新潟県立新潟南高等学校
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過去の名称 | 新潟市立中学校 新潟市立新潟高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新潟県 |
校訓 | 自主責任・和衷協同・質実剛健 廉潔高雅・知性良識 |
設立年月日 | 1953年4月1日 |
創立記念日 | 4月15日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
所在地 | 〒950-0994 |
新潟県新潟市中央区上所1-3-1 北緯37度54分31.5秒東経139度2分38.1秒 |
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電話番号 | 025-247-3331 |
FAX番号 | 025-247-3489 |
外部リンク | 公式サイト |
新潟県立新潟南高等学校(にいがたけんりつにいがたみなみこうとうがっこう)は、新潟県新潟市中央区上所にある県立高等学校。
目次 |
[編集] 概要
旧制新潟市立中学校を前身とする公立進学校。近隣の新潟高校および新潟中央高校と比して比較的繁華街に近い立地を持つ。通称南高(なんこう)。新潟県内では、新津・新発田を除けば「南高」と云うと本校を指す事が多い。県内の高等学校の中では、一番新潟大学への進学者が多い。
[編集] 沿革
[編集] 経緯
本校は1939年(昭和14年)に旧制の新潟市立中学校として創立した。戦後の学制改革により新潟市立新潟高等学校となり、1953年(昭和28年)に県立に移管されて新潟県立新潟南高等学校となり現在に至る。
[編集] 年表
- 1939年4月15日 - 新潟市立中学校として開校(私立新潟夜間中学校(旧新潟明訓高等学校)の校舎を仮校舎とする)。
- 1941年8月30日 - 校舎第1期工事が竣工し、現在の校地に移転。
- 1948年4月10日 - 学制改革により新潟市立新潟高等学校となる。同時に定時制課程を設置。
- 1948年6月10日 - 中野山分校を設置。
- 1952年4月11日 - 中野山分校を石山分校と改称。
- 1953年4月1日 - 県立移管により、新潟県立新潟南高等学校となる。
- 1964年4月1日 - 新潟県立新津高等学校の両川分校を本校に移管。
- 1970年3月31日 - 中心校の定時制課程を廃止。
- 1975年3月31日 - 石山分校が閉校となる。
- 1976年3月31日 - 両川分校が閉校となる。
- 1994年10月7日 - 創立50周年記念式典を挙行。
- 1999年4月1日- 2学期制を開始。
[編集] 設置課程
- 平成12年度から、全学級を対象に文部科学省主管のスーパーサイエンスハイスクール事業の指定を受けている。平成17年度で終了予定であったが、好調な成果を上げたため、さらに3年間の再指定を受けた。
- 県内の進学校のうちのひとつ。
[編集] 校歌
- 「新潟南高等学校校歌」 - 1945年制定、1948年改訂、作詞: 葛原茲、作曲: 橋本国彦
[編集] 学校行事
- 6月 江風祭(体育祭)
9つの軍団(赤・青・黄・黒・白・橙・緑・紫・桃)にわかれて行う。競技、ダンス、パネル、応援の各賞上位の軍団は賞品としてアンパンがもらえる。
- 7月 球技大会(クラスマッチ)
- 9月 蒼流祭(文化祭)
クラスや部活ごとに様々な出し物を行う。
[編集] 部活動
- 陸上競技部
- 野球部
- サッカー部
- テニス部
- ソフトテニス部
- ボート部
- 水泳部
- バスケットボール部
- バレーボール部
- バドミントン部
- 卓球部
- 剣道部
- 空手道部
- 少林寺拳法部
- ダンス部
- ボクシング部
- スキー部
- ワンダーフォーゲル部
- 演劇部
- 美術部
- 書道部
- 電気部
- 生物部
- 化学部
- 合唱部
- 英語部
- 華道部
- 文芸部
- 放送部
- 吹奏楽部
- 調理部
- 天文部
- 写真部
- 映画研究同好会
- 囲碁同好会
- 園芸同好会
- 漫画研究同好会
[編集] 通学手段
- 鉄道
- バス
- JR新潟駅万代口より新潟交通バス「(1系統)昭和大橋経由 入船町」行、「(9系統)水島町経由 美咲合同庁舎」「(9A系統)水島町経由 西部営業所」行などで「南高校前」下車すぐ。所要時間約20分(運賃200円)。
- その他、郊外線の一部路線が南高校前バス停を経由している。
[編集] 著名な出身者
- 会田誠(画家)
- 池田弘(アルビレックス新潟会長、NSGグループ理事長)
- 加藤沢男(オリンピックメダリスト)
- 木竜亜希子(テレビ信州アナウンサー、元新潟総合テレビアナウンサー)
- 魔夜峰央(漫画家)
- 三上真史(俳優)
- 山賀博之(アニメーション監督)