加藤沢男
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オリンピック | ||
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男子 体操 | ||
金 | 1968 | 男子 床運動 |
金 | 1968 | 個人総合 |
金 | 1968 | 団体総合 |
金 | 1972 | 男子 平行棒 |
金 | 1972 | 個人総合 |
金 | 1972 | 団体総合 |
金 | 1976 | 男子 平行棒 |
金 | 1976 | 団体総合 |
銀 | 1972 | 男子 あん馬 |
銀 | 1972 | 男子 鉄棒 |
銀 | 1976 | 男子 個人総合 |
銅 | 1968 | 男子 つり輪 |
加藤 澤男(かとう さわお, 1946年10月11日 - )は、日本の新潟県五泉市(旧中蒲原郡村松町)出身の体操コーチ。元・体操選手。メキシコ・ミュンヘン・モントリオールオリンピックの体操競技に出場し8個の金メダルを含む計12個のメダルを獲得した。モントリオールオリンピックでは日本選手団主将を務めた。
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[編集] 経歴
新潟県立新潟南高等学校から東京教育大学(現筑波大学)に進学。大学4年生の1968年メキシコオリンピック男子体操チームのメンバーに選ばれて以来、3大会連続でオリンピックに出場。1960年 のローマ大会から1976年のモントリオール大会まで続いた男子体操チームのオリンピック団体5連覇のうち、3大会でメンバーとして出場した。 1977年に引退、筑波大学コーチに就任。
自身がオリンピックで獲得した金メダルの数は8個に及び、これは日本選手としては最多の獲得数である。特に「個人総合」のオリンピック2連覇を達成した選手は、ソビエト連邦のビクトル・チュカリンと加藤沢男の2人のみである。
後輩の塚原光男、笠松茂が難易度の高いオリジナル演技を自ら開発、演技するのに比べ、加藤の演技は美しさを追求するものである。モントリオール大会における平行棒の演技では、フィニッシュの2回宙返りの最中でも、足の爪先を伸ばしたままの姿勢を維持していた。これは、「体操の教科書」となる演技と言われ、このような美しさを追求した演技が、後輩の選手達にも大きな影響を与えている。
1999年5月、国際スポーツ記者協会が選んだ「20世紀を代表する25選手」に、日本人ではただ1人選出された。他には、ペレ(サッカー)やカール・ルイス(陸上)、ナディア・コマネチ(女子体操)などが選出されている。
2000年のシドニーオリンピック時には、選手村内の道路の1つが「サワオ・カトー・ストリート」と名付けられた。選手名の冠がつけられたのは、オーストラリアの27人と、その他の国から25人で、アジアでは加藤澤男がただ1人であった。
2006年現在、筑波大学教授、筑波大学体操競技部顧問である。
[編集] オリンピックでの成績
- ミュンヘン大会(1972年)
- モントリオール大会(1976年)
- 団体総合 優勝
- 個人総合 2位
- 個人種目別 床運動 5位
- 個人種目別 あん馬 5位
- 個人種目別 つり輪 6位
- 個人種目別 平行棒 優勝
[編集] 著書
[編集] 脚注
- ^ 最後の演技である床運動で逆転勝利したが得点表示が出るまでの5分間、主審を務めたソ連のワレンチン・ムラトフによって他の審判員に再考が求められる中、ぎりぎり0.05点差で勝利した。【114の金物語(46)】体操・男子個人総合 加藤沢男 産経ニュース 2008年5月4日