ号」向け改造
運転台のあるオクハテ510を先頭にした「くしろ湿原ノロッコ号」(上)オクハテ510-1車内(下)
 
運転台のあるオクハテ510を先頭にした「くしろ湿原ノロッコ号」(上)オクハテ510-1車内(下)
運転台のあるオクハテ510を先頭にした「くしろ湿原ノロッコ号」(上)
オクハテ510-1車内(下)
釧網本線で運行しているトロッコ列車「くしろ湿原ノロッコ号」用として改造された車両である。1993年に1両が改造された後、従来車の老朽取替のため1998年に編成単位で改造された。1999年には新たに運行開始された「富良野・美瑛ノロッコ号」用として2両が増備されている。形式はオハ510形、オハテフ500形、オハテフ510形、オクハテ510形の4形式である。
塗装は「くしろ湿原ノロッコ号」用車両が緑色基調、「富良野・美瑛ノロッコ号」用車両が茶色基調の塗装である。
  • オハフ51形 カーペット車
旧「釧路湿原ノロッコ号」用として1993年に改造された。一部の座席を撤去しカーペット敷としたほか、外部塗色も変更された。
1998年に機関車制御機能の付加改造を受け、オクハテ510形(オクハテ510-1)に形式を変更して510形編成に組み入れられた。編成の詳細は次項にて記述する。
※ オハフ51 4
  • オハ510形(オハ510-1)
「くしろ湿原ノロッコ号」用。編成に給電するための発電機を搭載している。発電機は、パッケージ式のものが旧車掌室部分の床上に設置された。旧車掌室付近の扉や窓は塞がれ、通気グリルや機器搬出口が設けられている。種車の和式トイレは従前のまま残されている。車内は原形のボックスシートと、出入台部はロングシートのままである。ロングシート部には吊革も残されている。暖房方式は、発電機からの電源による電気暖房に変更された。
  • オハテフ500形・オハテフ510形(オハテフ500-51、オハテフ510-1・2・51)
編成中間に連結されるトロッコ車両である。オハテフ510-1は最初に製作された車両で、和式トイレのほか、物品販売用のカウンター、車椅子スペースが設けられている。1999年に「くしろ湿原ノロッコ号」を増結するためオハテフ510-2が製作され、同時期に「富良野・美瑛ノロッコ号」用として発電機付きのオハテフ510-51も製作された。その後、2004年に「海峡」の廃止により余剰となっていたオハフ50形5000番台を種車としてオハテフ500形が製作され、「くしろ湿原ノロッコ号」に組込まれた。オハテフ500形には自車給電用のディーゼル発電機が床下に設置されている。
JR発足後では初めて展望車を示す「テ」の記号を持つ新形式車両となった。また国鉄時代には普通車(およびその前身の三等車→二等車)の展望車は例がなく、「ハテ」を名乗る形式は本形式が初の例である。
  • オクハテ510形(オクハテ510-1・2)
機関車と反対側の編成端に連結されるトロッコ車両である。分類上は客車であるが、片側に運転台を備え、最後部に機関車を連結した状態で機関車を制御し、走行することができる。したがって、客車に付される重量記号「オ」と、制御車を示す「ク」の記号が付されている。
1 は「くしろ湿原ノロッコ号」用で、カーペット車 オハフ51 4 の再改造車である。2 は「富良野・美瑛ノロッコ号」用である。両車は前面などの仕様が若干異なっている。
※ オハフ51 57→オハ510-1
※ オハフ50 5008→オハテフ500-51
※ オハフ51 56・28・29→オハテフ510-1・2・51
※ オハフ51 4・58→オクハテ510-1・2
ワキ10000形改造のバーベキューカー(ナハ29000形)などと連結され、団体・臨時列車として運行されることも多い。


気動車化改造(キハ141系)
JR移行後に余剰となった51形のオハフ51形を気動車化した形式である。詳細はJR北海道キハ141系気動車を参照されたい。

[編集] JR東日本

「アメリカントレイン」(オニ50形・オニフ50形)
1988年、日米友好親善活動の一環として1年間運転することになった「アメリカントレイン」に使用するため改造された車両である。種車にはオハ50形10両とオハフ50形2両が選ばれ、形式はオハ50形→オニ50形、オハフ50形→オニフ50形となったが、製造番号はそのままで、記号の「ハ」を「ニ」に変えただけであった。
外部色は米国のイメージを出す星条旗風の塗装に塗替えられた。車内はパビリオンとして整備され、米国に関する案内や、米国製品の展示が行われた。荷物車扱となっているが、荷物を積むわけではなかった。夏場にも運行するため、冷房装置としてAU13形5基を屋根上に設置し、電源装置はオニ50 2304・2306・2308・2312・2314・2318の床下に、棒応対策を強化した4VA機関を取付け、自車を含む2両給電とした。
1988年7月4日(アメリカ独立記念日)から1年間にわたって日本全国各地を巡回した。旅客は乗せず、駅に停車して一般公開を行っていた。また、航送した上で沖縄県でも展示公開された。牽引機関車は、客車と同一色に塗られたEF60 19号電気機関車であった。同機が自走できない交流電化区間や非電化区間では他の機関車がEF60 19と客車を牽引した。
全運行日程終了後、オニ50 2307・2323は1990年に品川駅臨時ホームで開設されたビアホールモルツステーション」用に改装された。一方オニ50 2308・2312は12系客車と同色に塗替えられ、同年「HITACHI80周年記念号」に使用された。しかし、その後は全車とも使い道がなく、1991年にオニ50 2306・2314が「ノスタルジックビュートレイン」に使用するため再改造されたほかは1995年までにすべて廃車となっている。
※ オハ50 2304 - 2308・2312 - 2314・2317・2318→オニ50 2304 - 2308・2312 - 2314・2317・2318
※ オハフ50 2317・2322→オニフ50 2317・2322
「オリエント急行」控車
マニ50 2236
マニ50 2236
1988年10月 - 12月「オリエント急行」車両の日本国内走行に対応し、編成の両端に連結する連結器の変換用控車の1両として、主に寝台リネン等や列車運行に必要な資材等のストック車としても利用された。連結器の対応として「オリエント急行」と連結する側の連結器がねじ式となり、あわせてバッファーも装備された。
この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
※ マニ50 2236


「ノスタルジックビュートレイン」
オハフ50形2500番台 高崎駅構内にて(1999年撮影)
オハフ50形2500番台 高崎駅構内にて(1999年撮影)
1990年、五能線の活性化を目的として改造製作された車両。2編成が用意され、オハフ50形2500番台、オハ50形3000番台が各2両製作された。
オハフ50形2500番台は「ノスタルジックビュートレイン」の運行開始にあわせて製作された車両。車両の一端に「アイランドエクスプレス四国」に似た開放式の展望デッキが設置されたほか、側面窓は大型の固定窓に変更され、車内も木材を多く用いたレトロ調の室内となった。床下に冷房装置を設けている。
オハフ50形3000番台は1991年、増結用として製作された指定席用車両で、種車は元「アメリカントレイン」の車両のうち2両が選ばれた。座席がリクライニングシートに交換されている。種車が冷房改造されていたため冷房付きである。
全線を通して走行する普通列車のダイヤで運行されていたもので、観光客以外の一般客の利用も考慮していたため、編成中に2両の自由席車も連結していた。自由席車は塗装以外は特に手を加えられなかった。塗装は自由席車も含め上半黄色、下半茶色に白帯の塗装に変更した。専用の牽引機関車DE10形も同色に変更している。
1997年、「リゾートしらかみ」の運転開始により「ノスタルジックビュートレイン」が廃止されたためオハフ50 2501・2502以外は廃車となった。オハフ50 2501・2502は高崎運転所に転属し、EL&SL奥利根号等のイベント用として使用されていたが、2001年に小海線でのさよなら運転を最後に営業運転を終了、長野総合車両所(現:長野総合車両センター)で廃車解体された。
※ オハフ50 2162・2163→オハフ50 2501・2502
※ オニ50 2306・2314→オハフ50 3001・3002
※ 自由席用塗装変更車(改番なし):オハ50 2310・2441、オハフ50 2157・2158


建築限界測定車(スヤ50形→マヤ50形)
マヤ50 5001
マヤ50 5001
オヤ31形の後継としてオハフ50形から1995年に改造された。オヤ31形と異なり物理的に接触させるのではなく、光を照射し、CCDカメラにより撮影解析して測定する測定器を搭載しており、光オイランとよばれる。
当初はスヤ50形と称したが、2003年に「East i」シリーズ(E491系「East i-E」キヤE193系「East i-D」)との併結改造を行った際に重量が増したため、現在の形式になっている。
※ オハフ50 2301→スヤ50 5001→マヤ50 5001


「マザーグーストレイン」用マニ50形
この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
「バーボンエクスプレス」用マニ50形
この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。


[編集] JR西日本

「日本海モトとレール」用マニ50形
マニ50-5002
マニ50-5002
1988年、大阪 - 函館間の寝台特急「日本海」でツーリング客向けに夏季期間中に限りオートバイの輸送を実施するため、宮原客車区のマニ50形2両を改造したもの。
車内にオートバイの緊結装置を取付けたほか、特急列車に連結することからブレーキ装置を改良し、110km/h走行対応化も実施された。そのほか、電照式の愛称表示器が貫通路に設置されている。このバイク輸送列車は当初は「日本海モトトレイン」と称していたが、のちに「モトトレール」→「モトとレール」と改められている。
1998年シーズンを最後に「日本海モトとレール」が運転中止となり、翌1999年に廃車となった。
※ マニ50 2230・2256→マニ50 5001・5002


気動車化改造(キハ33形)
JR移行後に余剰となったオハ50形を気動車化した形式である。詳細はJR西日本キハ33形気動車を参照されたい。

[編集] JR四国

「アイランドエクスプレス四国」(オロ50形・オロフ50形)
1987年に改造製作された四国初の本格的ジョイフルトレインである。改造工事および届出はJR発足前に行われたが、使用開始はJR四国発足後となっている。グリーン車扱いとなりオロ50・オロフ50形の形式が与えられた。
5両編成だが、3両編成でも運用が出来るようになっていた。両端に連結されるオロフ50 1・2は車端部に開放展望デッキを設けたが、展望車を示す「テ」の記号は用いられていない。車体色は上半が白色、下半はJR四国のコーポレートカラーである水色となった。側面窓は固定式1枚窓に改造されている。オロフ50 3は中央部の3号車として使用される車両で、添乗員室と売店が設けられたが展望室は設置されていない。また種車である50系(オハフ50形)は和式便所しか備えていなかったが、洗面所を追加設置した。また1・2は洋式便所に改造されている。
車内は床が絨毯敷きとなり、座席は360度回転する1列3人掛のリクライニングシートに交換された。各種AV装置も搭載されている。冷房装置は分散式のAU13形5基を屋根上に設置した。暖房は種車の電気暖房装置を使用した。これら冷房、暖房、サービス用電源としてキハ58系から流用した4VK機関を回転数を落として防音対策を施工のうえ各車床下に設置した。110km/h走行に対応するため、A急ブレーキ弁の取付とブレーキ回路の変更が行われた。
1996年に外装、内装とも大幅なリニューアル工事を行ったが、1999年に廃車となった。本車の座席はキハ185系のキロハ186形「アイランドエクスプレスII」の改造に流用された。
※ オハ50 2249・2250→オロ50 1・2
※ オハフ50 2376 - 2378→オロフ50 1 ※ 3
通勤形改造車
高知市内にて静態保存されているオハ50 11の車内
高知市内にて静態保存されているオハ50 11の車内
従来の車に比してラッシュ時の対策が施されている50系であるが、通勤輸送に特化した車両としてJR四国が1988年に改造した車両である。
客室と出入台との仕切を撤去して、ボックスシート2組分をロングシート化している。戸袋窓部分のロングシートは撤去して立客スペースとした。全車1992年に廃車となっている。
※ オハ50 11・161・2253
※ オハフ50 187・272・275・427


[編集] JR九州

「SLあそBOY」用改造
700番台の外観・室内
 
700番台の外観・室内
700番台の外観・室内
1988年、「SLあそBOY号」と「SL人吉号」に使用するために改造されたもの。番号は700番台となっている。
外部塗装はレトロ調の配色とされ、車体は屋根をダブルルーフ化して車端部に展望室を設置し、客用扉は折戸に変更された。内装は難燃性木材を多用し、座席はボックスシートであるが、少人数での乗車を考慮して向合せの席と一方向向きの座席を併設する。中間のオハ50 701にはウエスタン酒場風のカウンターが設けられた。床下に冷房装置を取りつけ、冷房用の電源装置はオハ50形に搭載する。
2005年の「SLあそBOY」運転休止後、引続きディーゼル機関車牽引の「ディーゼルあそBOY」に使用されたが、2006年からはキハ58系を改造した「あそ1962」が運転開始されたため当初の運用がなくなり、現在は主に団体臨時列車に使用される。
※ オハ50 75→オハ50 701
※ オハフ50 39・40→オハフ50 701・702


冷房改造車
オハフ50-1280。上はダクトのない側、下はダクト側。右側出入口から4番目の窓が埋められている。
 
オハフ50-1280。上はダクトのない側、下はダクト側。右側出入口から4番目の窓が埋められている。
オハフ50-1280。上はダクトのない側、下はダクト側。右側出入口から4番目の窓が埋められている。
車内に冷房装置を搭載[7]した車両である。1991年に改造され、「元番号+1000」を付番して区別する。
冷房装置は783系電車の機器交換で取外したものを流用した。車体中央部のダクトから車内に空気を運ぶ方式で、ダクトを設けた部分は窓を埋め込んでいる。外部色は赤2号のままである。電源は床下に搭載されたディーゼル発電機から供給する。
筑豊本線(一部鹿児島本線へ乗入れ)と久大本線で使われたが、久大本線の運用は1999年で終了し、筑豊本線の運用も2001年10月の黒崎~桂川間電化による客車列車廃止で全廃された。同年春以降はオハフ50形のトイレを使用禁止とし、循環式のトイレを持つスハフ12形を編成に1両連結していた。これは運用終了までの過渡的な措置で、短期間の使用で終ることが明らかなオハフ50形のトイレへの循環式汚物処理装置設置改造を避けたものである。
※ オハ50 89・180 - 183・189→オハ50 1089・1180 - 1183・1189
※ オハフ50 276 - 288→オハフ50 1276 - 1288


[編集] 譲渡車

JR四国から譲渡されたオハフ50形で、1990年に譲渡されたものである。「うすずみファンタジア号」として使用されたが、冷房装置がなく、通風器部分の腐食が激しいことも災いし、1994年に14系客車が入線すると入れ替わる形で廃車となった。
オハフ50 100,267,269 → オハフ801~803
1993年、「SLもおか号」運転開始にともなって、JR東日本からオハ50形2両、オハフ50形1両を譲り受けたものである。内装は変更されていないが、外部塗色を茶色とし、窓下に白帯を引くとともに、編成端部の貫通幌を取り外している。2007年4月現在、唯一原型を保ったまま営業運転に供されている50系客車である。
オハ50 2198,2039 → オハ50 11,22
オハフ50 2054 → オハフ50 33
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現地の観光列車用として、海峡線で使用していたオハフ50形3両(5011ほか)オハ50形2両(5003ほか)の整備が2003年(平成15年)に苗穂工場で行われた。オハフ50形の1両 (5011) は冷房ディーゼルエンジンを室内に搭載し、客室窓が埋められるなど外観の変化がある。改造後、航送のため苫小牧港に送られたが、計画が中止されたため同地で解体された。オハ50-5003のみ解体から外され[要出典]、再び線路上に乗せられた。現在は五稜郭車両センター敷地内で保管されている。

[編集] 現状

国鉄時代は事故廃車もなく、座席車として製造されたすべての車両がJRに承継された。50形原形車は東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・四国旅客鉄道(JR四国)・九州旅客鉄道(JR九州)に承継され、電気暖房付き車両は九州以外の3社に承継された。51形はすべてが北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継されている。

国鉄末期以降、各地で「短編成・多本数」型のフリークエント・ダイヤへの転換[8]が相次ぐと、折り返し駅で機関車を付替える必要がない電車気動車への転換が進み、客車列車の本数は著しく減少した。用途を喪失した本系列は余剰となる車両が相次ぎ、キハ141系・キハ33形への改造に充てた一部の他は他に転用されず淘汰が進んだ。一般仕様車は、1996年3月30日の東北本線普通列車の全面電車化で運用を終了した電気暖房付車両を最後にすべて廃車となっている。

津軽海峡線快速海峡」が本系列最後の定期列車であったが、2002年11月30日で廃止され、定期列車の運用は消滅した。現在、JRで営業運転に使用される車両はJR北海道の「ノロッコ号」、JR九州のディーゼル「あそBOY」、「人吉」号など、観光を主目的とした不定期の列車に限られる。

[編集] 50系を使った夜行列車

主に通勤用として製造された50系であるが、定期の夜行列車に使用された事例が一例存在した。1985年3月14日のダイヤ改正で、それまでキハ58系気動車で運行されていた予讃本線土讃本線中村線(当時)経由の高松駅中村駅間の夜行普通列車731D・764Dのうち、下り列車が運行区間を高知駅までに短縮の上、50系客車に置換えられた(221列車。上り列車は廃止)。新聞輸送の需要があり下りのみ存続となった列車だが、客車列車自体が減少していた時期にあっての、異例な置換えであった。本列車は1988年4月10日のダイヤ改正で再び気動車となり、50系による定期夜行列車運用は3年あまりで終了した。[9]

[編集] 脚注

  1. ^ 荷物・郵便輸送においては、大都市部ではこれらの車両のみで編成される専用列車が多かったが、地方部では専用列車を運行するほどの需要がないため、旅客列車に荷物車・郵便車を混結していた。これらの車両はそのまま幹線系の荷物列車に連結して継送するため、直通運用を行う線区の郵便・荷物輸送は客車でおこなう必要があった。
  2. ^ 例として北東北地方の交流電化区間では、1985年3月14日国鉄ダイヤ改正宮城福島県の東北本線・常磐線から客車普通列車が廃止されたのを機に普通列車が全面的に旧形客車から50系客車に置換えられたが、1996年3月ダイヤ改正で客車普通列車が全廃され、電車に置換えられた。
  3. ^ 北海道向け51系およびオハフ50形のトイレ側は一般の片開き式で、柱の切欠きはない。
  4. ^ 車掌室つきのオハフ50形の方がオハ50形より多数製作された。
  5. ^ 普通客車列車では唯一の車内ブザー式である。他の客車列車は出発合図を無線で行う。
  6. ^ 津軽海峡線開業前は青函連絡船で航送していた。
  7. ^ 当初は客用ドアから機器を搬入する予定だったが装置が大き過ぎてドアから搬入できず車体の一部を切断して搬入した。
  8. ^ 当時地方線区の普通列車は、電化路線であっても電車そのものの不足もあり客車列車を淘汰できずにいたが、国鉄末期以降、電車急行列車の大幅な削減・廃止によって急行形電車に余剰が発生したことから、これに近郊向け改造・短編成化・中間車の先頭車化改造などを施して地方線区の普通列車を電車に置き換え、あわせて列車本数の増加を図った。
  9. ^ その後、この高松駅~高知駅間の夜行列車はバス運行(「とさじ号」)に置換えられて消滅している。

[編集] 参考文献

  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2007年2月号 No.785 特集『50系客車』
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1992年4月号 No.558 特集『50系客車』

[編集] 外部リンク


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