芝中学校・高等学校
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過去の名称 | 芝中學校(旧制) |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人芝学園 |
校訓 | 遵法自治 剛毅敬虔 |
設立年月日 | 1906年3月 |
共学・別学 | 男子校 |
中高一貫教育 | 併設型(完全中高一貫制) |
課程 | 全日制 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科(高等学校) |
所在地 | 〒105-0011 |
東京都港区芝公園三丁目5番37号 北緯35度39分37.0秒東経139度44分47.0秒 |
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電話番号 | 03-3431-2629 |
FAX番号 | 03-3578-1212 |
外部リンク | 公式サイト |
芝学園中学校・高等学校(しばがくえんちゅうがくこうとうがっこう)は、東京都港区芝公園三丁目にある私立中学校・高等学校。校長は助川幸彦、理事長は服部正中。
目次 |
概要
戦前からの進学校として各界で活躍する幾多の人材を輩出してきた都内有数の名門中高一貫校である。校訓「遵法自治」のもとに自由で大らかな校風を特徴としている。
尚、生徒募集は中学校(男子280名)のみとなっており、高等学校からの募集は行わない完全中高一貫校である。2006年に創立100周年を迎えた。愛知県にある東海中学校・高等学校は兄弟校であり、転校生の相互受け入れを行っている。
沿革
- 13世紀頃 - 増上寺に浄土宗教育担当部局として存在する。この増上寺とのかかわりは校歌でも「三縁山(増上寺の山号)内伽藍の後……芝学園の甍は高し」と歌われている。
- 明治初期 - 宗学校として再編される。
- 1887年(明治20年) - 浄土宗東京支校となる。
- 1906年(明治39年)3月 - 芝中学校(旧制中学校)として設立。
- 1907年(明治40年)3月 - 第1回生14名が卒業する。
- 1910年(明治43年) - 校旗・校歌制定。
- 1916年(大正5年) 2月 - 校舎が全焼する。この際に校旗も燃えてしまったため、生徒からの募金で新校旗が調製される(平成まで使用された)。
- 1925年(大正14年) - 軍事教育訓練が始まる。
- 1926年(昭和元年) - 20周年記念行事が行われる。
- 1934年(昭和9年) 7月 - 千葉県竹岡に臨海寮開設。
- 1939年(昭和14年) - 校庭拡張。
- 1940年(昭和15年)11月- 35周年記念行事が行われる。
- 1945年(昭和20年)3月 - 戦災により校舎が全焼。麻布中学校・芝商業学校の教室借用。
- 1945年(昭和20年)3月 - 第39回生・第40回生が同時に卒業する。
- 1948年(昭和23年)3月 - 旧制中学校として最後の第43回生が卒業する。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により新制中学校・高等学校に改組される。
- 1951年(昭和26年) - 学校法人芝学園を設立する。
- 1956年(昭和31年) - 50周年記念行事が行われる。
- 1957年(昭和32年) - 芝中学事件。
- 1960年(昭和35年) - 校庭拡張。
- 1965年(昭和40年) - 水泳プール完成。
- 1966年(昭和41年) - 60周年記念行事が行われる。現講堂竣工。
- 1973年(昭和48年) - プール跡地に現体育館が竣工。
- 1976年(昭和51年) - 70周年記念行事が行われる。
- 1982年(昭和57年) - 高校入試廃止。
- 1986年(昭和61年) - 80周年記念行事が行われる。
- 1991年(平成3年) - 高校生の白鞄着用が自由化される。千葉県竹岡臨海寮が消防署の警告により建て替えられる。
- 1992年(平成4年) - 全館冷房化される。
- 1996年(平成8年) - 90周年記念行事が行われる。
- 1998年(平成10年) - 現校舎竣工。ニュージーランド研修が実施される。
- 1999年(平成11年) - 芸術棟竣工。
- 2002年(平成14年) - 中学生の制帽着用が自由化される。
- 2006年(平成18年) - 100周年記念行事が行われる。
- 2007年(平成19年) - 体育着のジャージの色が黄色から変わる。
交通・周辺環境
- 東京地下鉄日比谷線神谷町駅徒歩5分
- 銀座線虎ノ門駅徒歩15分、
- 都営地下鉄三田線御成門駅徒歩7分、
- 大江戸線赤羽橋駅徒歩10分、
- 浅草線大門駅徒歩15分、(付近には増上寺や東京タワー、NHK放送博物館などの観光名所も存在している。芝公園に隣接した、緑のある環境だが、愛宕グリーンヒルズなどのオフィスが集まる、ビジネス街の真ん中に立地している。
校舎
地上8階・地下1階で、地下1階から地上6階までが吹き抜けになっている。また、各階に赤エレベーター・青エレベーターが設置されて、縦長の校舎において、移動の便の役を果たしている。また階段もエレベーター傍にエレベーター色に対応し 赤階段、青階段がある他、2~7階で各学年E組隣(1階は体育館前、8階は第2生物室を通る)に非常階段が設置されている。
- 地下1階
- 技術室・家庭科室
- 生徒会室
- 売店
- 地下ホール
- 第一音楽室・第一美術室(芸術棟)
- 男子トイレ
- 教員用トイレ
- 1階
- 校長室
- 理事長室
- 同窓会室
- 会議室A~C
- 事務所(生徒用、来客用、教師用)
- 保健室
- 校庭
- 第二美術室(芸術棟)
- 来客・教員トイレ
- 2階
- 1A~G教室
- 職員室(印刷室・放送室併設)
- 面談室A・B
- クラブ掲示板
- 第二音楽室(芸術棟)
- 男子トイレ(行事の時は女子トイレ)
- 教員トイレ
- 3階
- 2A~G教室
- 図書室
- 自習室
- 男子トイレ
- 4階
- 3A~G教室
- 多目的室A~C
- MM教室(パソコンルーム・視聴覚室) ★2007年度、リニューアルオープン
- MM準備室
- 男子トイレ(行事の時は女子トイレ)
- 5階
- 4A~G教室
- 理科講義室
- 物理実験室
- 地学実験室
- 男子トイレ
- テラス(物理実験室に併設)
- 6階
- 5A~H教室
- 社会科教室
- 男子トイレ(行事の時は女子トイレ)
- テラス
- 7階
- 6A~H教室
- 男子トイレ
- テラス
- 8階
- 第一生物室
- 第二生物室
- 生物研究室
- 男子トイレ(行事の時は女子トイレ)
- 飼育室
- 暗室
- 第一化学実験室
- 第二化学実験室
- 化学研究室
- テラス
他に教育用施設として、臨海寮(臨海学校)が1934年以来千葉県富津市荻生の竹岡に設置されている。芝にはプールがないため水泳の教育ができない。そのため中1は毎年、夏休みはじめに臨界寮のある竹岡の海で水泳指導を受ける。
制服
制服の冬服は、黒の詰襟の5つボタン標準的な学生服で、中学生は右襟に学年、左襟にクラスの記号のバッジをつける。高校生は左襟に学年により地の色が違う「Shiba」のバッジをつける(1年生が赤、2年生が緑、3年生が青)。そのほか、学級の三幹事(学級委員に相当する)は桜のバッジをつける。放送委員・図書委員もバッジをつける。夏服は、ワイシャツに、中学生はグレー、高校生は黒のズボンとなる。
また、中学生は伝統ある「芝ブランド」を継承する白い布製の肩掛け鞄を着用する。なお、現在は中学生・高校生ともに制帽は廃止されている。
戦時中は、制服の色が国防色になったり、国民服に近い折り襟型になったこともあるという。
また、体操服は黄色地で、入学時に各学年で、赤、緑、青のどれかのラインが入っているものを購入し、6年間その色は変わらない。つまり、中1と高1、中2と高2、中3と高3が同じ色となる。
※2007年度より、30年以上続いた体操着が廃止となり、ミズノのものになる。新中1は全員が新ジャージとなるが、その他の学年の生徒は自由に購入とされる。
校風・カリキュラム
真理を拠り所とし、自らの力により自己を治めることを説く校訓『遵法自治』のもとに、自由で伸びやかな校風を特徴としている。 学校は仏教主義に基づく豊かな人格の養成の場として位置付けられており、全ての生徒の個性や自主性が尊重され、生徒は「法律を犯さない」「他人に迷惑をかけない」「他人に不快感を与えない」範囲で自由に行動することが出来る。したがって、校風はよく、自由でのびやかと評される(詰めの甘いぬくぬく教育という誤った解釈から「芝温泉」というひやかしもあるが、あくまで生活面の教育であり、実際は妥協のない学習カリキュラムが構成されている《当項第3段落目参照》)。
また、芝は家族主義の学校であり、生徒、教員、OB、保護者は全て芝学園という中の家族であって、互いに愛し合い支えあって生きて行くという考え方が根底に流れている。 従って、特に学校は生徒を如何なる場合でも大切にし、守って行かなければならないという姿勢がある。
学習カリキュラムは完全中高一貫校という特色を活かし、高2までの5年間で各教科の履修内容をほぼ終了させ、高3の1年間で大学受験の問題演習をみっちり行える体制が整えられている。 古くからの進学校としての歴史・伝統があり、戦後の新学制発足時から57年連続で東大合格者を輩出し続けている。
MM教室は2007年度より、パソコンが一新され、各生徒がパスワードを所持し、データを所有できるようになった。 日ごろは英語のリスニング教育に使用される他、放課後の自由貸し出し、自主学習用に開放されている。
豆知識
- 毎年、PTA主催で関係者向けにNHK交響楽団メンバーによるコンサートを講堂で開催している(無料)。
学校行事
学園祭:9月の第2土曜日・日曜日の2日間にわたって、秋の学園祭シーズンのトップバッターとして開催され、関東の高校の学園祭におけるベンチマーク的存在である。中・高の学園祭としては多めの、1万5000人以上の来場者を誇る。2007年度には、第60回記念学園祭が催される予定。
運動会:毎年5月のゴールデンウィーク期間直前に豊島園にて開催される。これは東京タワーの真下という極めて特殊な立地条件のため、校庭が狭く、保護者などの見学スペースがないばかりか、競技進行のスペースにも事欠くというやむをえない事情によるものである。2005年には第50回記念大運動会が催された。
- なお以前は大井埠頭中央海浜公園で行われていた。
学校説明会
校内で行事が催される場合、男子校という性格から、全てが男子トイレであるため、臨時で女子トイレが設置される。 詳しくは校舎の設備欄を参照。
部活動
生徒会
- 生徒会ボランティア
運動系
- 硬式テニス部…2002年に同好会として新設。
- ソフトテニス部 … 2003年に100周年を迎えた伝統ある部活である。硬式テニス部創設時には部員が激減したが、現在は人気のある部活である。
- バトミントン部
- 硬式野球部 … 中学生から硬式野球ができる学校は少ない。高3の夏まで部活を続ける部員がほとんど。本気で甲子園出場を目指している。
- 軟式野球部 … 関東大会出場(2002,2006年)
- スキー部 … 現役・OBとも暁星学園との交流が深く共同合宿などを行っている。
- 水泳部 … 現在プールはない
- 卓球部
- サッカー部
- バスケット部 … OBの絆が強い。偉大なる名物顧問の先生の指導が熱心。
- バレーボール部
- 少林寺拳法部
- 陸上競技部
- 剣道部
- 柔道部 … 何故か医学部進学者が多い。
- 山岳部
- ワンダーフォーゲル部…部活内容は主にトランプとサッカー。でも山登り合宿はハード。しかしトレーニングは
行わない、やらなくとも顧問は笑うのみ。
文化系 高いパフォーマンスや伝統、堅いOBとのつながりを誇る部活が多く存在する。最近ではウェブサイトを持つ部活やOB会が増え始めた。
- ギター部 … 2005年に40周年を迎えたギター部は全国1位をたびたびとるなど、ギター合奏といえば「芝学園」というほど有名であり、加えて現役生とOBの交流が深く演奏会の中には「OB合奏」と呼ばれるものも存在している
- 吹奏楽部 … かつての音楽部(2006年改名)
- 将棋部 … 麻布、桐朋に次ぐ強豪。伝統ある八中学リーグ(芝、麻布、桐朋、開成、早稲田、慶應中等部、慶應普通部、駒東)及び関東高校リーグ(芝、麻布、桐朋、開成、武蔵、慶應)で活躍中。
- 生物部 … 毎年の学園祭で多岐にわたり珍しい生き物の展示を行っており、これを目当てに学園祭に来たり、また生物部に入るために受験を希望する受験生もいる。夏季には山と海に2度合宿にいき、生活が活発になり活き活きとした生き物の観察をして、学園祭に発表している。生物科教諭は全員顧問に属す。
- 理化部 … 伝統ある名門部。技工部の母体でもあった。「理科系の芝」を象徴する部。
- ラジオ部 … Flashを使ったアニメーションを作ったり、プログラミングや、DTMによる音楽作成、エレクトロニクスなどを行っている。東京タワーのほぼ真下という電波条件も手伝って、学園祭以外の時期にも生徒に人気がある。
- 落語研究部 … 一際異彩を放っており、いかにも芝らしい趣のある部活の一つ。
- 技術工作部 … 自動車班、鉄道班、船舶飛行機班に分かれる。大掛かりな工作物を作成し、周囲を驚かせる。大学は理工系へ進学する生徒が多い。
- 天文気象部
- 写真部
- 考古学部
- 歴史部
- 絵画部… センスがいい。アーティスト。芸大・美大へ進学する生徒が多い。
- 釣り研究部 … 芝高校もっとも伝統のある部であったが、最近部員数が激減し、部の存続が危ぶまれている。
- アカペラ同好会
- 料理同好会
過去にあった部活&同好会 または現在活動休止中の部活
- 弁論部 … かつては、多くの法曹や政治家を輩出していたらしい。
- 新聞部 …北方謙三が所属していた部だが、3号で廃止になったという(ナツイチ2007より)。
- バルッチャ(バルーンアート)同好会…バルーンアートによるボランティア活動を行っていた。また、学園祭にも一度参加していた。
著名な出身者
- 樹下濳龍 -(浄土宗東京支校)浄土宗開教使。
- 渡辺海旭 - 第3代校長。カルピスの名付け親。
- 南部修太郎 - 5回生、文学者。
- 多忠亮 - 8回生、「宵待草」作曲者。
- 鈴木亜夫 - 8回生、画家。
- 板垣守正 - 12回生、立憲民政党の政治家。板垣退助の孫。
- 磯村英一 - 14回生、東京都立大学名誉教授・元東洋大学学長。
- 加瀬俊一-外交官、戦艦ミズーリ降伏調印団一員、サンフランシスコ講和条約時の国連大使。後、府立一中(日比谷高校)へ
- 阪本越郎 - 17回生、詩人。
- 小沢栄太郎 - 20回生、俳優。
- 田中一村(本名は田中孝) - 20回生、日本画家。
- 今井正 - 23回生、映画「青い山脈」監督。
- 青山杉雨(本名は青山文雄) - 24回生、謙慎書道会初代理事長、文化功労者、文化勲章受章。
- 堀米庸三 - 24回生、東京大学教授、西洋史学者。
- 吉田善彦 - 24回生、画家。
- 石田一郎 - 26回生、画家。
- 鵜川 昇 - 桐蔭学園 理事長・学校長
- 武田考玄-本名は土屋達一郎:四柱推命の研究で知られる。
- 中川順 - 31回生、元東京12チャンネル(現テレビ東京)社長。
- 加藤寛 - 元政府税制会長、慶應義塾大学名誉教授(元総合政策学部長)、千葉商科大学名誉学長。
- 真保潤一郎 - 34回生、大東文化大学教授。
- 中島直忠 - 37回生、文部科学省大学入試センター名誉教授・第11代校長。
- 峰島旭雄 - 39回生、早稲田大学名誉教授。元理事長。
- 鈴木良一 - 46回生、元警察庁長官。
- 加納時男 - 48回生、参議院議員。
- 吉田弘正 - 51回生、元自治事務次官。
- 中島誠之助 - 51回生、骨董屋「からくさ」店主、「開運!なんでも鑑定団」出演。
- 清水眞澄 - 53回生、成城大学文芸学部教授(東洋・日本美術史)。
- 篠山紀信 - 54回生、写真家。
- 山田邦明 - 57回生、創価学会副会長。
- 山岡三治 - 上智大学副学長、イエズス会神学院長、日本カトリック神学会評議員。
- 北方謙三 - 61回生、作家。
- 村上隆男 - サッポロホールディングス社長
- 田中實 - 元モービル石油副社長
- 長浜博行 - 72回生、衆議院議員。
- 杉崎泰一郎 - 73回生、中央大学大学院文学研究科教授(西洋史学)。博士(史学)。
- 服部健司 - 73回生、群馬大学大学院医学系研究科教授(医学哲学・倫理学)。博士(医学)、修士(文学)。
- 高木英典 - 74回生、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授、理化学研究所主任研究員。工学博士。
- 友部謙一 - 74回生、大阪大学大学院経済学研究科教授。暦象オーサリングツールによる危機管理研究(学術創成研究代表)。博士(経済学)。
- 山口祐一郎 - ミュージカル俳優
- はんつ遠藤 - フードジャーナリスト
- 工藤元司郎 - 元競輪選手
- 山村てるつぐ - 90回生、元品川区議会議員
芝学園校歌
作詞:杉田省三 作曲:島内英雄 補作:芳賀矢一
<1番> <1番> 汝の学校 いづこにあるぞ 我らの学び舎、芝学園はどこにある。 三縁山内(さんえんざんない) 伽藍の後(うしろ) 三縁山増上寺、常緑の松の緑に囲まれながら、 松柏凋(しぼ)まぬ 緑の中に 我らの芝学園は今日も大きく、高くそびえている。 芝学園の 甍は高し <2番> <2番> 汝の校旗よ 何をかかざす 我らの学び舎、芝学園の校旗の象徴は、 日本国民 世界に誇る それこそ日本国民が、世界に誇りに思うもの。 桜の花をば 染めたり赤く 赤い桜の紋章を、高く、大きく、堂々と! その色即ち 我等が心 我らの心を真っ直ぐに映せしもの。 <3番> <3番> 汝の希望よ 如何にぞ語れ 生徒の希望をここに語ろう。 日進月歩の 御国(みくに)の為に この世、日進月歩の、日本のためになるならば、 いさをし立ててぞ 名乗らむ我等 我らは喜んで立ち上がろう、名乗り出よう! 芝学園の 卒業生と 芝学園の卒業生と共に―――――。
事件史
- <芝中学校事件>
1957年(昭和32年)、保健体育教員(当時25歳。自分の担任生徒のなかに、都会生活に不慣れな生徒を揶揄したり、反抗的言動を示す者がいたのに対し、穏やかに説諭することなく、直ちに殴打するなどの挙動に出たことがある短気な一面があった)が、ある日、担任教室において、訓戒中に3年の生徒が騒いだ事に対して反省の黙祷をさせていた時、すでに授業を終えた隣組の生徒が野次目的でガラス戸付近で騒いだため、それを再三注意した。しかしある3年の生徒が突如右ガラス戸を音高く開け放ったまま、他の生徒とともに逃げ去ったのを目撃して憤激の余り追尾し、「今やったのは誰だ」と怒鳴り、生徒が「僕です」と答え、教員の前面に現われるや、「他人の家の戸を黙って開けていいのか」と詰問すると共に手拳で生徒の顔面を五回位殴打して暴行を加え、それに起因する脳機能障碍により死亡させた。
- 〔判旨と量刑〕
法令の適用に関しては、「法律によると、被告人の判示所為は刑法第二百五条第一項に該当する」とのみ判示し、懲役三年(未決勾留六十日を算入)の実刑に処した。
- 尚、芝学園では死亡した生徒への冥福を祈るとともに、芝学園の本来の基本理念である「生徒を大切にする教育」とは正反対の事態を引き起こしたこの事件を決して風化させることなく戒めとして語り継がれている。そして今日まで、如何なる場合でも「生徒を大切にする」ということを大前提とした教育が行われている。
- <中学入試誤採点事件>
2003年中学入試において、2月1日の第1回入学試験の理科の問題2箇所に採点違いがあり、答案の再採点を行ったところ、不合格者のうち3名が合格点を越えることがわかった(合格と判明した3名は全員が芝への入学を希望)。 同年4月30日付けで学校は「入学試験の誤採点に関するお知らせ」を関係各方面に通知するとともに、当該受験生(保護者)に、以下の対応策を行った。
- 今からでも芝への入学を希望するなら、いつでも受け入れる。
- 入学の時期は、今すぐ、5月の中間考査後、2学期から、2年次から、高校入学から、など希望のときにいつでも対応する。
- 現在、私学に通われている場合は、芝から在学校に事情説明とお詫びに伺う。
- 在学校に納入した諸費用(入学金や授業料、制服代他など)は、芝が払う。
- 当該受験生にお詫び料(10万円)を包む。
また、学内処分についても、以下のことを実施した。理事長:減給1ヶ月、校長:減給3ヶ月、懲戒処分:教諭3名、厳重注意:副校長・教頭・教諭2名