藤城清治
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藤城 清治(ふじしろ せいじ、1924年4月17日 - )は、日本を代表する影絵作家。東京都出身。キャラクタ「ケロヨン」の原作者である。1989年 紫綬褒章叙勲、1995年 勲四等旭日小綬章受賞。
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[編集] 年譜
- 幼少時より、画才を認められる。
- 1936年、慶應普通部入学(12歳)。仙波均平に水彩画、エッチング、油絵の指導を受ける。
- 1944年、海軍予備学生となり、翌年少尉任官(20歳)、九十九里浜沿岸防備に就くも、赴任地で指人形を使い少年兵らと共に慰問演芸会を行う。
- 1947年、慶應義塾大学経済学部卒業。人形劇と影絵の劇場「ジュヌ・パントル」を結成。(「ジュヌ・パントル」は後年、「木馬座」と名称変更)東京興行(テアトル東京)入社、宣伝部勤務。
- 1948年、花森安治の雑誌『暮しの手帖』にて、影絵連載開始。(24歳)(影絵の連載は1996年まで続いた)
- 1950年、初の影絵絵本『ぶどう酒びんのふしぎな旅』出版(暮しの手帖社)。
- 1951年、芥川也寸志音楽による人形音楽劇『雪の女王』制作(銀座交詢社ホールにて生演奏による上演)。
- 1952年、アサヒビール系ビヤホールに影絵ガラス壁画を制作(銀座ピルゼン他)
- 1953年、朝日新聞日曜版紙面にて、影絵連載。伊福部昭音楽による影絵劇『せむしの子馬』を制作(銀座交詢社ホールにて生演奏による上演)。
- 1958年、「中央公論」連載の『西遊記』(邱永漢 作)の挿絵を担当(1962年まで)
- 1960年、影絵劇『海に落ちたピアノ』初演(大阪毎日ホール)。影絵画集「影絵」出版(東京創元社)。
- 1961年、木馬座による等身大ぬいぐるみ人形劇を創案。(37歳)
- 1966年、『木馬座アワー』のキャラクターとして、「ケロヨン」を創作。12月、日本武道館にて、第一回ケロヨンショーを開催。
- 1971年、テレビ東京にて『ベーバック』放映。この年の木馬座武道館公演が混乱し、問題となる。
- 1972年、「木馬座」解散(公演の混乱等の諸問題による)。影絵・人形劇公演自体は「ジュヌ・パントル」として、活動を継続。
- 1974年、「暮らしの手帖」にカラー影絵の連載開始。(1996年まで連載継続)
- 1977年、「藤城清治影絵画集」出版(講談社)。
- 1981年、影絵画集「イエス」出版(日本基督教団出版局)。(制作期間3年)
- 1983年、「藤城清治影絵の世界・シルエットアートその作品と技法」出版(東京書籍)。
- 1986年、「藤城清治影絵劇の世界・シルエットプレイその歴史と創造」出版(東京書籍)。
- 1989年、春の褒章にて、紫綬褒章叙勲。「鐘崎笹かまメルヘン館大壁画」制作。(仙台市)
- 1990年、影絵劇「幻想列車」制作上演(長崎「旅・博覧会」)。
- 1991年、影絵画集「天地創造」出版(日本基督教団出版局)。(制作期間11年)。影絵劇「森のメヌエット」制作上演(北九州博覧会)。
- 1992年、「藤城清治影絵美術館」開設(山梨県昇仙峡)。
- 1993年、影絵劇「夢ふたたび月へ」制作上演(信州博覧会)。
- 1995年、春の叙勲で、勲四等旭日小綬章を授章。
- 1996年、「藤城清治影絵美術館」開設(長野県白樺湖湖畔)。
- 1997年、影絵画集「ウィー・アー・ザ・ワールド/歌が世界を動かした」出版(星の環会)。影絵劇「夢きらめく海へ」制作上演(鳥取夢みなと博覧会)。
- 1998年、「コロボックル影絵美術館」開設(北海道生田原町木のおもちゃワールド内)
[編集] 作品
- 月光の響き
- 菜の花の道
- 猫と少女の音楽会
- 花の夢
- 地球賛歌(1992年):堺市中保健所壁画
- 光彩陸離(1998年):藤城清治コロボックル影絵美術館蔵(縦9m幅18m、影絵としては世界最大級の壁画)
- 生命賛歌(1999年):老人保健施設あんず 医療法人杏園会伊藤病院壁画
- 光る海・光る森(2000年):上尾児童館壁画
- 流響(1997年):JR上田駅待合室ふれんど内壁画
- 愛の泉(2004年):カルピス株式会社本社新館ロビー壁画
[編集] 映像作品
- 宇津救命丸CM(1975年頃)
- 朝日放送テレビのクロージング(1975年頃/BGMはキダ・タロー作曲)
- TEPCO天気予報オープニング(~1998年、テレビ東京)
- みんなのうた「HANA」(影絵)(2008年2月・3月、NHK)