上田丸子電鉄モハ1110形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上田丸子電鉄モハ1110形電車(うえだまるこでんてつモハ1110がたでんしゃ)は上田交通の前身のひとつ、上田温泉電気軌道が開業時に玉川電気鉄道から購入した11両の電動4輪単車のうち、上田丸子電鉄時代の1950年の一斉改番当時残存していた3両である。
[編集] 改番まで
上田市と別所温泉・沓掛温泉・田沢温泉の千曲川西岸地区の温泉地を結ぶために設立された上田温泉電気軌道は、1921年の開業時、玉川電気鉄道から11両の電動4輪単車を購入(うち2両は駿遠電気鉄道経由)し、デ1形1~11として就役させている(開業時には付随車4両も購入、サ1形として就役させたがすぐ廃車された)。
デ1形は9が電動貨車に改造されデワ1形1となり10両となるが、1932年から廃車が始まり1~7・10が1938年までに廃車され、8・11が残ったが、2の台車と7の車体を合体させて2 (2代)として就役し、デワ1形を合わせて計4両が依田窪線→西丸子線用に投入された。初代2の車体は本原駅に送られ、1972年2月19日の真田傍陽線廃線まで倉庫として使用されていたという。
上田電鉄 (初代)を経て上田丸子電鉄となってもそのまま引き継がれるが、11が1944年に廃車され、終戦時には2・8しか残っていなかった。この結果「四十雀(始終空)電車」とあだ名されるほどの閑散路線である西丸子線であっても車両不足をきたし、1949年にデワ1を電動車に再改造し、デ1 (2代)と改番した。そして1950年の一斉改番によりモハ1110形となる。番号はデ1 (2代)がモハ1111、デ2 (2代)がモハ1112、デ8がモハ1113である。
[編集] 概要・消長
1112・1113は玉電時代の路面電車の面影を残し、運転台はオープンデッキ、窓配置はo10oであった。1111は一旦電動貨車に改造されていたためかドア付きで、窓配置は1d6d1であった。3両とも1948年にパンタグラフ集電に改良したが、元の外見に比べ不釣合いに見えるものであった。
引き続き西丸子線で使用されていたが、1955年に丸子線からボギー車のモハ3210形・モハ3120形が転属されると使用されなくなり1957年に運用を終了し、その年に1112・1113が廃車された。1111は保線工事用車両となったが、これも1961年に廃車された。
|
|||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
現用車両 | |||||||||||||
|
|||||||||||||
過去の車両 | |||||||||||||
|