似島
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似島 | |
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座標 | 北緯34度17分-19分 東経132度25分-27分 |
面積 | 3.87km² |
海岸線長 | 16.0km |
最高標高 | 278m |
所在海域 | 瀬戸内海(広島湾) |
所属国・地域 | 日本(広島県) |
似島(にのしま)とは、瀬戸内海の広島湾に浮かぶ島。行政区分としては広島県広島市南区に属し、広島市内の島としては最大のものである。人口は1168人、世帯数は662世帯(いずれも2006年4月末現在)。
目次 |
[編集] 地理
広島港の南、約3kmに位置する。島の北側には安芸小富士(あきのこふじ)と呼ばれる山(標高278m)があり、広島市街や広島湾岸からも望むことができる。また、中区富士見町は、この安芸小富士が綺麗に見えるところから、その名が付いたという。
島には平地が少なく、山がちである。南側には天然の砂浜と干潟がある。
[編集] 歴史
江戸時代には、荷継ぎの港として栄え「荷の島」と呼ばれていた。これは、広島湾が遠浅で、大きな船舶が岸まで入れなかったためで、一旦似島に荷を下ろし、そこからより小さな船で本州へと運んでいたという。古い文献では「二の島」「見の島」「似の嶋」「箕島」などの表記も見られるが、後に「富士山に似た山のある島」から来ているといわれる似島の表記が定着する。
似島には、1895年(明治28年)から第二次世界大戦終了直後まで日本軍の検疫所が置かれており、現在でも当時の軍事施設の遺構が残っている。日露戦争、第一次世界大戦当時は捕虜収容所も設置された。第一次大戦時に収容されていたドイツ人捕虜カール・ユーハイムが、収容中に日本初のバウムクーヘンを焼いたというエピソードがあり、日本におけるバウムクーヘン発祥の地といわれる。
また、似島は古くから広島の中でもサッカーが盛んに行われた場所であり、サッカーの国際試合が広島県で初めて行われた場所で、第一次大戦時、似島に収容されたドイツ人捕虜と広島高等師範学校(現・広島大学)の学生が親善試合を行った。似島中学は、広島サッカー界でも古豪として知られ、中でも1970年、第一回全国中学校サッカー大会で準優勝している。また、1954年には似島中学校の教師であった渡部英麿が全日本(現在のサッカー日本代表)に選ばれている。
広島市への原子爆弾投下後には、検疫所が臨時の野戦病院として使用され、1万人とも言われる犠牲者が似島に運び込まれた。慰霊碑も設置されている。似島学園ができたきっかけでもある。
行政区分上は江戸時代から1929年に至るまで安芸郡仁保島村(のち仁保村)に属し、1929年同村が広島市に編入合併されて以降は「仁保町」の一部であったが、1933年に同町より分離して「似島町」が新設され現在に至っている。
[編集] 交通
本州や他の島との間に橋などはなく、1日に13往復運行される定期航路がある。(似島汽船)
カーフェリーは島の西側にある似島港と広島港とを往復し、所要時間は片道約20分。ただし、島の東側にある学園前桟橋を経由する便(1日3便)では、50分ほどかかる。
島内にはバスやタクシーなどの交通機関はない。似島港近隣にて自転車の貸し出しが行われている。外周道路の南側を除く多く道路は車両の通行ができなくなっている。また、島内には信号機が一つも設置されていない。
[編集] 観光
[編集] 産業
かつて砂利運搬船の保有数が日本で最も多かったほど砂利採取運搬が盛んであった。
漁業では牡蠣の養殖が盛んで、島を取り巻くように数百の牡蠣筏が浮かべられている。ナマコ、タコ、メバルなどの沿岸漁業も行われる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 似島汽船 - 定期航路を運行する会社
- 似島なんでもナビ
- サッカーオンラインマガジン
- フジテレビ番組紹介『ドイツからの贈りもの ~国境を越えた奇跡の物語~』