野島伸司
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野島 伸司(のじま しんじ、1963年3月4日 - )は、日本のテレビドラマ、映画の脚本家である。男性。近年、詩、絵本、小説の分野にも進出している。
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[編集] プロフィール
- 1963年3月4日、新潟県柏崎市生まれ。浦和市立高等学校(現さいたま市立浦和高等学校)を経て中央大学法学部政治学科中退後、渡米。ホームステイしながらUCLAに通う。
- 帰国後、飲食店、工事現場、缶詰工場などでアルバイトを経験。脚本家デビュー直前には、NHKの衛星放送の音楽番組のフロアディレクターのアルバイトをしていた。
- 1987年10月、脚本を学ぶため、シナリオスクール「東京山手YMCA」のシナリオ講座9期研修科へ入学。講師の一人であり、当時第一線で活躍していた脚本家・伴一彦に師事。
- 1988年5月、『時には母のない子のように』で第2回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞し、メジャーデビュー。『君が嘘をついた』(1988年、フジテレビ系)で連続テレビドラマの脚本家デビュー。以降、フジテレビの名物ドラマプロデューサー、大多亮と二人三脚で、トレンディドラマの脚本を手がける。
- 1993年、『高校教師』(TBS系)ではゴールデンタイム枠でありながら男性教師と女子高生の純愛、近親相姦という重いテーマを取り上げ、それを見事に書き切り、日本のテレビ業界に衝撃を与える。
- 1994年、『家なき子』(日本テレビ系)に企画・原案で参加し、「同情するなら金をくれ!」という名台詞が流行語となった。
[編集] 作風・評価・社会的影響
デビュー時より山田太一のような社会派テレビドラマを書くことを希望していた。大多亮にその希望を伝えた際に、(フジテレビの)局風に合わないと却下されている。その後、山田作品を多く制作した東京放送(TBS)に売り込みをかけ、その後長年にわたってコンビを組むことになるドラマプロデューサー伊藤一尋にアプローチ。ふぞろいシリーズなどのヒット作を生んだ金10枠を希望。野島が書くならと、伊藤Pや編成部も快諾した。
1992年の『愛という名のもとに』以降、暴力、いじめ、障害者、自殺問題など、現代社会の暗部を独自の視点で鋭く切り取った作品を多く手がけた。また、過去の作品の中でも、「同情」「偽善」というセリフが多く使われている。そのため、ありとあらゆる不幸が登場人物に苛烈なまでに襲いかかる展開が描かれ、過剰な描写も多い。さらに、作品終盤でヒロインが死ぬ、もしくは死んだように見せる展開も多い。このことには、ストーリー上の起伏をつけるための口実である、興味本位のあざとい手法である、軽々しく人の生死をドラマの演出として用いているなどの批判が多い。
このドラマ中のグロテスクな表現は、日本PTA全国協議会のアンケートでも度々問題として取り上げられる事が多い。野島脚本のドラマが高視聴率をマークするようになった1994年以降、野島作品を含めたテレビドラマが「子供に見せたくない番組」ワーストランキングに入るようになった(他の脚本家の作品には、『14才の母』や『ライフ』がランクインしている)。また、1998年の『聖者の行進』(TBS系)は、暴力描写の多さに視聴者からの抗議が殺到し、スポンサーの三共がTBS金曜ドラマ枠のスポンサーを降りるという事態も発生した。ナンシー関は生前、週刊文春のコラムで再三にわたって野島作品を「偽善である」と非難していた。後に週刊文春がこれに同調、「偽善ドラマ撲滅キャンペーン」と称して野島バッシングを繰り広げた。また、キャスティングの段階で、役内容(レイプシーン、いじめ役、近親相姦など)を理由にオファーを断わる事務所もあった(『高校教師』1993年版での観月ありさなど)。反面、人間の愛と死を独特の視点から深く問い直す作風に根強いファンも多く、常に賛否両論に晒される脚本家である。
独特のセンスによるドラマのテーマ曲選びが魅力の一つとなっている。1993年の『高校教師』(TBS)では森田童子、1995年の『未成年』(TBS系)ではカーペンターズ、2001年の『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』(TBS系)ではABBAを起用し、それぞれのリバイバル・ブームを巻き起こしている。
タイトルを既存の作品から借用することが少なくない。デビュー作の『時には―』はカルメン・マキのヒット曲(1969年発売、寺山修司作詞)と同名である。『人間失格』(1994年、TBS系)は太宰治の『人間失格』と同名であったため、ドラマスタート前に遺族からのクレームにより『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』と改題された(『たとえばぼくが死んだら』は森田童子の曲名)。この野島の手法について、児童文学作家舟崎克彦は自著のコラムの中で「過去の名作のパクり」「原作を知らぬ少年少女達の共感を煽って視聴率を稼いでいる」と厳しい非難を浴びせている。
[編集] 人物
- 速筆で知られ、作品の中には第1話が放送される前に全部書き終えてしまうこともある。その代わり書き直しには決して応じない[要出典]。唯一『高校教師』1993年版のラストシーンは例外として書き加えた[要出典]。
- マスコミなどへの露出を好まず、テレビ出演は皆無に等しい。また写真掲載も好まない。雑誌や制作発表でのインタビューの記事の掲載は稀にあり。
- 好きな女性のタイプは、「僕を守ってくれる人」。彼の書く女性キャラクターにも、それが生かされている。
[編集] 作品
[編集] 脚本
[編集] 単発ドラマ
- 時には母のない子のように(1988年11月20日、フジテレビ)
- フローズンナイト 「私だけのあなた」(1989年8月12日、フジテレビ)※4話からなるオムニバスの一本。
- 愛しあってるかい!スペシャル(1990年4月4日、フジテレビ)
- 世にも奇妙な物語 「死ぬほど好き」(1990年7月20日、日活、フジテレビ)※3話からなるオムニバスの一本。
- バレンタインに何かが起きる 「恐怖の義理チョコ」(1991年2月11日、TBS)※3話からなるオムニバスの一本。
[編集] 連続ドラマ
- 君が嘘をついた(1988年、フジテレビ)
- 愛しあってるかい!(1989年、フジテレビ)
- すてきな片想い(1990年、フジテレビ)
- 101回目のプロポーズ(1991年、フジテレビ)
- 愛という名のもとに(1992年、フジテレビ)
- 高校教師(1993年、TBS)
- ひとつ屋根の下(1993年、フジテレビ)
- この世の果て(1994年、フジテレビ)
- 人間・失格〜たとえばぼくが死んだら(1994年、TBS)
- 未成年(1995年、TBS)
- ひとつ屋根の下2(1997年、フジテレビ)
- 聖者の行進(1998年、TBS)
- 世紀末の詩(1998年、日本テレビ)
- リップスティック(1999年、フジテレビ)
- 美しい人(1999年、TBS)
- ストロベリー・オンザ・ショートケーキ(2001年、TBS)
- ゴールデンボウル(2002年、日本テレビ)
- 高校教師(2003年、TBS)
- プライド(2004年、フジテレビ)
- あいくるしい(2005年、TBS)
- 薔薇のない花屋(2008年、フジテレビ)
[編集] 映画
- 君は僕をスキになる(1989年)
- スキ!(1990年)
- 高校教師 もうひとつの繭の物語(1993年)
- ヒーローインタビュー(1994年)
- 家なき子(劇場版)(1994年)※企画を担当
[編集] 企画
- 家なき子(1994年、日本テレビ)
- 家なき子2(1995年、日本テレビ)
- フードファイト(2000年、日本テレビ) ※主題歌のSMAP「らいおんハート」の作詞を担当
- 仔犬のワルツ(2004年、日本テレビ)※最終回は野島自ら脚本を担当
[編集] 原案
[編集] 詩集
[編集] 絵本
- コオロギくんの恋(ワニブックス、2001年)
- コオロギJr.の愛(ワニブックス、2001年)
- 「コンちゃんのなまか」(フジテレビ、脚本のみ担当。2007年)未販売
[編集] 小説(ノベライズは除く)
- スワンレイク(幻冬舎、2002年)
- ウサニ(幻冬舎、2003年)
- スコットランドヤード・ゲーム(小学館・2006年)
[編集] 作詞
[編集] 関連項目
- 野島伸司シリーズ