松岡直也
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松岡直也(まつおか なおや、1937年5月9日 - )は、神奈川県横浜市本牧生まれの日本のジャズ・ピアニスト、ラテンフュージョンミュージシャン、作曲家、編曲家である。
[編集] 経歴
生家は本牧・小港のチャブ屋街にあった東亜ホテル。7歳の頃から独学でピアノを弾き始める。
1952年、15歳の時パントマイム役者、「パン猪狩とマーキス・トリオ」のピアニストとしてデビュ-。
翌年自己のバンド「松岡直也カルテット」を率いてライブを中心に活動を開始する。 同じ年、「浜口庫之助とアフロ・クバーノ・ジュニア」にピアニスト、アレンジャーとして参加し、ヒット曲「黄色いサクランボ」を編曲する。
この頃からラテン音楽の虜になり、「キューバン・スペシオーサ」、「松岡直也ピアノ・トリオ」、「ラテン・スペシオーサ」、「松岡直也ラテン・ピアノ・トリオ」、「松岡直也ハバナ・ビーツ」→「松岡直也ハバナ・ビーツ・オーケストラ」 などのラテンバンドで活躍する。 この時代松岡と共にラテンリズムの研究に励んでいた仲間にジャズドラマーの故富樫雅彦がいる。
1961年、「アーティストリー・サウンド」を結成し、ショーの音楽プロデュースと編曲を手掛けるようになる。
1964年頃から映画・TV・CM等の作編曲を手掛けながら、スタジオ・ミュージシャンとして活動を始める。
1972年、TVドラマの主題歌「太陽がくれた季節」を編曲。同曲は日本レコード大賞、新人賞を受賞。
1973年、いしだあゆみの「小さな愛の歴史」で作曲家として古賀賞(日本作曲家大賞)受賞。また、「松岡直也オール・スターズ」を結成しライブ活動を再開する。
1977年、1stアルバム「JOYFUL FEET」を発売。 フュージョン (音楽)
1979年、「松岡直也&ウィシング」を結成。また、“ラテン・ジャズ・アンサンブル”の日本公演にピアニストとして参加。
1980年、スイス“モントルー・ジャズ・フェスティバル”に出演。
1981年、「ポートピア'81」のダイエー館(オムニマックス・シアター)の音楽を担当(アルバム「THE SHOW」)。
1982年、音楽活動30周年を迎える。アルバム「九月の風」を発売。オリコンチャート第2位、半年間30位以内にチャートインするなど、インストゥルメンタル・ミュージック界において驚異的な記録を作った。
同じ年、「松岡直也&ウィシング」を解散し、「松岡直也グループ」を結成。
1983年、2度目の“モントルー・ジャズ・フェスティバル”出演。
1985年、テレビ朝日「ニュースステーション」のテーマを作編曲。中森明菜「ミ・アモーレ」の作編曲を手掛け、同曲は日本レコード大賞受賞。松岡は、日本作曲家大賞・優秀作曲家賞を受賞。
1986年、わたせせいぞう作『ハートカクテル』のサウンドトラック、「ハートカクテルVol.1」を発売。
以降、現在に至るまで、独創的な開拓センスで自己のオリジナル・アルバムを発表し続けている。