井上順
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上 順(いのうえ じゅん、旧芸名;井上順之( - じゅんじ)、1947年2月21日 - )は、東京都渋谷区生まれのタレント・俳優・歌手。血液型はAB型。青木エミは元妻。
目次 |
[編集] 来歴・人物
- 13歳の時より大原麗子、田辺靖雄やジェリー藤尾などもいた「六本木野獣会」のメンバーだったが、後にジャガーズの前身バンドにも籍を置いていた。1963年、成城学園在学中の16歳の頃に、ザ・スパイダースのライブを観て触発され、即、自ら門を叩きグループに加入を申し出る。ようやく人気GS時代の最年少メンバーとして堺正章と共にツインヴォーカルとパーカッション(「サイドタンバリン」とネタにされてもいた)を担当する。当時スパイダースのコンサートでは、堺と共にヴォーカルとともにMCを担当。後の「夜のヒットスタジオ」などで見せる軽妙なトーク技術をこの中で研鑽。気さくなキャラクターで、現在の芸風の基盤を作り上げた。
- 1971年にザ・スパイダース解散した後は、芸名を「井上順之(じゅんじ)」と改め(但し、1973年に元の「順」に戻した)歌手を本業としつつ、俳優業・司会業にも進出。「ジャーニー!」「ピース!」等、数々の流行語を生み出し、コンスタントにシングルもリリースを続けた。フジテレビ系「ラブラブショー」での共演をきっかけとして当時資生堂の人気モデルだった青木と大恋愛の末に結婚するが、1982年夏に離婚。以後、独身を通している。
- 芸能人野球大会では堺とのデッドボールのぶつけあい、乱闘と見せかけて二人で社交ダンスを踊りだす、などの秀逸なネタが例年見られた。これ以外にもスパイダース解散後も、盟友・堺とは数多く仕事を共にしており、近年ではジョイントコンサートも数多く開催している。
- 「夜のヒットスタジオ」では干支一回り上の芳村真理との絶妙なコンビネーションで番組黄金期を築き、歴代の同番組男性司会者としては最長の9年半にわたり司会を担当。同番組における芳村の歴代男性パートナーの中でも井上が最も優れていたとする評価は未だに多く、また、この「茶化し」に徹しつつエンターテイナーぶりを垣間見せる井上の司会ぶりを学生時代に見ていた三谷幸喜にも大きな影響を与え、彼の初映画監督作「ラヂオの時間」における井上の演じる人物考証では「夜ヒットの井上順」を髣髴とさせるところが随所に見られた。
- 俳優としては「ありがとう」(TBS)、「渡る世間は鬼ばかり」(TBS)、「ごくせん」(日本テレビ)などに出演。また、NHKの教育番組「ピタゴラスイッチ」でも「テレビのジョン」という犬型ロボット役で声優として、「みんなのうた」で歌った「テトペッテンソン」がインパクトの高い歌詞で子供達の間で人気を得た。
- また、駄洒落の名人であり、番組中に披露する事も多かった。
- ピースサインを日本に流行らせたのは井上順だとテレビ番組の2007年9月放送のダウンタウンDXで本人が紹介した。
- 真理ヨシコとニッポン放送で「ホイホイホーム」という番組を務めたことがある。
[編集] 主な作品
[編集] 音楽
- 昨日・今日・明日(1971)
- 幸福泥棒(1972)
- お世話になりました(1971)(のちにET-KINGがカバー)
- 幸せくん(1973)
- 涙(1972)
- ちんちん電車(1976)
- いけねえいけねえもういけねえ(1979)
- 月見草の歌
- 風の中(1980)
- なんとなくなんとなく(ニューボーカル・バージョン)(日産・パルサーN15前期型CMソング)
- テトペッテンソン(2003)
[編集] ドラマ
- 愛しの刑事
- 新宿暴走救急隊
- ありがとう
- 世にも奇妙な物語 「マジシャンのポケット」
- よい子の味方
- 渡る世間は鬼ばかり
- 正義は勝つ
- もういちど家族
- 救命病棟24時
- ごくせん
- 美空ひばり物語 「おでことおでこがぶつかって」
- ファイト
- 番茶も出花
- アンフェア
- 3番テーブルの客
- アテンションプリーズ
- 紅の紋章
- 女の一代記
- 昨日の友は今日の敵?
- 笑う三人姉妹
- 栞と紙魚子の怪奇事件簿
[編集] 映画
- 善人の条件
- 流転の海
- ラヂオの時間
[編集] 夜のヒットスタジオでの茶化し・シャレ・駄洒落
1976年4月より、三波伸介に代わって3代目の芳村真理のパートナーとして夜ヒットの司会に抜擢される。この番組内で井上は、相手役の芳村やゲスト歌手、挙句の果てには「ご対面」ゲストとして登場した一般人にいたるまで、「茶化し」「冗談」「駄洒落」の類のフレーズを連発し、それを芳村がその時折の番組内の空気により受け流して軌道修正させるという絶妙のコンビネーションが確立され、番組は黄金期を迎えることになる。このような司会スタイルにつき、井上は「(特にテレビに不慣れな)歌手の緊張感をとにかくほぐして、その人が気持ちよく歌ってもらえるようにするための策として「茶化し」や「シャレ」などを多用した」と述べており、相手方の芳村も「歌のときは順さんでさえも相当緊張していた。だから、歌手の緊張感を同業者としての視点から誰よりもよく判っていた」と彼の司会術を絶賛している。
[編集] 芳村真理関連
芳村真理への茶化しやシャレは彼女が各回で着用している服装を揶揄するものが多かった。
- 「カトリーヌ・ドブース」(元ネタはカトリーヌ・ドヌーブ)
- 「蜘蛛巣城」(元ネタは黒澤明監督の映画、芳村のモジャモジャとした髪型や濃い目のメイクを揶揄したもの)
- 「老婆A」(元ネタは中森明菜の歌「少女A」。中森の夜ヒット初登場の回で出たシャレ)
- 「月光仮面」(白いマントのようなコートを着て芳村が登場したときに出たセリフ)
- 「今日の東京がいかに風が強かったかよく判る」(パンク風の髪型を芳村がして登場した時のセリフ)
- 「丁度倍ですね」(石川さゆりの年齢を聞いた後に芳村に対して発したセリフ)
- 「芳村さんの場合はここ(テレビ電話の画面)に皺がたくさん…」(テレビ電話を番組内で初めて使用した際に出たセリフ)
- 「芳村さんなんか"はちまきおじさん"と呼ばれてるんですから」(恐らく某マンガの登場人物を引き合いに出したセリフと思われる)
- このほかにもそのときの着物の絵柄から「月見草と団子」(芳村の顔を指して)、「チャイナ服はよほど自信がある人じゃないと着れませんよ」(チャイナドレス風のスカート姿で芳村が司会をした際のセリフ)など、枚挙に暇がない。井上はかつてモデルであった青木エミと結婚していたことでも推察されるように女性のファッションにもある程度の見識を持っており、これらの芳村への茶化しもそういった見識がなければ瞬時に考え出せないセリフが多い。
[編集] その他
- 「今日は『麦と兵隊』でも歌うの?」(西城秀樹が青年将校風の服装で登場した際のセリフ)
- 「梓、寒さも彼岸まで」(お彼岸の頃のある放送回に梓みちよがゲストで出演していたことから出たセリフ)
- 「めっきり暑くなってまいりましたね」(同じく梓みちよ関連。梓が露出度の高い衣装で登場した際に出たセリフ。因みにこのセリフを述べたときには既に季節は秋本番を迎えようとしていた)
- 「郵便受け百恵」(松田聖子初登場の際に「ポスト山口百恵」の急先鋒として紹介する際に出たセリフ
- 「今日は○○さんで見事に年齢層が上がりました」(年配・ベテランの歌手(ダーク・ダックスなど)が登場する際に発していた発言)
- 「下半身沈殿デブ」(山口百恵が下半身の体型がふくよかであることを気にしている旨の発言をした際に出たセリフ)
- 「丈夫な足してるじゃない」(中森明菜が風邪を引きやすい体質だという話の際に、「か細い人は風邪を引きやすい」という趣旨の話になり、明菜の足首のほうを見て発したセリフ)
- 「冗談じゃ済まないよ!」(吉川晃司が過激な衣装でオープニングメドレーに登場した際に発したセリフ。もちろん、本気で注意したのではなく、シャレの一環としてでたものである)
- 「(歌は)僕みたいに朗読すればいい」(極限の緊張状態に陥った中井貴一に発した彼独特の毒舌まじりのフォロー)
- このほか、ノリのよい楽曲や振り付けの激しい楽曲になると、途中でバックダンサーの中に隠れるように紛れ込んで見よう見まねで踊りを踊ったり、露出度の高い衣装を着た女性歌手が登場すると、何故か突然、その歌手の後ろに移動して後姿をジロジロ見たり、など様々なコミカルな動きを行い、番組の盛り上げに一役買っていた。
[編集] テレビ番組(ドラマ以外)
- スター千一夜
- 夜のヒットスタジオ→夜のヒットスタジオDELUXE(1000回目記念や復活版でも参加)
- ザ・ベストテン(1988年9月8日のみ担当)
- カックラキン大放送
- ベスト30歌謡曲
- ものまね王座決定戦
- 土曜だエブリバディ!
- ピタゴラスイッチ(テレビのジョン)
- クイズ日本人の質問
- 健康の達人(アサヒ緑健提供の通販番組)
- ダブルミリオン(山田愛里と共同司会)
[編集] CM
[編集] 舞台
- ドント・トラスト・オーバー
[編集] 関連項目
[編集] 関連人物
- 芳村真理
- 堺正章
- 布施明
- かまやつひろし
- 大野克夫
- 加賀まりこ
- 三谷幸喜
- ピアース・ブロスナン(ネプリーグが深夜時代に、ジェームズ・ボンドを日本の芸能人に例えると誰かというコーナーで一般人のアンケートで1位に選ばれた。おそらく、アンケートの際にブロスナンの写真を提示したためこのような結果になったと思われる)
[編集] 外部リンク
|
|