獣神サンダー・ライガー
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獣神サンダー・ライガー | |
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プロフィール | |
リングネーム | 獣神サンダー・ライガー 獣神ライガー 鬼神ライガー マスクドC.T.U-L マスクドイエロー ハラキリ・ハカタ2号 CTU CATS THUDER TAMA |
本名 | 非公開 |
ニックネーム | 怒りの獣神 ジュニアの象徴 |
身長 | 170cm |
体重 | 95kg |
誕生日 | 1989年4月24日 |
出身地 | 永井豪宅 |
所属 | 新日本プロレス |
スポーツ歴 | レスリング |
トレーナー | 藤波辰巳 山本小鉄 藤原喜明 堀辺正史 |
デビュー | 1989年4月24日 |
獣神サンダー・ライガー(じゅうしんサンダー・ライガー、1989年4月24日 - )は、日本の新日本プロレスに所属する覆面レスラー。本名は非公開。永井豪宅出身。血液型AB型。
上記のプロフィールはライガーとしてのもの。彼の正体は新日本プロレスに所属していた山田 恵一(やまだ けいいち、1964年11月10日 - ? )であると言われている。実際、テレビ出演の際のライガーのプロフィールが山田のものだったことや、プロレスの生放送中にマスクを剥がされ素顔をさらしてしまった事もあったが、ライガー自身は「山田は死んだ。リバプールの風になった」と発言している。
目次 |
[編集] 来歴
ここではライガーと関係が深いとされる山田恵一の経歴も記載する。
[編集] 山田恵一
広島県広島市中区江波(えば)出身。広島電機大学付属高等学校(現・広島国際学院高等学校)在学時からレスリングで頭角を現し、国体にも出場した。同じ大会に三沢光晴や川田利明も出場している。
高校卒業後、新日本プロレスの入門テストを受験。体力テスト等は合格基準を満たしたが、身長が低かったために不合格にされる。その後単身でメキシコに渡り、そこで出会ったグラン浜田を通じて山本小鉄を紹介してもらい、入門にこぎつける。
1985年に光文社ジャストコミック(廃刊)で連載された『スープレックス山田くん』(監修・古舘伊知郎、作画・国友やすゆき)の主人公のモデルになっている。
第1回ヤングライオン杯において決勝戦で小杉俊二に敗れ、惜しくも優勝を逃す。しかしこの頃から、若手らしからぬ素晴らしいテクニックを魅せ、ジャーマン・スープレックスで同じく若手であった橋本真也にフォール勝ちし、海外遠征から凱旋帰国した後藤達俊にもエビ固めで勝利する。さらにこの時期、異種格闘技戦も経験。ドン・中矢・ニールセンとも対戦している。(結果は惜しくもKOで破れているがかなり善戦した。)第2回ヤングライオン杯で優勝を果たしてから海外修業も経験する。この時期の新日本ジュニア戦線は、越中詩郎、ザ・コブラ、小林邦昭、ヒロ斎藤、保永昇男、UWFから高田伸彦(現:高田延彦)、山崎一夫、ジャパンプロレスの馳浩、海外からはオーエン・ハートなど錚々たるメンバーが揃う第2期黄金期であり、山田もその一翼を担っていた。その影で山田は、藤原喜明の通称「藤原教室」でカール・ゴッチ源流の関節技を、また同時期に若手の船木優治(現:船木誠勝)と共に、当時まだあまり知られていなかった新進の格闘術「骨法」をいち早く学んでいる。
しかし1989年1月のイギリス遠征中に消息不明になったとされている。
[編集] 獣神サンダー・ライガー
1989年4月24日、東京ドームにて小林邦昭戦で全身をコスチュームで覆った獣神ライガーとしてデビュー。ライガースープレックス(獣神原爆固め)で勝利を収めると、翌月の5月25日には馳浩を破り、IWGPジュニアヘビー級王座を獲得し第9代王者となる。
ギミックのモチーフとなったのは永井豪原作の漫画『獣神ライガー』で、当時放映されていたアニメにシンクロして獣神ライガー→ファイヤーライガー→獣神サンダー・ライガーへと変化している。
1990年代前半はIWGPジュニアヘビー級王座を巡り保永昇男、佐野直喜(現:佐野巧真)、ペガサス・キッド、エル・サムライ、ブラック・タイガー(2代目)、野上彰(現:AKIRA)らと激闘を展開。これ以降、日本ジュニア界の中心人物とて活躍してくことになる。 また他団体との交流戦、対抗戦が盛んになると積極的に動いて他団体選手の新日本参戦に尽力し、ザ・グレート・サスケ、ウルティモ・ドラゴン等と団体の垣根を越えて協力し、ついに1994年にジュニア選手のオリンピックともいえるスーパーJカップを開催、成功を収めた。しかし、同年愛知にて行われた、ライガー&長州組対ワイルド・ペガサス&武藤組の試合で、足を骨折する。
その一方で新日本内部のジュニア活性化も行い、1990年代中頃からエル・サムライ、ケンドー・カシンらと組み、一世代下の金本浩二、大谷晋二郎、高岩竜一らと戦い会場を沸かせていた(もっともカシンは一世代下であるが、カシンが偏屈な性格であることと覆面レスラーという共通点もあり、ライガー側となっていた)。特にディーン・マレンコ、ワイルドペガサス(ペガサス・キッドから改名)、2代目ブラック・タイガーの4名は「ジュニア・フォーフォースメン」(当時WCWで一斉を風靡していたユニット「フォー・ホースメン」にちなむ)と呼ばれ、1990年中-後半のジュニアを牽引する。またWCWにも遠征し、ベルトも獲得。その出で立ちと実力から人気を博した。
2004年、大阪プロレスへ参戦し、当初はサムライ・金本・井上らと出場すると思われていたが、邪道、外道、竹村豪氏らと出場する。これ以降、ジュニアヘビー級のヒールチーム「C.T.U(コントロール・テロ・ユニット)」を結成。C.T.Uはその後、蝶野正洋率いるBNJ(ブラックニュージャパン)というヘビー級の新軍団と合流した(ただし、2006年9月現在BNJは事実上解散状態にあるため、再び独立ユニットとなっている)。2007年夏ごろ、邪道・外道の離反によりC.T.Uも解散となる(2007年春頃にプロレス雑誌で解散するとの発言もあった)。2007年よりDRAGON GATEに参戦、3月26日にドン・フジイを破り、シングルのベルト(オープン・ザ・ドリームゲート)を奪取した。しかし、7月1日にCIMAに破れ、ベルトを手放している。C.T.U解散に伴い、長州力・蝶野らとともに「レジェンド」を立ち上げ、コスチュームも以前のような赤いマスクを付けたベビーフェイスに戻した。
2007年のWRESTLE LAND博多大会にて、にわか面を付け福岡ソフトバンクホークスの応援歌である『いざゆけ若鷹軍団』を入場曲とするハラキリ・ハカタ二号として登場。ハラキリ・ハカタの別リングネームを持つアステカと友人関係であることや、ライガー自身が福岡在住であることなどが、このキャラクターに結び付いている。
2008年2月17日の両国大会で、AKIRAと共にIWGPJrタッグのベルトを勝ち取る。
[編集] 人物
- 「ジュニアの象徴」と呼ばれ、2007年現在、新日本プロレスのジュニアの現場監督である。
- マスコミ批判・レスラー批判など時に遠慮のない歯に衣を着せぬ発言もするが、個人的感情というよりもプロレスそのものに対する誇りから放たれている。それ故レスラーの戦い方やスタイルにしても、しっかりとした1個性として作りあげられているものならば、メジャー・インディを問わずたとえ敵対関係にあっても寛容な姿勢を見せ、他団体との交流や新日本参戦に自ら積極的に行動して橋渡し役になる場合が多い。他団体のリングに乗り込む際は率先してヒールを演じ、自ら負けブックを飲むことも厭わない。ただし、2006年にドラゴンゲートに参戦した際には、ヒールユニットのマッスル・アウトローズの土井成樹とDoFIXERのドラゴン・キッドの抗争アングルの流れからの参戦ということもあり、以前の赤いマスクを付けたベビーフェイスとして登場している(この時新日本ではC.T.Uとして活動していたので黒マスクを着用していた)。またプロレスに対する真摯な態度や言動から他のレスラー・プロレスファンからの信頼は非常に厚い。特に自分の源流である新日本プロレスには強い愛着を見せており、近年多く出版されるようになったプロレス暴露本などで、新日本プロレスの凋落を批判するOBに対し、本隊から離れている時にあっても「選手は一生懸命やっている。観客が来なくなるような発言は控えてほしい」と述べている。
- シューティングスタープレスなどの難易度の高い技を開発したり、垂直落下式ブレーンバスターを必殺技として定着させたりと、流行技の発信源になっている。
- 長年新日本のジュニアを支えあってきたエル・サムライとタッグを組むことが多く、IWGPタッグやジュニアタッグリーグで優勝している(サムライをいいように動かしているという見方もある)。
- マスクはマイナーチェンジを含めて、たくさんの種類がある。また、毎年1月4日に行われる新日本プロレスの東京ドーム興行では毎年のように違う配色のコスチュームで登場する。マスクは口元だけが破けやすく、その状態で試合を行うこともある。
- プライベートではゴジラグッズ、フィギュア収集、食虫植物の栽培などを趣味とするインドア派。ただし、釣りも趣味としており、遠征中にしていることもある。
- 入場テーマ曲はデビュー時から一貫して『怒りの獣神』(弘妃由美、アニメ「獣神ライガー」前期OP)を使用している(ライガー自身は『プロレスラーの入場曲で、唯一歌える曲だから』と語ったことがある)。
- 井上や柴田らがデビューしたころから、タイトル戦にあまり絡まなくなり、スーパージュニアなどの大舞台で若手に勝ちを譲る場面もある。
[編集] 有名な試合
- 1994年2月に橋本真也と対戦した際は、通称バトルライガーと呼ばれるツノを取り去った“対ヘビー級戦闘仕様モデル”のマスクと上半身裸で下半身はいつものタイツ姿で戦った。その肉体はとてもジュニアとは思えないようなビルドアップされた肉体であった。試合は負けてしまったが、橋本相手に勝利に近付く場面もあった。
- グレート・ムタと戦ったときに、ムタに覆面を破られたが、覆面の下には素顔ではなく、白いペイントが施されていた。さらにライガーが自ら上半身のコスチュームを破ると、胸部にもペイントがされていた。奇声を上げ、毒霧を吐き、凶器を使う通常と違うファイトスタイルから一部雑誌では「狂神ライガー」と呼ばれた。この名前はプロレスゲーム『闘魂烈伝』などでも用いられていたが、新日本プロレスの公式ウェブサイトでは「鬼神ライガーと後に呼ばれる様になった」とギミックに若干の修正が行われている。同音異義語の「狂人」は放送コードに抵触するが、それがギミック修正の直接の理由かどうかは不明。なお、この時は白銀のコスチュームを使用しており、ライガー曰く「あの時だけ」の一度きりの配色である。また、直前の試合でトラブルがあり、このマスクを被って試合をしたこともある(体は普段の赤白のコスチューム)。2006年に非道とのシングルで復活させているが、最初から「鬼神ライガー」というネームでマスクを被らずに登場した。
- 青柳政司戦にてマスクを破られ、素顔で最後まで試合を行い、その際に実況のアナウンサーから「山田恵一」と呼ばれた。この試合でマスクを破られ、逆上したライガーの責めはえげつなく、「ナイフを抜いた」と形容された。
- 試合前にマスクの盗難に遭い、エル・サムライのマスクを被って試合をしたことがある。その際の雑誌掲載時の見出しは「獣神サンダーサムライガー!?」。
- 2001年の大阪ドーム大会にてバトルライガーとして村上一成と対戦した際にマスクを剥がされるも、長州力を始めとするセコンド達により頭に掛けられたタオルを払い除け、堂々と「素顔」を曝け出したまま小川直也とやりあった(この時辻よしなりは、実況で山田恵一の名前を連呼していた)。
- 2002年にパンクラスに参戦。パンクラスルールで鈴木みのると対戦した。この時は飾りの少ないマスク姿、タイツもより動きやすいようトランクスタイプで登場した。ゴングの瞬間に突進し、浴びせ蹴りを見舞うというプロレス魂を見せ付けた。
[編集] タイトル歴
IWGPジュニアヘビー級王座を11回獲得しており、BEST OF THE SUPER Jrの優勝3回(「TOP OF THE SUPER Jr」含む)と共に同タイトルの最多記録である(2005年6月現在)。また、「BEST OF THE SUPER Jr. VIII」では、大会史上初の全勝優勝を達成する。1994年4月にはジュニア・オールスター戦「SUPER J-CUP」を実現させ、第2回、3回と自身も優勝。第4回もザ・グレート・サスケらと組み出場している。(本戦は若手中心のトーナメント)
- IWGPジュニアヘビー級王座 : 11回
- IWGPジュニア・タッグ王座 : 5回(&ザ・グレート・サスケ、エル・サムライ、田中稔、金本浩二、AKIRA)
- GHCジュニアヘビー級王座
- オープン・ザ・ドリームゲート
- 大阪プロレス・タッグ
- 第三代ジュニア八冠統一チャンピオン(IWGPジュニアと以下7つのタイトル。後にWARインターナショナルジュニアヘビーの単独防衛線で敗れた為、七冠となる)
- WWF世界ライトヘビー
- WWA世界ジュニアライトヘビー
- UWA世界ジュニアライトヘビー
- 英連邦ジュニアヘビー
- NWA世界ウェルター
- NWAジュニアヘビー
- WARインターナショナルジュニアヘビー
- WARインターナショナルジュニアタッグ
- WCW世界ライトヘビー級王座 : 1回
- 第3回TOP OF THE SUPER Jr 優勝 (1992)
- 第1回BEST OF THE SUPER Jr 優勝 (1994)
- 第8回BEST OF THE SUPER Jr 優勝 (2001)
- SUPER J-CUP 2nd.STAGE 優勝
- SUPER J-CUP 3rd.STAGE 優勝
[編集] 得意技
[編集] 打撃技
- 掌打
- 骨法の技。ライガーはほぼ利き手の左手で使用する。なお、ライガーのものは実際の骨法の掌打のそれではなく、ほぼ掌底打ちに近い。相手の顎を下から打ちぬくアッパー掌打のバリエーションもある。
- 浴びせ蹴り
- 骨法の技。前方の相手に向かって前方宙返りする勢いで片足を振り上げ、踵で相手の頭部を打つ。コーナーにもたれかかった相手に追打ちで決める場合が多いが、稀に避けられてふくらはぎを強打することも。かつて前田日明が藤波辰巳(現:藤波辰爾)を相手に同じ技を披露し、大流血に追い込んだ(当時は縦回転大車輪キックと呼ばれた)。
[編集] 投げ技
- C.T.B(クラッシュ・サンダー・バスター)
- アトミックドロップのように相手を抱え上げ、そのままフェースクラッシャーの要領で前方に向かって投げる荒技。
- 垂直落下式ブレーンバスター
- ライガーの最も多用するフィニッシュホールド。相手の首に片手を回し、もう片手で相手のタイツをつかむ。そのまま相手を持ち上げ、脳天から落とす技。なお、そもそもブレーンバスターは、現在のように背中から落とす形ではなく、垂直落下形であった。
- ライガーボム
- ジャンピングパワーボムと同じように前方に向かって相手を後頭部からマットに叩きつけ、その際受身を取った相手の両腕を足でロックする技。ライガーはさらに腰を落として後方に体重をかけるようにして座り込みながら相手をマットに落とす。相手を持ち上げた状態でリングの対角線上にランニングをして叩き付けるものは特にサンダーライガー・ボムと呼ばれる。
- 雪崩式フランケンシュタイナー
- コーナー上に座らせた相手の頭を両足で挟むように正面からウラカン・ラナのように跳び付き、自らの体を後方に勢いよく反り、足首を使って投げ捨てる技。よくウラカン・ラナと混同される。フランケンシュタイナーは元々、当時新日本に度々来日していたスコット・スタイナーのフェイバリットムーブだが、雪崩式に応用したのはライガーが最初で、以降空中戦を得意とするジュニア選手を中心に定着していく。
- ジャーマン・スープレックス
- 素顔時代にフィニッシュとして愛用していた技。ライガーは、リック・スタイナーの影響を受けてから、投げ捨て式を多用するようになった。
- ライガースープレックス
- 相手の片手を反対の足の下で掴み、そのままジャーマン・スープレックスに移行する技。小林邦昭とのデビュー戦でフォールを奪った技だが、最近は使っていない。素顔時代には飛燕原爆固めと名づけられていた。稔のテラマエ485と似ている。
- フィッシャーマンバスター
- フィッシャーマンスープレックスの要領で抱え上げてから、垂直落下式ブレーンバスターのように脳天から落とす。一時期、雪崩式で繰り出すものをフィニッシュに使用していたが、最近では使わなくなった。
[編集] 関節技
- 鬼殺し
- 骨法の技で、腕を絡め取る関節技。骨法を習っていた時に一時期使っていたが、現在は使われていない。
- 腕ひしぎ逆十字固め
- 相手が関節技に秀でた相手の場合、対抗してこの技を狙う時が多い。また潰しあいになるときも仕掛ける。青柳政司との一戦ではマスクを剥がされ大流血したライガーがキレてしまい、この技をかけたまま離さなかったシーンが印象的。
- コウモリ吊り(ムルシェラゴ)
- 自分は片膝状態で、立てた片膝の方向に相手の頭が来るように、うつぶせ状態で両肩に相手を横抱き。自分の首を支点に相手の両足を四の字に交差し伸ばしたほうの足を腕で捕える。相手の胴を内側に折り曲げるようにして片膝状態の内股部分に相手頭部が来るように固定。相手の重みを自分の両肩で受け、その重さを使って四の字にした相手の膝関節を極める。首を支点に使った足四の字固めのバリエーションの一つ。滅多に使わないレア技だが、時々思い出したようにこの技を出すことがある。
- ロメロスペシャル(吊り天井)
- うつぶせ状態の相手の後方から、相手のそれぞれの膝上の腿裏に自分の足で乗っかり、相手足首を内側に折りたたんで固定、さらに両腕をサーフボードストレッチに捕えたところで、一気に勢いをつけて後ろに尻餅をつくように相手を起こし脚力を使って上方に持ち上げる。ラウル・ロメロが開発。
- 初期のライガーは正調ロメロスペシャルを良く使っていたが、後年は殆ど、吊り天井に行く前の段階でサーフボードの腕を外してそのまま相手の首をドラゴン・スリーパーに捕らえるパターン(変型カベルナリア)が主流となっている。
[編集] 飛び技
- トペ・コンヒーロ
- 場外の相手へ前方宙返りしながら体を当てる飛び技。コーナーポストから飛ぶ形と、ロープを潜りリングから飛ぶ形の2パターンで行う。正調版は主に90年代中頃に使用していた。現在はエプロンを走って場外の相手にアタックをかけるパターンを多用する。
- ラ・ケブラーダ
- エプロンサイドから場外の相手に対しロープの反動を利用してムーンサルトアタックを行う空中技。元祖はウルティモ・ドラゴンで、若手時代にメキシコで身につけたものを「アサイ・ムーンサルト」として日本に持ち込んだのが最初。バランス感覚と跳躍力が必要な技であり、受身を取りそこなうことも多い非常に危険な技である。こちらも1990年代中頃に使用していた。
- フロッグスプラッシュ
- コーナートップから跳び、空中で手足をカエルのように一度屈伸させてから相手に体を浴びせる技。コーナーからリング内へ飛ぶ技では一番使用頻度が高い。
- ムーンサルトプレス
- リングを背にしてコーナーに登りそのままバック宙、倒れている相手を身体ごとプレスする。主に1990年代中ごろのヘビー級の選手との対戦時に使用。
- シューティングスタープレス
- リングに向かって正面からコーナーに立ち、そのまま前上方にジャンプしながらバック宙をするように体を回転させ相手をプレスする。過去に数回しか使われておらず、最近では使う機会はほとんど見られないが、なぜか今でも得意技として紹介されていることが多い(過去にタイガーマスクとの試合で披露している)。素顔時代の凱旋帰国時に披露したオリジナル技である。ライガー曰く「バック宙してるのに前に飛んで行く、僕にもちょっと分からない不思議な技。」と、雑誌でのインタビューで答えている。
- スターダストプレス
- 空中で複雑な捻りを加えたムーンサルトプレス。あえて言うなら、リングを背にコーナーに立ち、女子プロレスラーのチャパリータASARIのフィニッシュムーブであるスカイツイスタープレス(横ひねり式ムーンサルトプレス)とスコーピオの450スプラッシュ(前方宙返り式プレス)を混ぜたようなプレス技。空中姿勢の近いイメージとしては体操競技の屈伸月面宙返りを想像すると良い。
- シューティングスタープレスで度肝を抜いたリバプールの風になったあの人が雑誌での道場取材で「スターダストプレスはもう出来ている」と発言したことでその披露が待たれていたが、再び海外に出た当人が行方不明となったことでファンの間に技の名前だけが先行してしまった為、「開発されていない幻の技なのではないか?」と実しやかに囁かれていた。
- 実際に使用されたのは1996年1月4日に東京ドームで行われた対金本浩二戦の1回のみ。後の雑誌インタビューで、「元々はハヤブサのフェニックススプラッシュと同型の飛び技を予定していたが、既に披露されてしまった為に新たに試合で披露したような複雑な形になった。」と答えている。
[編集] プロレス以外の活動
カレーマンの入場時に一緒にカレーダンスを踊ったり、ウッチャンナンチャンの番組『やるならやらねば』では全身タイツ隊として出演し、メンバーと同じ奇妙な動きを見せるなど、芸達者な一面もある。
また、上記のようなテレビ出演や『週刊ファミ通』で人生相談コーナーを持っていたりしたこともあるなど、リングの外での活躍も多い。『象印クイズヒントでピント』などのクイズ番組や『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演したこともある。2006年10月からはパチスロ番組『ゴールデンスロット』に準レギュラー出演している(が、番組内での発言等から推察するに、ライガー自身はパチスロはずぶの素人である模様)。
2006年5月20日、千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズ対中日ドラゴンズ戦の始球式を務めた。
2007年2月24日放送の『めちゃ×2イケてるッ!』に出演した。
2007年7月16日放送の『くりぃむナントカ』芸能界ビンカン選手権では、仕掛け人として素の姿(バックショットのみ)で出演した。
[編集] その他
- 新日本のレスラーは抗争や因縁アングルを進める時は「潰す」や「殺(や)っちゃう」という語彙を多用するが、ライガーが10年以上使い続けているのは「ぶち殺す」という表現。
- 特撮マニアとして有名。特撮マニアのプロレスラーは多いが、その中でもトップクラスである。AKIRAが仮面ライダークウガに出演した際、控え室で野上にいきなりグロンギ語(作品内の架空言語)で話しかけ困惑させたことがある。
- プロレスはリング上で繰り広げられる「芸術」であると述べたことがある。
- フジテレビのドラマ『世にも奇妙な物語』の『覆面』というエピソードに出演(声は吹替)。
- 小学校の頃、将来は動物園の飼育員になりたかったらしい。
- ヤングライオン時代のあだ名は「ハチ」。
- 非常に悪戯好きである。
- 夫人はスペル・デルフィンのファンで、飼い犬に「デルフィン」という名前をつけるほど。
- ライガーは当初武藤敬司にやらせる予定だったが、武藤が難色を示したため変更となった、という話がある。
- 新人育成の為に船木誠勝と共に少々過激な事をしていたと告白している。一例として熱湯(50-60℃位らしい)を満たした湯船に新人を放り込み、フタをした上にライガーが乗って「熱ければ自分で出てこい!」というもの。ライガーはこれを「どれだけ必死になれるかを試している」として、「ここで出てこれたヤツは大丈夫。しかし、出てこられないとふたを開け、『おまえはもう田舎に帰れ。プロレスラーには向いていない。』と諭した。」と、週刊プロレスの取材で語った。
- 藤波辰爾を尊敬しており、藤波が作ったドラゴンボンバーズのメンバーだった。