百人町
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百人町(ひゃくにんちょう)とは、東京都新宿区にある地名。百人町一丁目から百人町四丁目までの町域を指す。1932年までは東京府豊多摩郡の自治体名。
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[編集] 概要
かつて戦前は東京有数の高級住宅街として、戦後は「音楽の町」「楽器の町」として知られていたが、現在は新宿区内で最も外国人居住者の多い場所であり、大久保と合わせて関東最大のコリア・タウンといわれている。周辺に韓国や中国をはじめ、タイ、ミャンマー等のアジア諸国の料理店・雑貨店といったエスニックの要素が顕著であることで有名な街であるが、地理的に新宿の繁華街から連続しており、各種オフィスも多い。現在も黒澤楽器店本社のほか複数の楽器店やライブハウスが存在しており、「音楽の町」の命脈は保っている。他に一般住居や各種専門学校が多く集まる、あるいは、歌舞伎町に近い地区にはラブホテル街が立ち並んだりといった色々な顔を持つ街でもある。
[編集] 歴史
百人町の地名の由来は、内藤清成が率いていた伊賀組百人鉄砲隊の屋敷があったことから名付けられた。百人組と呼ばれた江戸の街の警護を担当する鉄砲隊は、その鉄砲術が江戸でも一二を争うほどの腕前であったという。新大久保駅前にある皆中稲荷はそれにちなんでいる。
- 1889年 - 市制町村制施行により、南豊島郡大久保百人町・東大久保村・西大久保村が合併し大久保村が発足。
- 1895年 - 大久保駅開業。
- 1912年 - 大久保村が町制施行
- 1914年 - 新大久保駅開業。
- 1932年 - 大久保町は東京市に編入され、淀橋区に属す。
- 1950年 - ロッテ新宿工場竣工
- 1952年 - 西武鉄道高田馬場駅~西武新宿駅間が開業。百人町に西武新宿線も通ることになったが駅の開設はなかった。
[編集] 主な建物・施設
- 東京グローブ座
- 黒澤楽器店本社
- 社会保険中央総合病院
- 俳句文学館
- 国立科学博物館新宿分館
- ホテル海洋
- ロッテ新宿工場
- グレッグ外語専門学校新宿校
- 日本電子専門学校
- 皆中稲荷神社(鉄砲が命中するご利益があるというので当地にあるが、現在では賭事の神としてご利益を求める人が多い。)
[編集] 沿革と都市計画
コリア・タウンとなる前は、新宿界隈とともに「音楽の町」「楽器の町」として知られていた。終戦直後、戦地から復員した人々が新大久保駅付近に楽器修理店を出したことが契機となり、楽器店が増加。音楽関係者が集まる町となっていった。1950年代から1960年代には歌声喫茶やジャズ喫茶が多い町として知られた。1960年代後半にはライブハウスが増え、当時のグループ・サウンズ・フォークソングブームの発信源となった。1967年には百人町にて黒澤楽器店が創業。しかし1980年代以降は「若者の町」としてあらゆる流行の発信源となった原宿・渋谷に圧倒されるようになり、「音楽の町」としては衰退。1990年頃のアマチュアバンドブームにも乗り遅れた。しかし現在も黒澤楽器店本社のほか複数の楽器店やライブハウスが存在しており、「音楽の町」の命脈は保っている。
終戦後は日雇い労働者や在日朝鮮人などが空き地や山手線・中央・総武線のガード下を不法占拠して住みつくようになり、現在の大久保界隈の元になるバラック街が形成された。1950年代には済州島四・三事件や朝鮮戦争の影響で朝鮮半島から逃れてきた朝鮮人が流入。現在のようなコリア・タウンが成立した。1950年にロッテ新宿工場が操業を開始すると、雇用を期待した本国の朝鮮人や在日朝鮮人などが更に集まった。簡易宿所も増え、1960年代には一時東京では山谷と並ぶ寄せ場となっていた。
1970年代頃からエスニック料理店や韓国・朝鮮雑貨店などは少数ながら点在していた。韓国で海外旅行が自由化された1980年代末以降、いわゆるニューカマーの韓国人の住民が増え始め、国際化・グローバル化の影響で1990年代以降韓国・中国・フィリピン・タイなど周辺アジア諸国関連の店舗や留学生向けのアパート・日本語学校などが増加した。バブル期には東南アジア出身の「ジャパゆきさん」や出稼ぎのイラン人の姿もよく見られた。近年の韓流ブームも相まって、エスニック系の店を訪れる日本人も増えている。マスコミュニケーション等では観光名所を紹介する視点から職安通りや大久保通り沿いに軒を連ねる韓国・朝鮮系商店などが紹介されることが多いが、いずれも基本的には大久保界隈の在日朝鮮人が生活物資を手に入れるための店である。1990年代以降のドヤ街の労働力需要の低下により大久保の日雇い労働者・ホームレスは減りつつあるが、現在も簡易宿所は複数存在している。またかつての簡易宿所の中には建物を改築して格安ビジネスホテルやラブホテルに業態変更した宿も多い。
- 1946年に都市計画決定された都市計画道路補助72号線の建設が現在も行われているが、職安通りから大久保通りを経てロッテ新宿工場西側・東京都清掃局新宿中継所南側までの区間、つまり山手線・西武新宿線の東側に隣接する大久保界隈のみが未整備である。戦後の不法占拠等の影響により土地の権利関係が複雑化しており、また新大久保駅付近には計画に反対し土地買収に応じない地権者がいるため、予定地の区画整理事業は停止している。新宿区が取得した予定地は未利用の更地となっているほか、荒廃した建物が少なからず残っている。2001年5月には新大久保駅近くの線路沿いに存在した旧簡易宿所建物から不審火が発生し半焼。間もなく治安・防災上の観点から一部の廃屋が撤去された。
- 1972年百人町三丁目・四丁目地区が東京都から広域避難場所指定を受けたことから、1984年、新宿区は「百人町三丁目・四丁目地区整備計画」の構想を発表し、1990年に計画決定。防災上の観点から木造住宅の建て替え・建築研究所跡地の防災公園化(新宿区立百人町ふれあい公園)・狭隘な路地を解消し新たに街路やポケットパークを整備する等の都市防災不燃化促進事業が行われた。現在ほぼ完成している。
[編集] 地域内の商店会
- 新宿百人町明るい会商店街振興組合 百人町1・2丁目
- 新宿電話局通り親交会 百人町1丁目
- 新宿百人町三丁目商店会 百人町3丁目
[編集] 地域内の町名一覧
- 百人町 … 百人町一丁目から百人町四丁目まで。大久保駅・新大久保駅共に住所は百人町一丁目になる。歌舞伎町を挟んで、韓国人向けの店舗が多い職安通りがある。他に、駅周辺は住居にラブホテル・専門学校などが混在している。地名の由来は「百人組」に因む。駅周辺以外は、住宅街。建て替えの済んだ都営住宅や高層マンションがある。
このほかに旧大久保町としての区域には新宿六丁目・新宿七丁目や歌舞伎町二丁目も含み、牛込地区の余丁町も江戸時代は大久保村であった。
[編集] 住居表示実施前後の地名の対応
実施後 | 実施年月日 | 実施前(注意書きのないものはその一部) |
百人町一丁目 | 1971年6月1日 | 百人町二丁目(全部) |
百人町二丁目 | 百人町三丁目(全部) | |
百人町三丁目 | 百人町四丁目、戸塚町四丁目 | |
百人町四丁目 | 1975年6月1日 | 戸塚町三丁目、戸塚町四丁目 |
[編集] 外部リンク(近隣の情報等)
- 大久保特別出張所
- 新宿区環境土木部道とみどりの課 都市計画道路補助第72号線の整備
- 新宿区都市計画部地域整備課 百人町三丁目・四丁目地区のまちづくり
- 新宿区都市計画部地区計画課 百人町三丁目・四丁目地区地区計画
[編集] 大久保を舞台とした作品
[編集] ギャラリー
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