岩国市交通局
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岩国市交通局(いわくにしこうつうきょく 通称岩国市営バス)は、山口県岩国市および玖珂郡和木町を中心にバスを運行する地方公営企業による公営バスである。本局は岩国市日の出町3-10。
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[編集] 歴史
- 1938年(昭和13年)10月1日 当時の玖珂郡岩国町による町営バスが発足(所管は土木係)。路線権や車両等は民営青バスおよび陰陽自動車株式会社より譲り受けたもの。発足時の所有バス台数は8輌。
- 1940年(昭和15年)3月 エビス自動車商会からの路線権や車両等の買収追加を岩国町議会が決議。
- 1940年(昭和15年)4月1日 合併による市制移行により岩国市営バスに改称(所管は運輸課)。事務所は岩国市錦見大名小路に置く。改称時の所有バス台数は12輌。
- 1943年(昭和18年)9月 周防自動車からの路線権や車両等の買収を、岩国市議会が決議。
- 1949年(昭和24年)6月 事務所および車庫を、岩国駅通り三笠橋地区(現在の山口県岩国市今津町一丁目2番)に移す。錦帯橋通り(大名小路)にあった車庫は廃止。
- 1950年(昭和25年) 省営バス(この時点で既に国直営から国鉄自動車部に改組済み)に坂上線の路線を譲渡。
- 1950年(昭和25年) 一般貸切事業の認可を受ける。
- 1954年(昭和29年)4月1日 地方公営企業法の適用を受け、公営企業組織岩国市公営企業局のバス事業に移行。
- 1957年(昭和32年)9月 岩国市公営企業局を廃止し、バス事業を担っていた運輸課と管理課のバス事業関連部分が、岩国市交通局として独立。
- 1958年(昭和33年)9月 事務所と車庫(本局)を山口県岩国市麻里布町七丁目9番に移転。
- 1966年(昭和41年)10月 切符販売方式による運賃収受を廃止。翌11月より整理券方式となる。
- 1969年(昭和44年)3月10日 ワンマンバスの試行運転が始まる。
- 1973年(昭和48年) 事業経営の悪化により法再建の適用を受ける。再建計画の開始および最終の年度は昭和48年度から昭和53年度。
- 1987年(昭和62年)1月5日 財団法人岩国市交通局サービス公社を設立。
- 1993年(平成5年)4月1日 事務所と車庫(本局)を、現在地である山口県岩国市日の出町3番10号に移転。麻里布町七丁目に残った跡地の一部は、株式会社ダイイチ(現・デオデオ)と大蔵省(現・財務省)中国財務局に売却され、現在は、デオデオ岩国店および岩国税務署の庁舎用地となっている。
- 1998年(平成10年)10月30日 貸切用車両にマーキングデザインバス(岩国市の観光資源の認知を広めるデザインを施したラッピングバス)を導入。この時に導入された車両のデザインは、錦帯橋周辺の四季と岩国城。
- 1999年(平成11年)3月25日 バスロケーションシステムを導入。
- 2000年(平成12年)2月29日 バスカードを導入(山口県共通乗車カードの開始に伴う)。
- 図案は錦帯橋といちすけ号を組み合わせたもの。発売当初は実写のいちすけ号を用いていたが、現在はデザインイラスト化されたものを用いている。発売券種は、1,000円、2,000円、3,000円、5,000円(発売額)の4種。ただし、2,000円券は発売当初には存在しなかった。
- 2002年10月頃 公式webページを開設[1]。
- 2006年(平成18年)3月4日 高速バス「錦帯ブルーライナー」を運行開始
- 2007年(平成19年)春 岩国市交通局の発行する山口県共通バスカードのうち、発売金額が1,000円のものについて、使用デザインが高速バス「錦帯ブルーライナー」の利用案内(使用車両および路線図)に変更される(3代目のデザイン)。高速バスの利用促進を狙ったデザイン変更と思われる。
[編集] 本社および営業所
[編集] 各営業所(車庫)の所在地
- 岩国市交通局(本局)
- 岩国市日の出町
- 岩国駅前営業所
- 岩国市麻里布町
- 錦帯橋バスセンター
- 岩国市岩国町
車両の配置は本局のみ。
[編集] 路線
[編集] 主なターミナル
[編集] 高速バス
[編集] 一般路線
岩国駅を発着の中心点とした運行がなされている。以下に示した先頭の[ ]内は岩国駅から各地へと向かう際に表示される運行路線の系統番号(行先番号)である。
また提示しているバス停留所の名称や経由表記は、路線の分岐点や他路線(鉄道や高速バスを含む)に乗り換え可能な場所などを元に示している。
[編集] 錦帯橋・新岩国方面
- [12]:岩国駅 - 今津 - 東錦見 - 裁判所 - 錦帯橋 - 千石原
- 1965年:錦城橋の開通に伴い、錦帯橋 - 千石原 の運行を開始。
- [13]:岩国駅 - 今津 - 東錦見 - 新町 - 錦帯橋
- [21]:岩国駅 - 砂山 - 東錦見 - 裁判所 - 錦帯橋 - 新岩国駅( 幹補足)
- [22]:岩国駅 - 今津 - 東錦見 - 裁判所 - 錦帯橋 - 新岩国駅( 幹補足) - 錦橋 - 廿木 / 北河内駅
- 1961年:御庄橋 - 北河内 - 南桑(「高野橋」)、および、錦橋 - 廿木を運行開始。
- 1968年:天尾(「天尾口」)- 南桑を廃止。
- 2000年頃以降:「北河内」(「北河内駅」)- 天尾を廃止。
- [23]:岩国駅 - 今津 - 東錦見 - 新町 - 錦帯橋 - 上多田 - 柱野駅 - 六呂師 - 大藤
- 1954年:錦帯橋 - 御庄支所の運行開始。
- 1955年:御庄 - 柱野の運行開始。
- 1959年:六呂師線の区間を運行開始。
- [4]:錦帯橋 - 下多田 - (上阿品 - 下多田) - 御庄橋 - 錦橋 - 北河内駅 ※一部上阿品止まりあり
戻新岩国 新岩国駅には、明示している路線のみ連絡する。(1975年(昭和50年)に 山陽新幹線の岡山駅~博多駅間が開通したのに伴い、[21]の運行開始を含む連絡運行が始まった)
※関戸バス停留所に停車する一部の路線では、高速バス錦帯ブルーライナーに乗り継ぐ事により岩国市周辺地域からも広島方面に連絡可能である。
[編集] 循環系統
- 平田・梅が丘循環線
- [31](左回り)、[66](右回り):岩国駅 - 砂山 - 裁判所 - 錦帯橋 - 平田 - 梅が丘 - 緑ヶ丘 - 南岩国駅 - 空港前 - 岩国駅
- [32](左回り)、[65](右回り):岩国駅 - 今津 - 裁判所 - 錦帯橋 - 平田 - 梅が丘 - 緑ヶ丘 - 南岩国駅 - 大薮 - 岩国駅
- 老人福祉センター循環線:
- [50]:岩国駅 - 大薮 - 門前 - 竜ヶ鼻 - 老人福祉センター - 下松山 - 梅が丘 - 下松山 - (この間、往路と逆向き)- 岩国駅
- 1976年:運行開始。
- くるりん(コミュニティバス)の運行時間前に、老人福祉センターおよび隣接する山口県立岩国商業高等学校との連絡輸送を行なうための、運行時間が限定された一方向のみの循環運転路線。
- 牛野谷循環線
- [51](左回り)、[55](右回り):岩国駅 - 砂山 - 東錦見 - 西岩国駅 - 愛宕橋 - 錦南 - 竜ヶ鼻 - 門前 - 大薮 - 岩国駅
[編集] 県営黒磯線
- [42]:岩国駅 - 今津 - 東錦見 - 裁判所 - 錦帯橋 - 平田 - 恵比須 - 藤生駅 - 岩国医療センター口 - 県営黒磯
- [75]:岩国駅 - 大藪 - 南岩国駅 - 恵比須 - 藤生駅 - 岩国医療センター口 - 県営黒磯
- 1942年:岩国駅(3代目)- 藤生駅 の運行を開始(ただし、この時点で南岩国駅は未開業と推測される(対応するバス停名なし))。
- 1963年もしくはそれ以前:国病下(現・岩国医療センター口)- 国病正門前(現・岩国医療センター)の運行開始。
- 1970年:国病正門(現・岩国医療センター)- 黒磯団地の運行開始。
- [77]:岩国駅 - 大藪 - 南岩国駅 - 恵比須 - 灘小学校 - 灘小学校南 - 一本杉 - 灘小学校南 - 丸子 - 藤生駅 - 岩国医療センター口 - 県営黒磯
- 2000年もしくはそれ以前:一本杉を経由する運行を開始。
- [78]:岩国駅 - 大藪 - 南岩国駅 - 天地 - 海土路団地 - 一本杉 - 丸子 - 藤生駅 - 岩国医療センター口 - 県営黒磯
- 2002年10月1日:海土路団地を経由する運行を開始[2]。
[編集] 長野尻・潮風公園線
- [86]:岩国駅 - 空港前 - 南岩国駅 - 恵比須 - 藤生駅 - 岩国医療センター口 - 通津駅 - 長野口 - 大歳/長野尻/(長野尻 - 由宇駅前 - 潮風公園)
- [89]:岩国駅 - 空港前 - 南岩国駅 - 恵比須 - 藤生駅 - 岩国医療センター口 - 保津南 - 浪の浦団地 - 浪の浦 - 通津駅 -(以下、大歳を除き[86]と同じ)
岩国駅方面と、由宇駅や潮風公園みなとオアシスゆうなどを結ぶ路線である。なお、岩国駅 - 長野尻の部分は、かつてあった#由宇・柳井方面路線の残余部分とも考えることができる。
[編集] 和木町方面
- 新日石精線
以前の名称は興亜石油線であった[4]。この旧名称は、会社合併により新日本石油精製が成立する(2002年4月)まで麻里府製油所を所有していた、旧・興亜石油株式会社の名を基にしている。
なお、本路線の「岩国駅」-「装束」-「栄橋」の区間は、廃止された#大竹市内行き路線の残余部分を継承している。
- [1]:岩国駅 -(昭和橋/立石二丁目)- 立石 - 新港 -(新港桟橋)- 装束 - 和木駅 - 栄橋 - 新日石精
- 1969年:栄橋 - 興亜石油(「興亜正門」;現在の「新日石精」)の運航を開始。
- 2004年9月1日:系統番号(行先番号)[0](当時)の「昭和橋」の代わりに「立石二丁目」を経由する、系統番号[8]を運行開始[4]。
- 2007年3月15日:系統番号[1](系統番号[0]を「新港桟橋」にも立ち寄らせるようにした路線)を、「立石二丁目」経由にした系統番号[9]の運行開始。
- 2008年3月15日:和木駅開業に伴うダイヤ改正により、それまでの系統番号(行先番号)の路線([0][1][7][8][9])が整理統合され、系統番号も[1]に統一された(「装束」の代わりに「装束会館」を経由していた、それまでの[7]は廃止)[5]。
系統番号は[1]に統一されたが、「昭和橋」を経由する便と「立石二丁目」を経由する便がある事には変わりがない。また、「新港桟橋」(岩国港ポートビルの前)に停車する便は限られている。
- 和木町循環線
- [3]:岩国駅 - 新港 - 装束 - 和木駅 - 和木町役場 - 大和橋 - 宮の下 - 和木町役場 - 和木駅 - 装束会館 - 新港 - 岩国駅
- 1952年12月10日:(新港 -)記念碑 - 装束 - 和木町役場(役場自体の所在場所が現在と異なる)- 大和橋の運行を開始。
- 2008年3月15日:和木駅開業に伴うダイヤ改正により、それまでの系統番号(行先番号)[2]の路線が[3]となった。なお、逆回り運行を行っていた旧[3]は廃止[5]。
- 和木駅線
- [2]:岩国駅 -(昭和橋/立石二丁目)- 新港 -(新港桟橋)- 装束会館 - 和木駅
- 2008年3月15日:和木駅開業に伴い開設[5]。
「昭和橋」を経由する便と「立石二丁目」を経由する便がある。「新港桟橋」(岩国港ポートビルの前)に停車する便は限られている。
- 小瀬線
- [4]:岩国駅 - 新港 - 装束会館 - 和木駅 - 和木町役場 - 瀬田口 - 小川津
- [5]:岩国駅 - 新港 - 装束会館 - 和木駅 - 和木町役場 - 瀬田口 - 小川津 - 上迫
- 1955年4月1日:和木町役場(役場自体の所在場所が現在と異なる)- 上迫 - 水口の運行を開始。(上迫 - 水口は、後に廃止)
- 1986年11月1日:「瀬田口」-「浄蓮寺」(廃止済)区間の運行を開始する。(廃止日:2000年4月1日)
- 2000年4月1日:旧[4](「岩国駅」-「瀬田口」-「蜂ヶ峯総合公園」)の運行を開始。
- 2008年3月15日:和木駅開業および和木町コミュニティバスの増便により、路線を再編。旧[4]の「瀬田口」-「蜂ヶ峯総合公園」を廃止し、旧[5]を[4]に、旧[6]を[5]へ系統番号(行先番号)を変更[5]。
和木町を経由して岩国市小瀬地区へと至るのを主とする路線である。関関バイパス(山口県道・広島県道1号岩国大竹線のバイパス部)が開通した現在においても、和木駅への連絡という新たな役割を得て、小瀬地区への運行は続いている。
なお、1971年4月当時、錦帯橋始発・岩国駅経由の直通便(水口行き)が存在した。この直通運行は、1996年の時点でも上迫行きとして残っていた。(直通廃止時期は不詳)
[編集] 岩国駅・交通局方面
- [B]:岩国駅 - 三笠橋 - 交通局(※)
- [C]:岩国駅 - 昭和町 - 交通局(※)
- [D]:岩国駅 - 三笠橋 - 交通局 - 木工団地(※)
※これらの路線は岩国駅 に到着後、その延長区間として目的地まで運行される。
岩国駅を発車したバスが各地から岩国駅へと戻る(延長として運転される区間がある場合を含む)場合の系統番号(行先番号)の表示は、「アルファベット+行先番号の末尾一桁」となる。なお、岩国駅止まりは「A+行先番号の末尾一桁」で表示。
「行先番号の末尾一桁」は、原則として岩国駅から各地行として発車した時に表示していた番号と同一のものを表示する。アルファベットは延長運行区間の系統番号を表示する。(例えば錦帯橋→西岩国駅・今津・三笠橋経由交通局なら[B3])
#循環線は「アルファベット」+「逆回りの路線の下一桁」を表示。(老人福祉センター循環線のみ、[50]→[A0]→[A5]という変則的な変化をする)
また、交通局方面(木工団地 発を含む)から岩国駅へと向かう間は、岩国駅からさらに各地へと向かう際の系統番号(行先番号)を表示する(表示上は一体化した路線の扱い)。岩国駅止めの場合は、系統番号(行先番号)を表示しない[6]。
[編集] コミュニティバス
くるりんおよびさくらという愛称の、2種類3系統(それぞれ左回り/右回りあり)のコミュニティバスが運行されている。
[ ]内は車両に貼られている系統番号(行先番号)
- [1]:くるりん 室の木・西駅・川下ルート(左回り)
- [2]:くるりん 室の木・西駅・川下ルート(右回り)
- [3]:くるりん 平田・南駅・牛野谷ルート(左回り)
- [4]:くるりん 平田・南駅・牛野谷ルート(右回り)
- [5]:さくら 桜ケ丘循環ルート(左回り)
- [6]:さくら 桜ケ丘循環ルート(右回り)
以下の経路は、左回りを順路として記載している。
- くるりん 室の木・西駅・川下ルート:
- 岩国駅 - ハローワーク - 保健センター - 西岩国駅 - 関所 - 川下小学校 - 大薮 - 労働基準監督署 - 空港前 - シンフォニア岩国 - 岩国駅
- くるりん 平田・南駅・牛野谷ルート:
- さくら:岩国駅 - 山手サンランド - 桜ヶ丘 - 関所 - 岩国駅
料金は全区間100円均一となっている。運行開始は2002年(平成14年)10月1日[2](西岩国駅と南岩国駅の間を結ぶ路線は、2003年(平成15年)11月1日から[7])。さくらは従来からあった桜ヶ丘循環バスをコミュニティバスとして拡充した。
「くるりん」には専用車両として、日野自動車の小型バス(日野・ポンチョ)を使用している。運行開始時に専用車として初代モデルが4台導入され(各車両で車体デザインが異なる)、2007年3月に2代目モデル1台が追加された(2代目モデルになったことで定員が初代の19名から35名に増加している)。なお、専用車両以外に、せいりゅう号(日野・リエッセのラッピングバス、詳細後述)も同時に使用している。
「さくら」には専用マークを掲げた日野・リエッセが用いられる。
なお、「くるりん」「さくら」とも、車検時などには代替車両が使用される。
[編集] 廃止路線
[編集] 由宇・柳井方面
- 柳井・由宇温泉方面
- (岩国駅・国病下(現・岩国医療センター口)方面 -)長野尻 - 由宇駅前 - 有家 - 神代駅前 - 大畠桟橋 - 柳井港 - 柳井駅前
- (岩国駅・国病下(現・岩国医療センター口)方面 - 長野尻 -)由宇駅前 - 千歳橋 - 寺迫 - 由宇温泉
- (岩国駅・国病下(現・岩国医療センター口)方面 -)長野尻 - 由宇駅前 - 千鳥ヶ丘病院前 - 千鳥ヶ丘中
- 1950年:通津 - 由宇の運行開始。
- 1950年:千歳橋 - 由宇の運行開始。
- 1954年:由宇 - 柳井の運行開始。
- 1958年:由宇 - 由宇温泉の運行開始。
- 1970年:由宇 - 柳井の運行廃止。
- 1972年:長野尻 - 由宇、由宇 - 由宇温泉の運行廃止。
- 1998年:長野尻 - 由宇駅前 - 千鳥ヶ丘中の運行開始。(千鳥ヶ丘中付近は一方向の周回運行)
- 2000年以降:長野尻 - 由宇駅前 - 千鳥ヶ丘中の運行廃止。
柳井駅行きは、瀬戸内海の海岸近くを経由する、岩国・柳井間を結ぶ郊外路線であった。
由宇温泉行きは、両端のバス停名称の通り、山陽本線の駅と温泉地を結ぶ路線である。現在は、岩国市営由宇バス(→#その他の「岩国市営バス」)が運行する路線経路の一部として継承されている。
千鳥ヶ丘中行きは由宇町内の千鳥ヶ丘団地との連絡路線。現在は、岩国市営由宇バスが運行する路線経路の一部として継承されている。
※長野尻 - 千鳥ヶ丘中が廃止された後、#長野尻・潮風公園線として由宇町内への乗り入れが再開している。
[編集] 岩国飛行場方面
- (岩国駅方面 -)空港前 - 空港正門前 - 憲兵隊 - 体育館 - 施設部 - 体育館 -(以下、逆順路)
- 1954年:空港前 - 憲兵隊の運行開始。
岩国駅方面と岩国飛行場の場内各所を連絡する為の路線。上に示した路線経由表記は、2000年時点でのものであり、1963年時点とでは飛行場内のバス停設置数等に違いがある(「飛行場」枝線バス停の廃止など)。岩国飛行場の性格上、利用者は海上自衛隊もしくは米軍の関係者が大半であったものと推定される。
なお、1952年6月14日に岩国飛行場への民間航空機の就航がなされた時には、岩国駅前に設置された日本航空待合所と岩国空港を結ぶ定期便路線が運行された。
[編集] 大竹市内
- 大竹駅・玖波駅方面
- レーヨン前・玖波駅方面:(岩国駅方面 -)栄橋 - 南栄 - 西栄 - レーヨン前 - 飛石 - 大竹市役所 - 玖波駅前
- 大竹駅・大和橋方面:(岩国駅方面 -)栄橋 - 南栄 - 西栄 - 大竹駅前 - 大竹市所前 - 大和橋 - 胡子神社前
- 1951年:大和橋まで路線延長
- (当時、和木役場経由の水口行きは未開設なので、大竹駅経由の乗り入れと考えられる)
- 1958年:玖波線として運行開始(レーヨン前・玖波駅方面)。
- 1970年:レーヨン - 玖波の運行廃止。
- 1972年:大竹駅 - 大和橋の運行廃止。(大和橋 - 胡子神社前の廃止時期は不詳)
- 2000年以降:栄橋 - 大竹駅の運行廃止。
- 1951年:大和橋まで路線延長
- 大竹紙業方面
- (始発点不明※ -)南栄 - 日本紙業前 - 御幸橋 - 大竹紙業
- ※始発は岩国方面、大竹駅前方面のいずれかと思われるが、確定資料なく詳細不明。
- (始発点不明※ -)西栄 - 御幸橋 - 大竹紙業
- ※始発は大竹駅前方面と思われるが、確定資料なく詳細不明。
- 1963年時点:路線経路通りに運行中。
- 1971年:この時点までにおいて全区間について運行廃止済。
- 油見・立戸回り
- (始発点不明※ -)大竹市所 - 油見 - 立戸 - 飛石(- 終着点不明※)
- ※大和橋と玖波駅前を結ぶ別系路線、もしくは、大竹駅前を発着点とする路線であったと思われるが、確定資料なく詳細不明。
- 1963年時点:路線経路通りに運行中。
- 1971年:この時点までにおいて全区間について運行廃止済。
現在は新日石精線の経路途中となっている栄橋より、県境を超え広島県大竹市内にて運行していた路線群である。上に示した路線経路は1963年時点のものである。これらの路線は、栄橋 - 大竹駅の廃止を最後に全て消滅し、大竹市内からは全面撤退している。
なお、1971年4月の時点では、岩国駅始発便以外に、錦帯橋始発(一部は西岩国駅経由)、および、由宇温泉・長野尻始発(国病下(現・岩国医療センター口)経由)の直通連絡運行を行う運行系統が存在した(直通連絡運行の開始および廃止の時期は不詳)。
[編集] 車両
[編集] 貸切バス・高速バス
貸切用車両として、日野・セレガ、いすゞ・ガーラなどを保有。ほぼ全車両が季節ごとの錦帯橋を題材にしたラッピングバスとなっている。2006年10月には日野・セレガSHDのリフト付モデルを導入した(リフト付き観光バスは山口県内では初の導入)。
高速バスには貸切車(日野・ブルーリボン(観光モデル)など)を転用したものが用いられている。転用に際し車体の再塗装を行い、岩国市の名勝である錦帯橋と、錦川を流れる水の色を連想させるデザインとなった。
[編集] 一般路線用バス
三菱ふそうトラック・バス製の車両と日野自動車系統の車両が存在する。かってはいすゞ自動車製の車両も存在した。現在は全車両が中型車またはそれ以下のクラスとなっている。
中型車両は、クリーム色の地色を上から順に枝分かれしながら最終的に4つに分かれて覆う淡青色の模様が、描かれている。前面は、クリーム色の地色にフロントガラス付近の淡青色の扇状模様。後部はクリーム色にリアウィンドウ下の細帯(淡青色)1本。
小型車両は、白色の地色に緑色の帯模様を基本とし、帯模様は直線的で鋭角部分を有する。車両によって帯模様の形状などに細かな違いがある。
三菱の車両は三菱ふそう・エアロミディのワンステップモデルが中心。
日野の中型車両は日野・レインボーRJのワンステップモデルが中心。岩国市交通局では古くより西日本車体工業の架装モデル(現在はB型)を使用している。後述のギャラリーバスにもこの車両がベース車両として用いられた。小型車両には日野・リエッセが用いられている。
1977年(昭和52年)9月よりバス事業の収支改善の一環として車両へ広告板を取り付ける事が始まり、一時は窓の上部に横長の広告看板を搭載した車両が多数見られたが、現在ではわずかに残るのみ。
[編集] 名物バス
岩国市交通局では、「名物バス」と称して特徴的な路線バスをいくつか運転している。上記のコミュニティバスもこれに含めて紹介している。
[編集] いちすけ号
かつて岩国 - 錦見( - 新町)間で運転されていた岩国電気軌道の電車を模した電車風バス(ファンタスティックバス)。日本初の電力会社である東京電燈や、白熱舎(後の東京電気→東芝)の創業者で、岩国電気軌道の創始者でもある藤岡市助の功績をたたえるため、1999年(平成11年)4月1日から運転している。
系統番号[13](岩国駅~錦帯橋)として運転。ちなみにこの路線には、かつての岩国電気軌道の軌道跡を走行する区間がある。
[編集] せいりゅう号
1996年(平成8年)に導入されたワンマン運転の小型バス(日野・リエッセ)。子供たちが応募した作品の中から選ばれた優秀作3点を元にしたデザインが、ペイント塗装で施されている。1996年のバスの日記念行事(9月21日)に、選に入った子供たちに対するデザイン表彰式、出発式および試乗行事が行なわれた。現在は、くるりんの運行車両として使われている。
[編集] ギャラリーバス
車内(後方、および天井の広告スペース)にあるテーマによる展示を行い、車体全体にラッピング広告と同じ手法によるデザインを施した車両。以下の3台があり、いずれも系統番号[21](岩国駅~錦帯橋~新岩国駅)で運転されている。基本的に各車両の運用が固定されているが、車両整備等の都合により代替車両による運行となる場合がある。
- おはんバス
- 岩国出身の作家、宇野千代の代表作であり、岩国が舞台になっている「おはん」をテーマにしたバス。2003年9月14日にお披露目および出発式が行われ、2003年11月1日から正式に系統番号[21]で営業運転に入った(ただし正式運行前にも、別路線を含む営業運転に使われる場合があった)[8]。
- 島耕作バス
- 岩国出身の漫画家、弘兼憲史の代表作である「島耕作シリーズ」をテーマにしたバス。ちなみに主人公の島耕作も岩国出身という設定になっている。2003年10月12日にお披露目を実施し、同年11月1日より正式運行に入る。
- 錦帯橋バス
- 岩国市の名勝、錦帯橋の2001年(平成13年)からの掛け替え工事をテーマにしたバス。
[編集] その他の「岩国市営バス」
岩国市交通局が運営主体となっていない、岩国市直営のバス事業としては以下のものがある。いずれも、2006年(平成18年)3月20日付の周辺自治体との市町村合併に伴って、旧町村が運営していた町営(村営)バス(自治体バス)を継承したものである。
- 岩国市営玖珂バス(旧玖珂町営バス;現在は玖珂総合支所地域振興課の所管)
- 岩国市営周東バス(旧周東町営バス;現在は周東総合支所地域振興課の所管)
- 岩国市営由宇バス(旧由宇町営バス;現在は由宇総合支所地域振興課の所管)
- 岩国市営らかん清流バス(旧本郷村営らかん清流バス;現在は本郷総合支所地域振興課の所管)
- 岩国市営錦バス(旧錦町営バス;現在は錦総合支所地域振興課の所管)
- 岩国市営美川バス(旧美川町営バス;現在は美川総合支所地域振興課の所管)
- 岩国市営美和バス(旧美和町営バス;現在は美和総合支所地域振興課の所管)
[編集] バス事業以外
岩国市公営企業局として公営企業組織に移行した際、1949年(昭和24年)7月に岩国市土木課の所管で開設された、岩国(岩国港(新港))~柱島間の渡船事業(1951年(昭和26年)には運輸課所管)を継承した。この渡船事業は、1961年(昭和36年)に防予汽船へ譲渡され、現在は岩国柱島海運が航路を継承している。
[編集] 参考文献
- 岩国市交通局 (1978). 市営バス40周年. (株)広島アド.
- 1977年以前の歴史について(運行路線図(1942年および1963年)や変遷を含む)
- 岩国市交通局 (2000). 市営バス60周年記念誌. 岩国市交通局.
- 1978年以降の歴史、運行路線図(2000年)等「市営バス40周年」に未記載の情報を補足
- 岩国市史編纂委員会 (12 1971). 岩国市史 下. 岩国市役所, 460-462.
- 1971年4月当時の運行路線系統、その他歴史関係の補足
- (10 2003) in 和木町史編纂委員会: 和木町史. 和木町, 763-764,1518,1523. 和木町関連分の運行路線の変遷について
- ^ 岩国市コミュニティ課広報係 (2002). 市報いわくに 平成14年10月1日号. 岩国市, 5.
- ^ a b c 岩国市コミュニティ課広報係 (2002). 市報いわくに 平成14年9月1日号. 岩国市, 4-5.
- ^ 中国みなとオアシス協議会. "潮風公園みなとオアシスゆう (日本語)" 中国みなとオアシス協議会. 2008-04-15閲覧.
- ^ a b 岩国市コミュニティ課広報係 (2004). 市報いわくに 平成16年8月15日号. 岩国市, 5.
- ^ a b c d 岩国市交通局 (3 2008). 市営バス時刻表(平成20年3月15日改正). 岩国市交通局.
- ^ 岩国市交通局 (12 2006). 市営バス時刻表(平成18年12月1日改正). 岩国市交通局.
- ^ 岩国市コミュニティ課広報係 (2003). 市報いわくに 平成15年12月1日号. 岩国市.
- ^ 岩国市コミュニティ課広報係 (2003). 市報いわくに 平成15年9月1日号. 岩国市, 11.
道路・路線・住所情報(変遷を含む)の取得に関して(補助情報):
- 昭文社 (1998). エアリアマップ 都市地図シリーズ 山口県7 岩国市(本図1:16,000). 昭文社. ISBN4-398-93557-6.
- 大日本帝國陸地測量部 編 (1900). ニ万分一地形圖岩國近傍一號 新港. 大日本帝國陸地測量部. “圖國號は図国号の旧字体、発行者は国土地理院の前身、岩国市立中央図書館所蔵”
[編集] 外部リンク
- 岩国市交通局
- 暮らしのガイドブック(PDF) 岩国市・発行 (市営バス路線図 P47-P49)
現況の道路・路線・住所情報の取得に関して(補助情報):