上田交通モハ・モハニ4250形電車
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上田交通モハ・モハニ4250形電車(うえだこうつうモハ・モハニ4250がたでんしゃ)は上田交通で使用されていた電車である。モハニ4250形が4251~4254の4両・モハ4250形が4255~4257の3両の計7両が在籍していた。全長が15m級のHL式制御装置を装着した半鋼製ボギー車で、真田傍陽線で使用されていた(4257のみ後に別所線でも使用)が、モハニ・モハで出目が異なっていた。
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[編集] 4251~4254
真田傍陽線が1927年11月20日に上田温泉電気軌道初の地方鉄道路線、北東線として開業した折に川崎造船所(現在の川崎重工業)に発注して新造した車両であるデナ100形101~104で、同社にとって初のボギー車であった。下り側(真田・傍陽寄り)に荷物室を設けた合造車で、同社初のパンタグラフ・自動連結器装着車でもあった。
同社の後身である上田電鉄 (初代)と丸子鉄道との合併で上田丸子電鉄となってからはモハ100形101~104と改番したが、1950年の一斉改番では荷物室がある事から荷物室を示す「ニ」が付けられモハニ4250形4251~4254と改番している。導入当時側窓は一段下降式で、荷物室の戸袋窓が丸窓で翌年に別所線用に投入されたデナ200形に通じるデザインであったが、1961年~1963年までの車体更新で側窓が2段上昇式に改良された際に丸窓が廃止されている。
[編集] 4255・4256
1958年に、当時は菅平鹿沢線と称していた真田傍陽線の乗客増に対応するため増備された車両。元は、1930年に製造された鶴見臨港鉄道モハ110形114・118の買収国電である国鉄モハ1500形1501・1504で、上田丸子に譲渡された2両は同形のうち国鉄時代も両運転台のまま残されたものである。片隅式運転台で、車掌台側には乗務員扉が設けられていなかったが、4256は国鉄時代の更新工事にパンタグラフ側(上田丸子では真田・傍陽寄り)のみ車掌台側にも乗務員扉が設けられており、この点が4255と異なる。入線時に、カム軸式制御装置を(これも買収国電である)モハ5260形5262・5263のHL式制御装置と交換している。
[編集] 4257
1963年にクハ250形251(1955年に富士急行モハ501の旧車体と国鉄長野工場で捻出した台車を併せて投入)を電装化して投入したものである。電装化時に750V・1500Vの複電圧車となり、別所線兼用車として使用された。
[編集] 真田傍陽線での運行形態
単行、もしくは貨車を連結した混合列車での運行であったが、朝夕のラッシュ時はMc+T+TもしくはMc+Tで運行していた。
[編集] 真田傍陽線廃止後
真田傍陽線は1972年2月19日を以て廃止され、4251~4254・4255は譲渡されずに結局翌々年の1974年に廃車された。4256は弘南鉄道へ譲渡され、同社大鰐線のモハ111となったが、後に電装解除されクハ205となり、1980年に廃車された。複電圧車であった4257は別所線で使用され続けたが、クハ290形が投入された1983年に廃車され、富士急行60周年記念事業で同社へ里帰りし、製造当初の姿に復元され、河口湖駅で保存されている。
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