小日向
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小日向(こひなた)
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小日向(こひなた)とは、東京都文京区にある地名。小日向一丁目から小日向四丁目まである。居住人口は7,074人(2007年10月1日現在)。郵便番号は112-0006。
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[編集] 歴史
第六天町、茗荷谷町、小日向水道町、小日向台町、三軒町、清水谷町などが合併されて誕生。
小日向の名は、1559年(永禄2年)の文献にすでにあった。鶴高日向という人の所領で、家が絶えたあと、「古日向」といっていたのがいつしかこの名になったとされる。
[編集] 特色
小日向台という台地があり、坂が多い。坂には「切支丹坂」・「薬罐(やかん)坂」など江戸期からの名称がついている。閑静な住宅街。石川啄木・安部公房・横溝正史などの旧居があった。
小説にもよく登場する。
- 夏目漱石『坊っちゃん』「・・その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は25円で、家賃は6円だ。清は玄関つきのいえでなくってもしごく満足の様子であったが気の毒なことに今年の2月肺炎にかかって死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。」(この「養源寺」は小日向の本法寺がモデルとされている。)
- 夏目漱石『琴のそら音』「竹早町を横ぎって切支丹坂へかかる。なぜ切支丹坂と云うのか分らないが、この坂も名前に劣らぬ怪しい坂である。坂の上へ来た時、ふとせんだってここを通って「日本一急な坂、命の欲しい者は用心じゃ用心じゃ」と書いた張札が土手の横からはすに往来へ差し出ているのを滑稽だと笑った事を思い出す。今夜は笑うどころではない。命の欲しい者は用心じゃと云う文句が聖書にでもある格言のように胸に浮ぶ。坂道は暗い。滅多に下りると滑って尻餅を搗く。険呑だと八合目あたりから下を見て覘(ねらい)をつける。」 (ここの「切支丹坂」は庚申坂を指しているようだ。)
- 志賀直哉『自転車』「恐ろしかったのは小石川の切支丹坂で、昔、切支丹屋敷が近くにあって、この名があるといふ事は後に知ったが、急ではあるが、それ程長くなく、登るのは兎に角、降りるのはそんなに六ケ(むつか)しくない筈なのが、道幅が一間半程しかなく、しかも両側の屋敷の大木が鬱蒼と繁り、昼でも薄暗い坂で、それに一番困るのは降り切つた所が二間もない丁字路で、車に少し勢がつくと前の人家に飛び込む心配のある事だつた。私は或る日、坂の上の牧野といふ家にテニスをしに行つた帰途、一人でその坂を降りてみた。ブレーキがないから、上体を前に、足を真直ぐ後に延ばし、ペダルが全然動かぬやうにして置いて、上から下まで、ズルズル滑り降りたのである。ひよどり越を自転車でするやうなもので、中心を余程うまくとつてゐないと車を倒して了ふ。坂の登り口と降り口には立札があつて、車の通行を禁じてあつた。然し私は遂に成功し、自転車で切支丹坂を降りたのは恐らく自分だけだらうといふ満足を感じた。」
[編集] その他
- かつて茗荷谷町付近はその地形の美しさから、「茗渓」(めいけい)という美称でも呼ばれていた。現在でも「茗渓」という名の会館などを目にする事が出来る。
- 地元では「こびなた」と「ひ」の濁音で発音されていることが多く、行政上の表記/発音「こひなた」については異論も多い。1965年前後の住居表示に伴う調査の際「濁音なし」を採用したが、他方、学校名や町会名などが古くからの「濁音あり」で呼ばれ/書かれ続けている;
- 「文京区議会 総務区民委員会会議録(平成14年12月3日)」(2002年12月3日)
- 「文京区議会 決算審査特別委員会会議録(平成14年10月7日)」(2002年10月7日)
- (上記リンクのページ内で文字列検索「小日向」をすると探しやすい)
[編集] 周辺施設
- 東京メトロ丸の内線茗荷谷駅
- 拓殖大学文京キャンパス
- 文京区立小日向台町小学校
[編集] 資料
- 井沢宣子 2000 『東郷館の人びと―東京「小日向台」物語』 三一書房