上田丸子電鉄モハ3350形電車
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上田丸子電鉄モハ3350形電車(うえだまるこでんてつモハ3350がたでんしゃ)は上田交通の前身である上田丸子電鉄の電車で、同社丸子線で使用された。長野県内の私鉄で最後に製造され、最後に廃車された木造車である。
[編集] 概要・形式改番歴
丸子線の前身、丸子鉄道が1925年8月1日に大屋駅から上田東駅間を開通(同線全通)させた折に、日本車輌製造に発注して、2両を新造し導入したのが本形式である。
導入時はデ200形201・202と称し、全長15メートル級、木造車体の3扉ボギー車で、デ100形と違い最初から自動連結器を装着していた。集電方式は新造当時からパンタグラフ集電であった。側窓は上部に明かり窓を装着するという特徴のあるもので、丸子鉄道の車両の中で名物といえるものであった(事実丸子鉄道発行の絵葉書には同形式が登場するものがあったほどである)。
1943年10月21日の丸子鉄道と上田電鉄 (初代)の合併による上田丸子電鉄発足時にモハ210形211・212と改番され、1950年の一斉改番によりモハ3150形3151・3152となった。後の車体更新により前灯を窓下から窓上に上げ、1955年には制御装置を直接式からカム軸式に変更した事によりモハ3350形3351・3352に改番している。晩年は明かり窓が埋められており、主に2両でサハ27を挟んだ3両編成で使用されていた。
[編集] 長野県私鉄最後の木造車体電車
導入以来丸子線で使用され続け1969年4月19日の同線廃止時に廃車された(実際の廃車は上田丸子電鉄が上田交通に改称した後の同年11月18日)が、同形式は新造当時はもちろん、廃車時も木造車体としては長野県の私鉄では最後であるため「長野県私鉄最後の木造車体電車」と称されている。同形式が新造された当時は木造車体が当たり前であったが、製造された頃から「木造は事故の際危険が伴う」との理由から鋼製車体(戦前は内装が木製の半鋼製が主流であった)に変えられ、1927年以降の長野県私鉄の新造車両は全て鋼製になる。また、戦後上田丸子電鉄を含め長野県の私鉄は様々な方法で木造車を減らしていて、1966年以降は県内私鉄の木造車は本形式のみとなっていた。本形式の廃車によって長野県の私鉄から木造の電車は消滅した。
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