砲塔
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砲塔(ほうとう、英:Gun Turret)は、火砲の操作員や機構を保護すると同時に、さまざまな方向に照準し発射できるようにする装置である。
砲塔は通常、兵器を搭載する回転式のプラットフォームであり、対艦用の陸上砲台など要塞化された建造物・構造物のほか、装甲戦闘車両、水上艦艇、軍用機にも取り付けることができる。
砲塔には、単数または複数の機関銃、機関砲、大口径砲、ミサイル・ランチャーを装備することができる。また有人操作のものも、遠隔制御のものもあり、装甲が施されていることが多い。小型の砲塔や、大型の砲塔に付属する副砲塔はキューポラと呼ばれる。ただしキューポラという用語は、武器を搭載せず、戦車長などが観測のために用いる回転塔を意味する場合もある。
砲塔による防護の目的は、兵器とその操作員を戦闘による損害、天候、周囲の状況、自然環境などから守ることである。
砲塔(ターレット)という語は、要塞において建物や城壁の上に建てられた防御用構造物、「小塔(ターレット、turret)」が語源である。これに対して地面に直接建っている構造物は塔(タワー、tower)と呼ばれる。
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[編集] 軍艦
[編集] 歴史
19世紀中頃に大口径・長射程の砲が開発されるまで、古典的な設計の戦艦は両舷側方向に砲を並べており、砲は砲郭(casemate)内に収められることが多かった。艦の片舷、限られた範囲にしか照準できない砲を多数積むことで火力を発揮していたのである。また安定性の問題から、全備砲のうち大型の重砲は少数しか搭載できなかった。また砲郭は喫水線近くに置かれることが多かったため浸水に弱く、穏やかな海でしか使えなかった。これに対して砲塔ならば、より少数の砲で艦の両舷のどちらにも照準でき、同時に装甲によって砲員を防護することもできる。
もっとも早く砲塔を搭載した軍艦のひとつはアメリカの装甲艦モニターであり、全周回転式の装甲ドラム1基に先込め式のダールグレン砲2門を搭載していた。また当時使われた別の方式では、固定式ドラム(バーベット)を用い、その中で砲座が回転するものもあった。この場合はバーベットの縁の上に砲身が突き出すことになる。後の設計では、砲およびバーベットの上にかぶさるよう装甲板を置いた「フード付きバーベット」が開発された。
1908年に登場したアメリカのサウスカロライナ級戦艦では、中心線装備砲の射界を広げるために、前後とも2基の砲塔の高さに差をつける背負式配置が採用された。これは船体構造を強化しようと全主砲塔を艦の中心線へ移動させたために必要となった措置である。この新配置は、同時代のイギリス戦艦ドレッドノートとは好対照である。ドレッドノートには多くの革命的な点があったものの、依然2基の舷側砲塔を持っていた(つまり全砲塔が中心線上にあったのではない)。サウスカロライナが進水するまで、背負式配置の価値が実証されたことはなく、当初は前のバージニア級戦艦で採用された主砲と副砲を積み重ねる2階建て砲塔の弱点が繰り返されるのではないかと危惧されていた。
さらに大きな進歩を遂げたのは、艦中央部の「Q」砲塔を廃して、砲塔を減らす代わりにさらに大型の砲を搭載した日本の金剛型巡洋戦艦(1913年)とイギリスのクイーン・エリザベス級戦艦(1915年)であった。
第一次世界大戦期の艦艇は一般に連装砲塔を採用していたが、大戦間から第二次世界大戦期の艦艇では3連装砲塔やさらには4連装砲塔もよく見られるようになった。これは砲塔の総数を減らし、装甲防護を改善できる効果があったが、4連装砲塔は構造がきわめて複雑になり、実用上は不便であることががわかった。
軍艦において史上最大の砲塔は第二次世界大戦中の戦艦のもので、重装甲の閉鎖戦闘室によって多数の砲員を保護していた。大型戦艦の主砲の口径は、通常12インチ ( 30.5 cm ) から18インチ ( 46 cm ) であった。46 cm砲を搭載した戦艦大和の砲塔は、1基で約2,500トンの重量があった。戦艦の副砲(または巡洋艦の主砲)では、通常 5 - 6インチ (127 - 152 mm)であった。より小型の艦艇には 3インチ (76mm) かもう少し大きな砲を搭載したが、これらはほとんどの場合、砲塔を必要としなかった。
[編集] 砲塔のレイアウト
海軍の用語としての「砲塔」は伝統的に、砲の全機構が回転し、円柱形の基部(トランク)が甲板を貫いて艦内に伸びているものだけを意味する(訳注:基部が甲板を貫通していないものを、本来の砲塔ではないという意味で日本では「砲塔式」と呼ぶことがある)。上甲板より上に出ている回転部分は砲室 (gunhouse) と呼ばれ、砲の機構と操作員を保護するとともに、ここで砲弾の装填が行なわれる。砲室は回転するローラーの台座に乗っており、物理的に艦体に固定されてはいないため、もし艦が転覆した場合には艦体から落ちてしまうはずである。砲室の下からは円柱形の基部が伸びており、弾薬の取り扱いを行なう作業区画と、艦内の弾庫・火薬庫から砲弾と装薬を上げる昇降機が入っている。
昇降機(揚弾薬機)には、砲弾と装薬をまとめて上げるもの(上のイギリス艦砲塔の動画を参照)、別々に上げるもの(アメリカ艦砲塔の断面図を参照)がある。作業区画と基部は砲室とともに回転し、まとめて装甲を施した防護バーベットの中に収められている。バーベットの下端はは主装甲甲板(動画の中の赤い線)にまで及ぶ。砲塔のいちばん下には揚弾薬室があり、ここで弾庫・薬庫から出した砲弾と装薬が昇降機に乗せられる。
揚弾薬装置と昇降機は、砲塔基部の弾庫・火薬庫から砲弾と装薬を運搬する複雑な機械である。砲弾の重量が1トン前後にもなることを考えれば、昇降機は強力かつ迅速に砲弾を運搬できなければならない。動画に示した15インチ砲塔は、装填と発砲のサイクルを1分間で完了できるようになっている[1]。
装填システムには一種の連動機構が付いており、砲室から弾薬庫までの経路が絶対に一度に開くことのないように、つまり爆炎が弾薬庫まで届かないように(理論上は)なっている。砲塔周辺の区画を兵員が移動するには、防炎扉と昇降口を開閉して行なう。大口径砲では通常、全動力式または半動力式の押し込み機によって、砲尾に重い砲弾と装薬を押し込む。砲弾を押し込むためには昇降機と砲尾が一列に並ばなければならないため、通常、砲弾を装填できる仰角の範囲には制限がある。つまり砲はいったん装填仰角に戻り、装填され、その後再び照準仰角に戻るのである。動画に示した砲塔では、押し込み機が砲を収める架台に固定されているため、より広い範囲の仰角で装填が可能になっている。
[編集] 舷側砲塔
舷側砲塔 (wing turret) とは、艦の中心線から外れて舷側やスポンソンに配置された砲塔である。
舷側砲塔では射界が制限されるため、通常、片舷の火力だけにしか貢献できない。しかし砲撃戦でもっとも多いのは片舷砲戦であるのだから、これは舷側砲塔の最大の弱点である(反対側の砲が無駄になる)。ただしイギリスのドレッドノートのような配置では、舷側砲塔が首尾方向にも砲撃できた。これは丁字戦法を取られた場合の不利をいくぶん解消し、また後方の敵に応戦することもできた。
イギリスのインヴィンシブル級巡洋戦艦、ドイツのフォン・デア・タン巡洋戦艦のように、2基の舷側砲塔がいずれも両舷真横に発砲できるよう斜めにずらして配置する試みもあった。しかしこれは発砲時の爆風のため、自艦の甲板に大きな被害を引き起こす危険があった。
舷側砲塔は、1800年代後半から1910年代初めまでの主力艦や巡洋艦では標準的であった。またドレッドノート以前の戦艦でも、主砲より小口径の副砲には舷側砲塔が使われていた。大型の装甲巡洋艦では主砲にも舷側砲塔が使われることがあったが、砲塔ではなく砲郭を用いるほうが多かった。当時は砲の性能と砲撃管制の問題から交戦距離が短く、小口径砲を多数装備するほうが敵艦の上部構造物と副砲を破壊しやすく、価値が大きいと考えられていた。
1900年代前半には、砲の性能、装甲の質、艦の速力が全般に高まり、交戦距離も延びていった。結果として、副砲の有用性は減少した。そこで初期のド級戦艦は、11インチか12インチ口径の「全大口径砲 (all big gun)」装備を行なうようになり、その一部は舷側砲塔として配置された。しかしこの方式は十分とは言えなかった。舷側砲塔では舷側斉射の射界が狭くなるだけでなく、大型化する砲の重量による艦体構造への負担が大きくなり、適切な装甲を施すことがますます難しくなったからである。また後のさらに大型の砲、たとえばアメリカ海軍最大の巨砲、マーク 7 50口径16インチ砲は艦体に対する負担があまりに大きく、舷側砲塔に入れることは不可能だった。
[編集] 現代の砲塔
現代の水上艦でも大口径砲を装備しているものは少なくないが、口径は通常、3 - 5インチ(76 - 127 mm)である。砲室は砲機構の単なる耐候カバーであることが多く、強化プラスチックなどの軽い非装甲の素材でできている。また現代の砲塔は自動化されているものが多く、砲塔内は無人で、給弾システムに弾薬を補給する少人数のチームがいるだけに過ぎない。また小口径の砲では機関砲の原理で動作するものも多く、砲塔をまったく持たず単に甲板にボルト留めされていることもある。
[編集] 名称
軍艦の砲塔にはそれぞれ識別名があった。イギリス海軍では文字で、前部の砲塔は前から順に「A」「B」…、後部の砲塔は前から「X」「Y」、そして中部の砲塔は前から「P」「Q」「R」と呼んだ。一部に例外があり、たとえば「C」と呼ぶべき砲塔をダイドー級軽巡洋艦では「Q」、ネルソン級戦艦では「X」と呼んでいた。(ネルソン級の場合、この砲塔は主甲板レベルで艦橋構造物と「B」砲塔に挟まれており、前方と後方への射撃は制限を受けた。)
副砲塔には「P」(左舷、Port)と「S」(右舷、Starboard)の文字を付し、艦首から順に番号を振った。たとえば「P1」は左舷のもっとも艦首寄りの砲塔である。
例外もある。イギリスの戦艦エジンコート (Agincourt) には砲塔が7基もあったため、曜日の名前で「マンデー(月曜日)」「チューズデイ(火曜日)」…「サンデー(日曜日)」と呼ばれた。
ドイツ海軍では通常、艦首から順に「A」「B」「C」…であった。この時、無線用の符号(フォネティック・コード)を使って砲塔を呼んだ。例えば戦艦ビスマルクの4基の砲塔は「アントン (Anton)」「ブルーノ (Bruno)」(または「ベルタ (Berta)」)「カエザル (Caesar)」「ドーラ (Dora)」となる。
訳注: どなたかアメリカ海軍と日本海軍について書いてください
[編集] 地上要塞
砲塔は、フランスのマジノ線など固定した地上要塞にも、またフィリピン、コレヒドール島付近のフォート・ドラム(「コンクリート戦艦」と呼ばれた)など沿岸防衛のための要塞砲にも使われてきた。またアルバニア、スイス、オーストリアなど、旧式戦車の砲塔をコンクリートのトーチカに埋めて用いた国もある(通常は峠道などの隘路を確保するためである)。
[編集] 航空機
最初は、航空機の搭載機銃は、決まった方向に固定されたか、単純な回転機銃架(スイベル)に取り付けられていた。スイベルは後に、機銃をどう向けても機銃手がその真後ろに位置を保てる回転機銃架、スカーフ・リング (Scarff ring) に発展した。航空機の性能が上がって高高度、高速で飛行するようになると、天候から保護する必要が生じ、機銃座を囲い込んだり、シールドを付けるようになった。イギリス空軍で動力式機銃塔(ターレット)を搭載した最初の爆撃機は、1933年に初飛行したボールトンポール オーヴァーストランドであった。オーヴァーストランドは機首の機銃塔に1挺の機関銃を搭載していた。やがて機銃塔の数、搭載機関銃の数が増えていき、第二次世界大戦のイギリス空軍の重爆撃機は通常3基の動力式機銃塔を備えていた。特に機体後部の機銃塔には、4挺の7.7 mm (0.303 in) 機銃を備えていた。これは「テイル・ガンナー」または「テイル・エンド・チャーリー」ポジションと呼ばれていた。
またイギリスでは「砲塔戦闘機 (turret fighter)」のアイデアも生まれた。ボールトンポール デファイアントが実例であるが、翼内に前方固定式機銃を持たず、操縦席背後の機銃塔(7.7mm 4連装)だけを武装としたものである。このアイデアが生まれた当時は、戦闘機の標準的な武装は機関銃2挺だけであった。編隊を組んで飛ぶ重武装の爆撃機を迎撃する場面において、砲塔戦闘機の一団なら(後方だけでなく)側面、背後、下方からも攻撃でき、柔軟に火力を集中できると考えたのである。このアイデアは爆撃機を攻撃する際には一理があったが、他の戦闘機と戦う際に実用的でないことがわかった。砲塔の重量と空気抵抗のため、固定機銃を装備した単座戦闘機よりも鈍速になるためである。
ジェット機時代の到来により、爆撃機の自衛用機銃塔はすたれていった。とはいえこの時代にも、ボーイング B-52 爆撃機など機尾に限定旋回のできる機銃座を備えていた機体は少なくなかった。しかしながらこれらの尾部機銃座も、乗員数の節約、ペイロードと速度の向上のため、まもなく廃止されていった。
航空機の機銃塔搭載位置はさまざまで、次のように呼ばれる。
- ドーサル (dorsal) - 胴体上面
- ベントラル (ventral) - 胴体下面
- リア (rear) または テイル (tail) - 機尾
- ノーズ (nose) - 機首前方
- チン (chin) - 機首下面
[編集] 装甲戦闘車両
現代の戦車では、砲塔は乗員保護のために装甲され、一般的に105 - 125 mm程度の大口径戦車砲1門を搭載し、360度全周に回転する。照準用の同軸機銃を砲塔内に装備していることがある。戦車砲塔は通常2人以上の乗員を収容する(一般的に戦車長と砲手、さらに装填手が加わることが多い)。
その他の装甲戦闘車両でも、用途に合わせて砲塔に戦車砲以外の武装を備えている。歩兵戦闘車は小口径砲、機関砲、対戦車ミサイル・ランチャーを、単独か組み合わせて搭載していることがある。現代の自走砲は、戦車よりも大きな口径の火砲を搭載しているが装甲は戦車よりも薄い。また軽車両でも機関銃1挺を装備した1人用砲塔を積んでいることがある。
[編集] 脚注
- ^ Capt. S. W. Roskill, RN, HMS Warspite, Classics of Naval Literature, Naval Institute Press, 1997 ISBN 1-55750-719-8