仙台車両センター宮城野派出所
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仙台車両センター宮城野派出所(せんだいしゃりょうせんたーみやぎのはしゅつじょ)は、宮城県仙台市宮城野区にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地である。同社仙台支社の管轄。運転士・車掌職場である宮城野運輸区が併設されている。
陸前原ノ町駅構内にあった陸前原ノ町電車区が前身で、仙石線仙台~苦竹間の地下化工事に合わせて現在地に移転、名称が変更されたものである。派出所内の線路は宮城野信号場を介して仙石線と接続している。
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[編集] 配置車両の車体に記される略号
「仙セン」…仙台支社を意味する「仙」と、仙台を意味する「セン」で構成される。
[編集] 車輌の入出庫
宮城野派出所の車輌は、始発駅への送込み回送、石巻駅方からの入庫車両、および最終列車の入庫車両は直接回送での入出庫となるが、あおば通駅方からの入庫車輌は、小鶴新田駅止まりで運行され、小鶴新田駅からは回送として宮城野信号場から入庫を行う。逆にあおば通駅方に出庫する車輌は小鶴新田駅まで回送され、同駅始発となる(また小鶴新田駅の設置前は苦竹駅止まりで宮城野信号所から入庫し、出庫する列車は苦竹駅始発になっていた)。 また毎年8月に開催される松島灯籠流し花火大会で運転される臨時列車「流灯号」には、福田町駅始発もあり、福田町駅始発列車は宮城野信号場から福田町駅に回送され、同駅始発で運転される。
[編集] 歴史
- 1946年 陸前原ノ町電車区設立。略号は「仙リハ」。
- 1991年 仙石線仙台~苦竹間の地下化工事に伴い福田町駅付近に移転し、宮城野電車区と改称。同時に略号を「仙ミノ」に改称。
- 2003年 運転士と検修を分割し、検修部門を仙台電車区宮城野派出所に改称。同時に運転士部門と車掌部門(仙台車掌区の一部)を統合し「宮城野運輸区」発足、略号を「仙セン」に改称。
- 2004年 仙台電車区の仙台車両センターへの改称に伴い、現在の名称に変更。
[編集] 配置車両
仙石線の普通列車と快速列車に運用されている車両が配置されている。
[編集] 電車
[編集] 205系電車
- 3100番台4両編成(M1-M18編成)18本が配置されている。
- 山手線にE231系500番台が投入された際に余剰となった車両を2002年~2004年にかけて改造(郡山総合車両センター・秋田総合車両センターで実施)・転属(一部は川越車両センターから転属)したものである。
- ドアに手動スイッチ式半自動機能やドアチャイムが付加されるなど、寒冷地向けの改造が施されたほか、本来の先頭車が別の地区(中原電車区:南武線)に転属となった事から、先頭車は中間付随車(もと山手電車区:山手線、川越電車区:埼京線)が改造されたものとなった。またドアスイッチはこれまでの半自動対応車両とは異なり、押ボタンが使用できる場合はボタン周囲のLEDランプが点灯するよう新しく開発されたもの(E721系・E233系にも類似したものを設置。LEDランプは転配直後は押すと黄色く点灯する仕様だったが、故障が相次いだために一時期点灯しなくなったが、2004年初頭になって黄色点灯のみを廃止して点灯が再開された)になっている。 ドアチャイム
- 沿線住民からの要望を受け、車椅子対応トイレが石巻側先頭車に設置された。さらに、架線に付着する霜を落とすためにM12・14・16・18編成はパンタグラフを2基搭載している。
- M2~5・8編成の石巻側先頭車は、「2wayシート」と呼ばれるクロスシートとロングシートとに転換できる座席を装備している(近畿日本鉄道の「L/Cカー」と同じもの)。
- 「2wayシート」は通常クロスシートの状態で運転されるが、東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地である宮城球場でプロ野球の試合がある日など特に混雑が見込まれる場合には、ロングシートに変更の上で運用されている。この座席の導入当初は快速列車のみクロスシート状態とし、普通列車ではロングシート状態とするという厳密な使分けが行われていたが、まもなく常時クロスシート状態で運行されるようになった。なおクロス・ロングのシート転換は乗務員室設置のスイッチ操作でのみ可能で、乗客が任意に変更することはできない。またクロスシート状態での座席方向転換は任意で可能なほか、自動で一斉に変更することもできる。「2wayシート」の設置にあわせて、ドアエンジンが701系と類似したもの(直動空気式)に変更されており、ドアの開閉動作がほかの車両とは異なっている。
- 「2wayシート」設置編成のうちM2~5編成は、1両毎に沿線都市をイメージした異なる色の帯を巻いている(以下石巻方から)。
- M8編成は漫画キャラが各部に配された「マンガッタンライナー」である。この編成は当初青帯の通常編成として落成する予定だったが、急遽計画が変更され「マンガッタンライナー」となった。「がんばれ!!ロボコン」や「サイボーグ009」、「仮面ライダー」に「秘密戦隊ゴレンジャー」といった石ノ森章太郎の作品のキャラクターのラッピングが外部に施され、内装もキャラクターの図柄が装飾の中心となっている。土曜・休日は時刻表で「マンガッタンライナー」と書かれている列車に限定運用される。この運用時は車掌による車内放送ではなくロボコンの声(声優の山本圭子が担当)による自動放送となる。平日は他の編成との共通運用である。
- この他にも、仙台地区でのSuica使用開始を宣伝した広告電車(M1編成)や、小鶴新田駅開業記念、グッドウィルmobaito.com(M18編成)や安田生命(→明治安田生命、M16編成)などの広告電車が運行された。2006年1月下旬からはモバイルSuicaのサービス開始を宣伝した広告電車(M15編成)が運行されている。
- 2005年から順次全般検査により下回りがグレー塗装となっている。また、工場への入場の際、パンタグラフが経由する石巻線の陸橋の高さ制限に掛かるために、出入場の際はパンタグラフをシングルアーム式に一時的に取替え使用されていたが、2005年12月までに全編成がPS21形からシングルアーム式に変更された。なお、交換前は霜取用のみシングルアーム式を搭載し、通常用のPS21形パンタグラフと混在して使用されていた編成も存在した。
- また2009年度末に使用開始予定の、現在仙石線あおば通~東塩釜間において評価試験を行っているATACSに対応するために、順次関連機器の搭載・改造が行われている。
- 103系同様ゴミ箱が設置されていたが、テロ防止対策として後に撤去された。
[編集] 103系電車
- 4両編成(RT-235編成)1本が配置されている。他の編成については過去の配置車両を参照のこと。
- 多賀城駅付近の立体交差化工事の際に車両不足が想定される事から、当所の103系で唯一予備車として残存しているものである。
- 2年間の留置期間を経て郡山総合車両センターに入場し、2006年11月17日に郡山総合車輌センター内において構内試運転が実施された。11月21日にED75形759号機牽引で郡山から小牛田へ、DE10形牽引で小牛田から石巻へ、石巻から宮城野派出所内までは自力でそれぞれ回送された。
- 2006年12月7日より2007年3月17日まで、試運転があおば通~石巻間で行われた。2007年3月19日より正式に営業運転に復帰している。現在平日朝のラッシュ時のみの運用となっている。
- 入場に際し、台車を郡山仕様のグレー化(床下機器は塗装されていない)、トイレ設置(出場時は準備工事。営業運転前に設置が完了した)、パンタグラフを従来の菱形からシングルアームタイプに変更などの改造が施された(シングルアームタイプは103系としては初の搭載)。またATSは、以前搭載していた「ATS-Sn」から「ATS-Ps」へ改造されている。営業運転復帰を前に、種別表示幕の部分が「仙石線」と表示されたものに交換されたほか、座席モケットも205系と同じ色に変更された。
- この編成は現在、JR東日本に残る最後の営業用103系電車である。
- 2007年12月5日に郡山総合車輌センターに入場したが、同月21日に出場回送され、同月26日より営業運転に復帰している。
- なお2007年12月現在で、205系に対して行われているATACS対応化工事は、同編成には行われていない。
[編集] 事業用車両
- クモヤ145形電車
- 1両が配置されている。救援車。
- 1983年に、それまで使用されてきたクモヤ90形に代わって導入された。以前はマヤ検(マヤ34形客車を使用した軌道関係の各種検測)の牽引車にも使用されていたが、キヤE193系気動車が入線するようになってからは、その運行形態は廃止されているため、本線走行の機会は検査入場時以外にはほとんどない。
- 現在は、主に車輌センター内で検査を行う車輌の入れ換え作業に使用される。
[編集] 過去の配置車両
[編集] 72系電車
- 1969年からベンチレーターを押込形にするなどの耐寒工事がなされた車両が中心となり、他形式や宮城電気鉄道からの引継車とともに活躍した。その他、後述の103系電車と同様の理由で運転台直後の窓に金網が張られていた点が目立っていた。
- 末期になると、老朽化対策として1974年に、車体のみ103系後期車と同等のものに載せ替えた編成(アコモ改良車)が5編成現われ、1979年に通常車が置換えられた後も1985年まで残存していた。これらは後に機器類も103系のものに交換した上で正式に103系3000番台となり、川越線などに転属している。
- 塗装は朱色4号とクリーム4号の「気動車色」から1967年よりウグイス色(黄緑6号)となり、1978年に「黄緑は田園の緑と同化してしまう」という理由から警戒色を入れる事になり、白・赤・黄色を比較した結果黄色(黄1号)が採用されて同年中に全先頭車に塗装された。一般車淘汰後も残ったアコモ改良車は、103系電車に合わせてスカイブルー(青22号)1色へと再度変更された。
- 編成はMcT'MTcが基本だが、M車をT車として運転を行ったり、運用に応じて車輌交換がされていたので、編成は決まっていない。
[編集] 103系電車
1編成が配置されているため厳密には過去の車両ではないが、大部分が廃車されているため、本項で記す。
- 前期車(McM'TTc×16本)
- 1979年から72・73系電車の置換えを目的として投入されたグループである。全16編成が在籍し、編成番号はR+クモハの車号で付られていた(クモハ103-80以下4連ならばR-80編成)。
- 投入開始時は仙石線内にタブレット使用区間があったため、乗務員室直後にあった戸袋窓はタブレットがぶつかる事による窓の破損を防止するために閉塞されていたが、自動信号化後の1984年に転入したクモハ103-1・2・144・149、クハ103-74・81・92・503の8両は戸袋窓の閉塞は行わなかった。また、これらの編成は扉の半自動化(戸閉装置は従来のままで半自動化したので取手は大型のものを取付けている)、暖房強化、二人乗務用に運転室助士側に腰掛とワイパーを増設、前面窓ガラスにデフロスタ取付(のちに熱線入ガラスと交換されたため撤去)、ATS-S形車上装置の搭載などが施工されている。国鉄末期の1986年にクハ103-10・42・74の3両に対し、車内に飲料の自動販売機とゴミ箱が設置された(いずれものちに撤去)事で話題となった。
- これらの編成は1993年中頃まで在籍しており、1編成を除き全編成が非冷房編成であった(これ以外に冷房編成がもう1本在籍していたが、1987年に105系電車に改造された)。全車スカイブルー塗装で入線している。なおこの中にはクモハ103形のトップナンバー車も在籍していた。
- 後期車(McM'TTc×9本・TcMM'Tc×9本)
- 1989年から投入されたグループは、首都圏への205系電車投入によって余剰となっていた103系電車で、仙石線向けの改造・更新工事を行った上で入線している。ただし一部は冷房化率100%を早期に達成するため、未更新のまま入線した車両もある(その後、改めて改造を受けて再入線している)。乗務員室直後の戸袋窓はすでに自動信号化されていて閉塞する必要がなくなったためにそのままとなっている。
- 前期投入分が主に初期車が選ばれたのに対し、このグループは中期型新製冷房車など状態の良い車両も多数選出されており、両端がクハの編成も出現した。その関係で編成名はR+石巻方の車種(クモハ・M クハ・T)+車番となった(クハ103-123以下4連ならばRT-123)。なおこの中にはクモハ103形やクハ103形500番台のラストナンバー車のほか、AU712形クーラーの装備車も若干在籍していた。
- 更新内容は前面窓2枚化・側窓を上段下降・下段固定のユニットサッシ化・側窓、戸袋窓ガラスの着色ガラス化・バケットシート化・袖仕切設置・半自動ドア化(前期グループと異なりボタン式)・ドアブザーの設置( 北側ブザー ・ 南側ブザー )・種別幕設置(運行表示窓を改造)・内壁張替などで、先頭車にはゴミ箱(のちに撤去)も設置されていた。後にRT-105・107・131・235編成ではモハ103形のパンタグラフを2基に増設するダブルパンタ化工事が行われた。これは冬季の架線に付着する霜を落とす役割を果たし、11月から4月頃までパンタグラフを2基上げて走行するもので、この改造を受けた4編成は2003年12月まで廃車されること無く運用されていた。その後、RT107・RT131・RT105の順に廃車され現在に至る。
- 2000年にはJR東日本の103系電車で唯一、屋根のベンチレーターを撤去する工事が施行された。JR西日本で同様の工事が施工された車両と異なり、撤去後に円形のカバーがかぶせられていた(JR西日本車は完全に埋込んでいる)。
- 1994年投入のRM-155編成及び1998年投入のRT-299・371編成(京浜東北線から捻出されたATC仕様車)は、すでに首都圏仕様の更新が行われていたためにドアや窓の更新を省略するなど、若干簡略化された形態で登場した。特にRT-299・371編成は高運転台先頭車+非ユニット窓中間車という異色の編成で、内装を交換せず、ドアの配線も剥き出しで投入された。これら1998年投入分は、仙石線内はカーブが多い都合から高運転台車では運転に支障が出るという事や、転入してから最初の定期検査を受ける前に置換えが開始された事もあって早めに処分されたため、JR東日本では唯一高運転台車よりも低運転台車の方が遅くまで残った線区となっている。
- 塗装は登場時より上からアイボリー・青(太線)・スカイブルーという独自の3色塗装(側扉はアイボリー単色)だったが、1998年投入の高運転台車編成より白にコバルトブルーを配した「SENSEKI LINE色」に変更され、各所に同線のロゴも入れられた。のちに従来車もこれに合わせて変更された。
- 工場への入出場時には回送に機関車が使用されるため、その際には前部連結器が自動式に取替えられた。
- 1993年までに前期投入グループを淘汰し、冷房化率100%を達成させた。その後も2003年まで全編成が在籍していた103系電車だが、205系電車の配置に伴い、老朽化が進むMcM'TTcの編成から廃車され始め、順次、郡山総合車両センターで解体された。2004年7月までに17編成が運用を終了し、廃車・解体されている。ただし、RT-235編成のみは多賀城駅付近の立体交差化工事の際に車両不足が想定される事から予備車として残存し、2年間の留置期間を経て郡山総合車両センターに入場、その後営業運転に復帰している。詳しくは、上記参照。
- 前期車と同じくゴミ箱が設置されていたが、テロ防止対策として撤去された。
- その他
- 仙石線では水害で電車が浸水する事が何度かあったほか、車庫内で電車が接触する事故も発生した。これらの車両が修理中の間に、一時的に他地区から借用された103系電車が仙石線を走った。その際には仙石線でオレンジ色、カナリヤ色、ウグイス色の103系が見られた。また2000年に仙台駅付近地下化のための訓練運転用として運び込まれた車両は試作冷房車(クハ103-178・179)であり、鉄道ファンの間では話題となった。
- これらの車両は借用先の電車区で廃車前提の車両だったものか、仙石線への転出が決定した車両であり、転出予定の車輌はそのまま転入し郡山工場で改造され改めて入線している。一時的な借用の車輌は、書類上のみ元の車両基地に返却され、車両はそのまま郡山工場へ送られて廃車されている。
[編集] 105系電車
(McTc×2本)
- 1987年に輸送量自体は低いものの都市化が進み始め区間利用者が見込める石巻~矢本間の区間列車運転を主目的として投入された車両で、通常最低でも3両でしか走行できない103系電車を、1M方式(72系電車と同様)で走行できるように改造したものであり、2編成が存在した。種車は当時2本あった冷房編成のうちの1本で、車両はクモハ103形+クハ103形及びモハ102形+サハ103形が用意され、モハ102形とサハ103形に対して先頭車化改造(モハ102形にはさらにパンタ設置、サハ103形は方転)を行い、2両編成での走行を可能にした。これらは103系電車高運転台編成投入まで活躍している。
- 改造にあたっては、当時南武線で使われていた101系電車の運転台機器などを流用している(この101系電車は同時に廃車)が、運転台形状は通常の103系電車と統一された。また使用区間は他の103系電車と共通のため、2両編成のまま仙台圏でも使用され、時には2編成を連結して運用についた事もあった。また、マヤ検も105系電車を使用して行われたケースもある。
- 塗装は当初は白を基調に赤と紺のラインをまとった塗装だったが、その後103系と同じスカイブルーの単一塗装となったが、識別のため、2か月ほどで前面に細い白線が2本追加された。この105系電車は他の103系電車より原型に近くファンにも人気のある車両であった。なお在籍していた2編成は京浜東北線から捻出された高運転台車編成投入との入替で1998年に書類上は廃車されたが、2両編成という利便性から、現在は八王子支社及び横浜支社管内の訓練センターで訓練編成として現在も残存しているが、京浜東北線の209系への置換えが予定されている。
- これらの廃車により、JR東日本から105系電車が消滅した。
[編集] その他の車両
- 上記の車両以外にも72系電車投入以前には宮城電気鉄道からの買収車両が在籍していた。宮城電気鉄道時代からの買収国電は、運転上混結出来ない状態で、運用も分けていた(宮城電気鉄道発注車両は、HL制御のまま存置されていた)撤退後に日立電鉄や高松琴平電気鉄道、新潟交通に売却されたものもあり、琴電67号車など一部の車両はごく最近まで現役であった。
- 72系電車時代もクモハ54形やクハ68形電車、70系電車(モハ70形のみ)が通風器改造の上で在籍していた事もある。また、31系電車を起源とするクモハ11・12形やクハニ19形、クモニ13形といった17m級車両も在籍していた。それらの撤退後も1980年代後半までは事業用車両のクモヤ90055号車が残存していたが、上記のクモヤ145形の投入により廃車されている。なおクモヤ90055号車は下記の101系電車と同時期に塩釜線塩釜埠頭駅で解体されたが、車体は売却され「いこいの森」という広場で売店として設置されたが、現在は資材置場の倉庫として使用されている。
- また、1986年度冬季にはゴミ箱・自販機設置や105系化改造が重なり、車両不足が発生したため101系電車が豊田電車区(現・豊田車両センター)からの借用で入線している。101系は電動機の熱容量性能上MT半々での運転は無理であり4両編成では4Mの全電動車編成にしなければならず、当初から72系電車の置換えにはMT半々で運転可能な103系電車が投入されていたため、101系電車の入線は後にも先にもこれが唯一である。当然、電気消費量も多くなる。側ドアが全自動のままだったこともあり、運用上は予備車の予備車クラスの扱いで、走行実績は在籍期間の割合としては少ない。101系電車の塗装は最後までオレンジのまま国鉄末期の1987年春に廃車されている。後に先頭車は鉄道総研に搬入(現在は解体)されたが、中間車の車体は民間に売却され、上記のクモヤ90055と同じ「いこいの森」に売却され、カラオケボックスとして使用されたが、場所が山中で利用客が少なかったため、すぐ撤去された。ただし1両の車体は倉庫として再利用され、今も仙台港付近に存在している。もう1両は千葉県野田市の運送会社で事務所として使用されたというが、現在は不明。