天北線
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天北線(てんぽくせん)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)/日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。北海道中川郡音威子府村(上川支庁管内)の音威子府駅で宗谷本線から分岐し、宗谷支庁管内の枝幸郡浜頓別町等を経て稚内市の南稚内駅で再び宗谷本線に接続した。国鉄再建法の制定にともない第2次特定地方交通線に指定され、1989年に廃止された。
線名は、敷設されている地域の旧国名、「天塩国」と「北見国」から採られている。
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[編集] 路線データ(廃止時)
- 管轄:北海道旅客鉄道(第一種鉄道事業)
- 路線距離(営業キロ):音威子府~浜頓別~南稚内 148.9km
- 駅数:30(起終点駅を含む)
- 軌間:1067mm
- 全線単線
- 電化方式:全線非電化
- 閉塞方式:タブレット閉塞式(併合閉塞は票券閉塞式)
- 交換可能駅数:7(小頓別、敏音知、中頓別、浜頓別、鬼志別、曲淵、声問)
- 猿払、樺岡は交換設備があったが撤去。また、小石には交換設備がなかったが、以前は閉塞の取り扱いを行っていた。
- 交換可能駅数:7(小頓別、敏音知、中頓別、浜頓別、鬼志別、曲淵、声問)
[編集] 歴史
現在ロシア占領下の樺太(サハリン)への連絡鉄道として建設された宗谷本線の最初のルートである。オホーツク海沿岸地主による我田引鉄として、大きく迂回するルートが定められたと言われている。1922年に稚内まで全通した。1926年、音威子府駅-南稚内駅間に、より距離の短い天塩線が幌延経由のルートで開通すると、1930年に天塩線が宗谷本線に編入され、浜頓別経由のルートは北見線(きたみせん)として分離された。1961年10月1日、全国的な白紙ダイヤ改正を機に、北見線は天北線に改称された[1]。
1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季の代替輸送に問題があるとして他の3線(名寄本線、池北線、標津線)とともに一時、廃止承認が留保された。しかし、結局1985年に問題がなくなったとして追加廃止承認され、国鉄分割民営化後の1989年に廃止された。
廃止の時点まで急行「天北」が運行されていた。第三セクター鉄道など他の事業者に運営を引き継ぐことなく、優等列車が運行された状態で完全に廃止となった路線は、国鉄・JRの歴史では当線が最初のケースである。
- 1914年(大正3年)11月7日 【延伸開業】宗谷線音威子府~小頓別(15.6km) 【駅新設】上音威子府、小頓別
- 1916年(大正5年)10月1日 【延伸開業】小頓別~中頓別(26.8km) 【駅新設】敏音知、松音知、中頓別
- 1918年(大正7年)8月25日 【延伸開業】中頓別~浜頓別(19.0km) 【駅新設】下頓別、浜頓別
- 1919年(大正8年)10月20日 【線名改称】宗谷線→宗谷本線
- 1919年(大正8年)11月1日 【延伸開業】浜頓別~浅茅野(15.2km) 【駅新設】山軽、浅茅野
- 1920年(大正9年)(年)11月1日 【延伸開業】浅茅野~鬼志別(17.1km) 【駅新設】猿払、芦野、鬼志別
- 1921年(大正10年)10月5日 【線名改称】宗谷本線→宗谷線
- 1922年(大正11年)11月1日 【延伸開業】鬼志別~稚内(現在の南稚内)(56.2km) 【駅新設】小石、曲淵、沼川、樺岡、幕別、声問、稚内
- 1922年(大正11年)11月4日 【線名改称】宗谷線→宗谷本線
- 1926年(大正15年)9月25日 天塩線(音威子府~幌延~稚内)全通
- 1928年(昭和3年)12月26日 【延伸開業】稚内~稚内港(現在の稚内)
- 1930年(昭和5年)(年)4月1日 【区間分離・線名改称】天塩線を宗谷本線に編入し、音威子府~浜頓別~稚内間(149.9km)を分離。宗谷本線→北見線
- 1936年(昭和11年)7月10日 【支線開業】興浜北線
- 1939年(昭和14年)2月1日 【駅名改称】稚内→南稚内(同時に稚内港→稚内)
- 1944年(昭和19年)11月1日 【支線休止】興浜北線
- 1945年(昭和20年)12月5日 【支線復活】興浜北線
- 1952年(昭和27年)11月6日 【改キロ】声問~南稚内(-1.0km) - 南稚内駅移転による
- 1955年(昭和30年)12月2日 【仮乗降場新設】上駒、寿、常盤、飛行場前、宇遠内
- 1956年(昭和31年)5月1日 【仮乗降場新設】恵野、周磨
- 1956年(昭和31年)11月19日 【仮乗降場新設】安別
- 1959年(昭和34年)11月1日 【仮乗降場新設】新弥生
- 1961年(昭和36年)4月1日 【線名改称】北見線→天北線
- 1961年(昭和36年)11月1日 【優等列車設定】札幌~稚内駅間を本線経由で運行する急行列車「天北」を設定。(詳細は→宗谷 (列車)を参照されたい)
- 1963年(昭和38年)10月1日 【駅名改称】幕別→恵北
- 1965年(昭和40年)10月 【仮乗降場廃止】天北栄(上音威子府~小頓別間。新設日不明)
- 1967年(昭和42年)10月1日 【仮乗降場廃止】北頓別(浜頓別~山軽間。新設日不明)
- 1984年(昭和59年)2月1日 【貨物営業廃止】全線
- 1985年(昭和60年)7月1日 【支線廃止】興浜北線
- 1985年(昭和60年)8月2日 第2次特定地方交通線として廃止承認
- 1987年(昭和62年)4月1日 【承継】日本国有鉄道→北海道旅客鉄道 【仮乗降場→駅】恵野、周磨、上駒、寿、新弥生、常盤、安別、飛行場前、宇遠内
- 1987年(昭和62年)6月1日 【臨時駅設置】東声問(恵北~声問間。この日のみ営業)
- 1987年(昭和62年)11月10日 【駅→臨時駅】上音威子府(11月10日~翌年3月31日休止)
- 1989年(平成元年)5月1日 【路線廃止】全線。宗谷バスにバス転換
[編集] 駅一覧及び接続路線
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
音威子府駅 | 0.0 | 北海道旅客鉄道:宗谷本線 | 北海道 | 中川郡音威子府村 |
(臨)上音威子府駅 | 5.4 | |||
小頓別駅 | 15.6 | 歌登町営軌道 (1970年11月1日廃止) |
枝幸郡中頓別町 | |
上頓別駅 | 20.6 | |||
恵野駅 | 23.2 | |||
敏音知駅 | 27.1 | |||
周磨駅 | 31.2 | |||
松音知駅 | 34.5 | |||
上駒駅 | 37.4 | |||
中頓別駅 | 42.5 | |||
寿駅 | 46.6 | |||
新弥生駅 | 48.0 | |||
下頓別駅 | 51.6 | 枝幸郡浜頓別町 | ||
常盤駅 | 54.8 | |||
浜頓別駅 | 61.5 | 日本国有鉄道:興浜北線 (1985年11月1日廃止) |
||
山軽駅 | 67.7 | |||
安別駅 | 70.4 | 宗谷郡猿払村 | ||
飛行場前駅 | 72.8 | |||
浅茅野駅 | 76.7 | |||
猿払駅 | 82.9 | |||
芦野駅 | 87.4 | |||
鬼志別駅 | 93.7 | |||
小石駅 | 99.0 | |||
曲淵駅 | 116.7 | 稚内市 | ||
沼川駅 | 121.0 | |||
樺岡駅 | 127.2 | |||
恵北駅 | 136.3 | |||
(臨)東声問駅 | - | |||
声問駅 | 141.8 | |||
宇遠内駅 | 146.8 | |||
南稚内駅 | 148.9 | 北海道旅客鉄道:宗谷本線 |
[編集] ゲーム世界での天北線
天北線は1989年に廃線となったが、ハドソンの人気鉄道ゲーム「桃太郎電鉄シリーズ」では、1989年の廃線以前である第1作の「桃太郎電鉄」(FC:1988年12月2日)で稚内に至る路線は宗谷本線らしき1本のみであった一方、1989年の廃線以後である第2作「スーパー桃太郎電鉄」(PCE:1989年9月15日、GB:1991年3月8日、FC:1992年3月20日) 以降で天北線らしき路線が登場し、最新作でも変わらず存在している。 第1作で天北線が存在しなかった理由はマップの簡略化と考えられ、また第2作以降で削除されない理由については、この路線が存在することによるゲーム性を維持するためと説明されている。