高橋誠一郎
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高橋 誠一郎(たかはし せいいちろう、1884年5月9日 - 1982年2月9日)は、新潟県生まれの経済学者。慶應義塾大学教授はじめ多くの要職を歴任。日本の経済学説史研究の泰斗であり、特に重商主義経済学説の研究は今もって世界的業績とされている。1978年、九十四歳まで母校で講義をし続けた。
1947年第1次吉田内閣の文部大臣となり教育基本法や学校教育法公布に尽力。芸術・芸能にも造詣が深く、浮世絵の収集・研究でも知られた。第二次世界大戦中にも国民服でなく和服着用で通したダンディで、洒脱な人柄でも有名。
[編集] 経歴
- 1884年、新潟県の廻船問屋津軽屋の一人息子として生まれる。
- 1888年、横浜へ転居。
- 1898年、慶應義塾普通科へ入学、三田の寄宿舎に入り福澤諭吉に親しく接する。
- 1908年、慶應義塾大学部政治科卒、普通科の教員となる。
- 1909年、大学部予科教員となる。
- 1911年、経済理論・経済学史研究のためヨーロッパへ留学するも、病を得て翌年秋に帰国。
- 1914年、大学部理財科教授(-1920年)。
- 1920年、大学令による慶應義塾大学発足に伴い経済学部教授(-1944年)。
- 1944年、慶應義塾大学名誉教授となる。以後、講師として1978年まで慶應義塾大学に出講。
- 1946年、慶應義塾長小泉信三の空襲による負傷に伴い、塾長代理を務める(-1947年)。
- 1947年、日本学士院会員。
- 1948年、日本芸術院長(-1979年)。
- 1949年、交詢社理事長(-1982年)。
- 1950年、文化財保護委員会委員長(-1956年)。
- 1955年、日本舞踊協会会長(-1981年)。
- 1957年、映倫管理委員会委員長(-1978年)。
- 1962年、文化功労者。
- 1966年、国立劇場会長(-1977年)。
- 1968年、慶應義塾大学より名誉博士の称号を受ける。
- 1973年、勲一等旭日大綬章受章。
- 1979年、文化勲章受章。
- 1982年、慶應義塾大学病院にて死去。
[編集] 主な生前の刊行物
- 『高橋誠一郎コレクション・浮世絵』全七巻、中央公論社、1975年-1977年
- 『回想九十年』筑摩書房、1973年
- 『春日随想』読売新聞社、1973年
- 『春信』講談社、1971年
- 『随筆慶應義塾—エピメーテウス抄』三田文学ライブラリー、1970年
- 『浮世絵随想』中央公論美術出版、1966年
- 『江戸の浮世絵師』平凡社、1964年
- 『新浮世絵二百五十年』中央公論美術出版、1961年
- 『浮世絵と経済学』毎日新聞社、1961年
- 『経済学、わが師わが友』日本評論社、1956年
- 『わがことひとのこと』慶應通信、1955年
- 『結婚指環』読売新聞社、1955年
- 『書斎の内外』要書房、1949年
- 『正統派経済学説研究』泉文堂、1949年(高垣寅次郎、堀経夫、久保田明光、中山伊知郎と共著)
- 『続経済思想史随筆』理想社、1949年
- 『浮世絵講話』好学社、1948年
- 『西洋経済学史』国元書房、1948年
- 『経済学史略 』慶應出版社、1948年
- 『西洋経済古書漫筆』好学社、1947年
- 『古版西洋経済書解題』慶應出版社、1943年
- 『改訂重商主義経済学説研究』改造社、1942年
- 『王城山荘随筆』三田文学出版部、1941年
- 『経済思想史随筆』理想社、1940年
- 『浮世絵二百五十年』中央公論社、1938年
- 『経済学史(上)』日本評論社、1937年(第1版)
- 『経済原論』慶應義塾出版局、1936年
- 『アリストテレース』三省堂、1934年
- 『経済学史』改造社、1934年(小泉信三、増井幸雄、加田哲二と共著)
- 『福澤先生伝』改造社、1933年
- 『重商主義経済学説研究』改造社、1932年
- 『経済学史』日本評論社、1929年
- 『経済学前史』改造社、1929年(第1版)
- 『経済学史研究』大鐙閣、1920年
[編集] 参考文献
- 『三田評論』慶應義塾、1982年6月号:追悼・高橋誠一郎
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