江尻良文
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江尻 良文(えじり よしふみ、1949年3月12日 - )は、夕刊フジ編集委員、著述家。
神奈川県横浜市出身。早稲田大学法学部中退。中退後東京スポーツで20年、サンケイスポーツ、夕刊フジで15年、プロ野球担当記者一筋。1972年からの記者生活で最初の3年間は日本ハム[1]を担当し、その後巨人の担当になった。大の王貞治・渡辺恒雄シンパで知られる。
なお、著書のあとがきの中で、子どもの頃は大毎オリオンズのファンであったことを告白している。
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[編集] 夕刊フジの記事
夕刊フジの記事は記名制であるがzakzakでは記者名は省略される。しかし、江尻は編集委員のためzakzak上でも「夕刊フジ編集委員・江尻良文」と表記される。また、江尻の記事は基本的に有料版であるモバイルzakzakの会員でないと読むことができない(これは同じ編集委員である久保武司にも言える)。
他者を否定することによって相対的に他者を賛美・擁護する。記事の内容は球界内のあらゆる事象に広範囲に渡るが、基本的には長嶋茂雄・王貞治(最近は長嶋を取り上げることが少ない。)の賛美や、その周辺の人物の発言・行動を取りあげている。[2]2006年2月には王が福岡ソフトバンクホークス監督との兼任でワールド・ベースボール・クラシックの日本代表監督に就任したこともあり、王がらみの記事を一ヶ月間、新聞発行日に掲載し続けたこともあった。また、王の他球団に対する分析をそのまま記事にする事が多く、メジャーリーガーの松坂大輔や松井秀喜、さらには早稲田大学の斎藤佑樹や東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大や北海道日本ハムファイターズの中田翔もその対象になっている。
そうかと思えば、たまに思い出したように広島東洋カープや横浜ベイスターズの記事を掲載することもある。広島に対してはネガティブな記事(「球界再編の第2弾は広島で起こる」や、球団のやることなすこと全てを否定・侮辱するなど)が多く、横浜に関しては親会社のTBS絡みの記事が多い。
「球団の観客動員数=人気が強さのバロメーター」である、と考えているようで(長嶋茂雄が実際に「優勝できなかったとしても、観客動員を増やせばそれで成功である」と語った影響もある 長嶋が語ったのは事実かもしれないが、影響を与えたかどうかは検証できない)、現状、セ・リーグでは阪神、パ・リーグでは(王が監督の)ホークスがリーダーとなるべきである、とも書いたことがある。しかし、観客動員数がホークスを上回る中日に対しては不人気球団という表現を用いていた。近年、攻撃的論調はますますヒートアップしている(「中日ファンには申し訳ないが」などの注釈を添え、自らの免罪符にしているようである)。 また、落合博満や古田敦也、清原和博を批判する記事が多いのも特徴である(落合に関しては後述)。これらの記事は、彼らの実績・行動やファンに向ける態度を度外視し、もっぱら自分たちマスコミに対する愛想の悪さへの怨念・憎悪からくる感情的・非論理的なものであり、逆に、マスコミに良い態度をみせる松井秀喜等やかつてのイチローなどに対しては一転して好意的であり、他の選手に対してなら批判記事にするような内容であっても、「記者も人の子だから」というフレーズを多用して明らかに手心を加えるなど、開き直りとも取れる記事も発表する。 このように、江尻の思考・態度は頻繁に二転三転を繰り返している[3]。
[編集] 江尻と巨人軍
元・巨人担当記者の江尻は前述したとおり当初は大毎のファンだった(父親が大洋ホエールズのファンでアンチ巨人であったのが原因)。しかし、巨人担当記者になってからONを「球界の人間国宝」と評するまでになった。また一貫して原辰徳現監督には否定的な体裁をとり、長嶋には肯定的な態度ととっているため、そのため王・長嶋のマスコミに対する姿勢に感化された「ON信者」とされている。しかし、江尻にとって王・長嶋と渡辺恒雄以外の『巨人関係者』は実際は石ころのようなものでしかないことに留意すべきである。原などの存在は実際には王・長嶋と渡辺の賛美や、落合・清原・古田批判などのダシに使われている場合が多い。長嶋元監督については脳梗塞発症後は登場が激減している。ただし彼が公の場に姿を現したときは必ず記事になる。彼の脳梗塞発症の原因は落合にあるとしている。[4]
原に関しても、落合同様に就任時より打順やローテの入れ替え、選手の故障などの些細な出来事でチーム内紛や空いたポジションの選手の獲得を煽り立て長嶋氏と比較、人格面にすらバッシングが及んでいる。それにもかかわらずチームが日本一に輝くと『原辰徳流「活私」管理術―それは長嶋野球の否定から始まった』などという本を出版した(長嶋元監督に関しても本を執筆している)。
前任者の堀内恒夫監督には同情的な記事が多く、人格者であり隠れた名監督とした。もっとも、堀内擁護記事の大半は「清原こそ巨人低迷の元凶」と断じた清原バッシングが目的の記事である。堀内氏はその後も思い出したように原批判や清原批判に顔を使われている[5]。
この他、日本ハムGMを経てヤクルト監督に就任した高田繁への評価も高い。この様に江尻はONも含めて、所謂「V9戦士」、および同時代に巨人(もしくはON)のライバルとして立ちはだかった名選手に対してはかなり寛大な内容の記事を執筆することが多い。
[編集] 江尻が嫌悪する人物
基本的にはON(とくに王貞治)の側に立つ人物には好意的であり、敵対する側には徹底的に罵倒する。[6]特に落合に対してはマスコミに対する態度が悪いということで徹底的に嫌悪していた。前述のように観客動員もソフトバンク以上にも関わらず不人気球団と揶揄し、勝てばいいという物ではないと非難。また彼を擁護しているのは白井文吾オーナーのみであり、白井オーナーが退任すればいくら成績がよくても解雇されるとしていた。彼によれば後任は牛島和彦[7]。また、落合の姿勢を清原・古田・イチローがまねて球界が衰退していると考えており、「天罰が下る」や「最低最悪のボケ老人」と名誉毀損になりそうな内容でも平気で書く。
しかし、中日が毎年優勝争いに絡んでいることなどもあって、落合の監督としての能力を徐々に評価するようになり、落合が2007年の日本シリーズで中日を53年ぶりの日本一に導くとその手腕をこれまで以上に賛美しており、そのことに戸惑いを覚えるファンも少なくない。もっとも、別の誰かを引き合いに出し否定する場合が多く、例えばBクラスに低迷した古田(上位チームとの戦力差を考慮しなければならない)や原・コリンズ(「捨て年」による大型連敗を経験)などが史上最低の無能監督のごとく否定された(結果的に王を彼ら以上に否定することになるような陳腐なものが多い)。2007年の場合、クライマックスシリーズ(以下CS)で原率いる巨人が中日に3連敗したこともあって落合の采配を評価していた。山井大介を完全試合目前で降板させたことに対しては「王監督が擁護した」という理由で評価した。
[編集] 『球界に直言!』
色々と物議を醸す江尻の記事ではあるが、記者として理想的な態度であるとは到底言えないものの、極めて一般的な話題について論述を行なうこともあることを留意しておく必要がある。
2006年9月4日から夕刊フジBLOGでコラム『球界に直言!』という連載を開始した。週一回のペースで更新している。この中で江尻は数々の球界を良くする方法論や記者ならではの裏話などを展開。夕刊フジの記事同様清原や落合(選手時代、監督就任後両方)、古田をプロ野球を低迷させた人物として痛烈に批判している。また、長船騏郎や山本英一郎をアマチュア野球界のドンと非難し、彼等の退任(長船は2007年、山本は2006年に死去)によりアマチュア野球界とプロ野球界の雪解けが進むとしている。
いずれにせよ、前述の記事も含め、田舎芝居のような個人個人の「配役」の都合の良さ、客観性・根拠の乏しさ、公平性の無さなどを指摘する声がネット上などに散見され、ON信者・原理主義者と揶揄されることも少なくない。
球界再編問題に関してはプレーオフ制度に関しては一貫して否定的である。一方で、1リーグ制に賛成するなど、渡辺恒雄の意見には無条件で賛成している。[8]。
また、2006年夏には中日ドラゴンズの次期二軍監督に辻発彦を起用という記事を掲載、実際に辻は同年秋に二軍監督に就任する(これは王と親交のある森祇晶や須藤豊(夕刊フジ評論家)などとのパイプによるものである)など、東スポ記者時代からスクープ記事にも定評がある。 なお、「球界に直言!」というタイトルだが、記者生活の思い出話を書くなど直言してないことも多い。
[編集] 江尻の評判
上記のように江尻は物議を醸す記事を大量に作り上げている。そのためにインターネット上では江尻記事のトピックが作成され、2008年6月10日現在で第44版まで達成している。また、その他各種ブログでも取り上げられることが多く、史上最強の電波記者というありがたくない称号も得ている。あまりにもすごい記事を作るため一時は架空の人物説も流れていた(現在は江尻が自らの顔を公表したことにより実在が確認されている)。
[編集] 関連項目
- 昔昔亭桃太郎 - 落語家。ともに現在の巨人の低迷を憂う者として夕刊フジ紙上で対談。
- 渡邉恒雄 - 読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆、夕刊フジの愛読者。江尻は球界再編騒動の際に渡邉が唱えた1リーグ制案を支持。その後渡邉からは名指しで褒められた(逆に1リーグ制案に反対した古田は同じフジサンケイグループの人物であるにも関わらず批判され続けている)。
- 王貞治 - 下述のように、彼に関する本を執筆した(この本には王からの推薦文も署名入りで掲載されている)。これまでも他の著述家による王貞治に関する書物は多数発行されているが、ワールド・ベースボール・クラシック監督の時期や、2006年シーズン途中でのホークス監督を途中休養する時期についての著述を含んだ作品を最初に手がけたのは江尻である。
- アサヒ芸能 - 江尻の著書を紹介した記事で彼を「王貞治の生涯番記者」と称した。
- Yahoo!JAPAN - 王賛美やソフトバンク・ホークスが連敗時の目くらましなどのためか、読売・朝日・毎日3誌と同等の位置で積極的に信用できるニュースとして採用している。
[編集] 脚注
- ^ 1年目は東映、2年目は日拓ホーム。3年間で違うチーム名で記者を勤め豊蔵一セ・リーグ会長から「そのような記者は珍しい」と言われる。
- ^ 例えば、巨人原辰徳監督の専任広報(運転手)が大学の同窓生ということを「巨人に東海大王国が形成?」などと声高にアジテートしたにもかかわらず、球界有数の右打者多村仁と実績の無かった寺原隼人とのトレードが成立したことを「横浜監督大矢明彦が王の高校の後輩ということが理由」とし、『王への友情トレード』と賛美する、などといった具合である。この記事の存在によって原もであるが、それ以上に大矢と王があらぬ疑いをかけられてしまっているのである。ホークスの2軍監督は王と同窓だが、批判や賛美の対象にするほどのことではない。このように無駄に他球団の選手・監督に泥を塗り、余計に王の首を絞めるような短絡な記事が多い。このことが12球団の野球ファンの反感を買っている。
- ^ 例としては北京五輪監督に星野仙一就任を長船騏郎が発表した際、長嶋に失礼だとして長船を痛烈に批判したが、長船退任後は何事もなかったかのように星野の監督就任を歓迎している。
- ^ 長嶋氏が監督を務めた五輪で選手収集を1球団2人までという制度を緩和しようとしたがそれに落合が異を唱えたためである、という記事を掲載した。[1]
- ^ 清原に対しては「曙とプロレスをやれば盛り上がる」などと、延々と背中から唾を吐きかけた。この時期王の愛弟子として対照的に小久保裕紀(のほぼ素行のみ)が賛美されていた。清原がオリックスに移籍すると、その年巨人の主将に任命され野手不足で低迷するチームを懸命に引っ張ったにもかかわらず小久保の話題はまったく上らなくなった
- ^ ONの側に立っているか、敵対しているかは江尻自身の思い込みによるところが大きい。
- ^ 根拠が明示されたことはない。
- ^ このように夕刊フジは産経新聞の子会社であるにもかかわらず、「読売」の利益・話題についてばかり言及し、(長嶋などを対比させ巨人のユニフォームで数々の不朽の記録を打ち立てたことを強調しながら)王貞治の賛美に終始している。このことが夕刊フジが読売系列という話に信憑性を持たせている。例えば近鉄とオリックスの合併も予測、見事に的中させている。また渡辺はプレーオフ制に最後まで強硬に反対していた一人である。一方で「ジャイアンツ」のスクープは、スポーツニッポン(スポニチ)などと同様の、「FA資格を持った選手(そのクラスは問わない)や契約の微妙なメジャーリーガーを巨人が獲得する」といった、狂信的なアンチ巨人ファンが事の真偽を気にせずに採用する程度の記事が多い。
[編集] 著書
- 『星野阪神の深層―知られざる637日』(東邦出版 ISBN 4-8094-0334-3)
- 『真説・長嶋茂雄―実名証言「最強の番記者書き下ろし」』(ベストセラーズ ISBN 4-584-00840-X)
- 『原辰徳流「活私」管理術―それは長嶋野球の否定から始まった』-東邦出版 ISBN 4-8094-0292-4
- 『王貞治 壮絶なる闘い』(竹書房 ISBN 4-8124-2980-3)
- 『松坂大輔 世界のエースが歩んだ道』(日本文芸社 ISBN 978-4-537-25483-9) 瀬川ふみ子との共著、江尻は西武ライオンズ時代からボストン・レッドソックス入りまでの時期を担当