マハラジャ (ディスコ)
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マハラジャ (MAHARAJA) は、1980年代-1990年代のバブル景気時に日本全国に展開され、一世を風靡した高級ディスコチェーン。
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[編集] 概要
[編集] 社会的現象
全国でレストラン『しゃぶ禅』、ライブハウス『最後の20セント』、カラオケパブ『2001年』やサパークラブ等を展開していた日本レヂャー開発(NOVA21グループ)が、1982年8月大阪ミナミに1号店をオープンして以降、北は札幌から南は沖縄まで日本全国に展開した高級ディスコチェーン。
1984年12月に7店目の店舗として東京都港区の麻布十番にオープンした『マハラジャ麻布十番店』が社会的現象と呼ばれるほどの人気を博し、その後最盛期には全国に数十店舗を展開。そして1989年5月にはハワイのホノルルにも店舗をオープンした。これまでのディスコの概念を打ち破った豪華な内装と音響効果、きめ細やかな接客が評判を呼び、折からのバブル景気とともにディスコブームを作り上げた。また、その後多くのディスコで取り入れられた『服装チェック(ドレスコード)』や『お立ち台』の元祖である(お立ち台については六本木スクエアビル3Fの『ギゼ』が元祖という説もあるが、大々的に広げたのはマハラジャが最初なのは間違いない)。
[編集] 成田社長
『マハラジャ麻布十番店』等、東京地区のマハラジャを運営する(エヌ・エンタープライズ)社長の成田勝が、全国のマハラジャ・チェーンのイメージリーダーとなり、1986年には歌手としてメジャーデビューも果たした。イタリアのユーロビートの雄、マイケル・フォーチュナティの大ヒット曲『INTO THE NIGHT』『GIVE ME UP』やデッド・オア・アライブの大ヒット曲『TURN AROUND AND COUNT 2 TEN』などをカバーしマハラジャ系列のディスコでプレイされ盛り上がった。
また、その後も『東京マハラジャウェスト』、『東京マハラジャイースト』、『青山キング&クイーン』、『川崎キング&クイーン』、『エデンロック』、『ロイヤルトン』などの人気ディスコを次々にオープンし、1980年代のディスコブームを象徴するカリスマ人物といわれた。なお、現在は元『東京マハラジャイースト』の場所にあるレストランバー『プレゴ』や元『東京マハラジャウエスト』の場所にあるカラオケ店『六本木しゃらら亭』などを経営している他、各種アドバイザーとして活躍している。
[編集] 伝説の終焉
1990年代前半にバブル景気が崩壊しマハラジャの人気も下火になったが、ジュリアナ東京のブームに便乗し地方店は再人気がでる。しかしディスコブームが去った後も数店が営業を続けていたが、1997年9月には麻布十番店が惜しまれつつ閉店。1998年4月には『最後のマハラジャ』と呼ばれた『横濱マハラジャ』も閉店。皮肉にも第3次パラパラブームを目前としての閉店である。これらをもって『伝説』とまで言われた高級ディスコチェーン・マハラジャは約15年の歴史に幕を閉じた。
[編集] 伝説の復活
その後2003年8月には六本木に『マハラジャ東京』が復活オープンしたものの、2005年1月に閉店した。同年6月からは改装し『キング&クイーン』として再オープンし現在に至る。その後2007年12月には中洲に『マハラジャ福岡』が復活オープンした。
[編集] パチンコ
2006年5月には平和 よりパチンコ『CR マハラジャ』が登場した。
[編集] マハラジャ系列店舗
- 『マハラジャ』…インド王族の称号から連想される通り、インド王宮を思わせるゴールドを基調とした豪華絢爛な内装。ダンスフロアにある真鍮製の象牙がトレードマーク。
- 札幌店・函館店・仙台店・郡山店・麻布十番店・<六本木店>・横浜店・新潟店・<富山店>・<金沢店>・長野店・<白馬店>・浜松店・<岡崎店>・名古屋店・<岐阜店>・京都四條店・祇園店・大阪店・梅田店・マルビル店・<和歌山店>・神戸店・岡山店・福山店・広島店・<徳山店>・<徳島店>・松山店・博多店・<福岡店>・長崎店・熊本店・鹿児島店・沖縄店・ホノルル店
- 『マハラジャウエスト』…マハラジャよりカジュアルな店舗。
- 六本木店・横浜店・金沢店・名古屋店・大阪店
- 『マハラジャイースト』…マハラジャよりカジュアルな店舗。
- 麻布十番店・名古屋店
- 『マハラジャクラブ』…マハラジャよりカジュアルな店舗。
- 京都店
- 『マハラジャジュニア』…マハラジャよりカジュアルな店舗。
- 渋谷店
- 『マハラジャバー』…マハラジャよりカジュアルな店舗。
- 名古屋店・大阪店・岡山店
- 『MAHARAJA SALOON キング&クイーン』…マハラジャのインド王宮に対しヨーロッパのヴェルサイユ宮殿を思わせる豪華絢爛な内装でマハラジャのグレードアップ店舗。
- 仙台店・青山店・<六本木店>・川崎店・金沢店・前橋店・長野店・静岡店・<豊橋店>・名古屋店・<四日市店>・大阪店・神戸店・広島店
- 『MAHARAJA PRODUCE エデンロック TOKYO BAY』…郷ひろみプロデュースでコートダジュールを意識し、東京ディズニーランド隣接の東京ベイホテル東急1Fにあったリゾート店舗。
- 浦安店
- 『MAHARAJA PRODUCE ロイヤルトン TOKYO BAY』…シルバー色を基調とした近未来型ニューヨークテイスト店舗。
- 浦安店
- 『MAHARAJA SALOON パシャ』…店名は違いど内装はエデンロックと同じ店舗。
- 札幌店
- 『MAHARAJA SALOON サハラ』…高度文明が滅び廃墟した惑星がコンセプトの店舗。
- 宇都宮店
※ 上記 <○○店> はFC(フランチャイズ)店
[編集] マハラジャ麻布十番店
[編集] 陸の孤島
日本全国はおろか海外にまで広がったマハラジャの代表的存在であった『マハラジャ麻布十番店』は、当時まだ地下鉄路線が通っておらず、一番近い日比谷線六本木駅からでさえ徒歩10分以上かかるなど「陸の孤島」とされ呼ばれた港区麻布十番1丁目に1984年12月にオープンした。
なお、同店は『ダンスホール』として風営法の適用を受けるために午前0時で閉店するため、隣接した建物に、『レストラン』として風営法の適用を受けず午前0時以降もオープンできる、『マハラジャイースト』が設けられていた。
[編集] 成功
同店はその立地条件を逆手に取り、自家用車、もしくはタクシーで来店するような比較的裕福な層をターゲットとし、さらにをドレスコードの強化や男性同士の入店を断るなど客の選別を行うことで、客層を一定以上のレベルに保つことに成功した。さらにきらびやかな制服を着用した従業員に徹底的な顧客対応訓練を施すことで、顧客満足度を上げリピーターを増やす事にも成功した。その他、動員力のある裕福な大学生および大学のイベント系サークル向けに割引カード「カレッジカード」を発行し、金曜の夜は「金マハ」という学生中心の動員がされた。
[編集] 店内
[編集] 1階
1階はエントランスとレストランコーナーになっており、レストランコーナーではパスタやピラフなど他のディスコでも提供されるメニューの他に、寿司職人が握りたての寿司を提供するなど、本格的な食事を提供していた。なお、エントランス脇には、トミタ夢工場が輸入代理店となっていたハルトゲBMWの最新車種が展示され、高級感の演出に一役買っていた。
[編集] 2階
2階には真鍮製の象牙がエントランスにあしらわれたダンスフロアとDJブース、バーカウンターとVIPルームがあり、ダンスフロアを大理石にして高級感を演出した。
[編集] 閉店
1997年9月に閉店し、その後跡地にはワインバーがオープンしたが、そのワインバーも2004年に閉店し、現在は高級会員制社交クラブの「THE HOTEL JUBAN」となっている。ちなみに、1980年代後半に閉店した『マハラジャイースト』の跡地はレストラン『プレゴ』となっている。
[編集] 命名者
マハラジャという店名の命名者は、経営母体の日本レヂャー開発(NOVA21グループ)の社長菅野諒の友人でスカルノ元インドネシア大統領夫人のデヴィ・スカルノである。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- MAHARAJA SALOON King&Queen(六本木キング&クイーン)
- MAHARAJA FUKUOKA(マハラジャ福岡)
- MAHARAJA WEB SITE(NOVA21 GROUP オフィシャル ファンサイト)
- MAHARAJA NIGHT KYUSYU(マハラジャナイト九州)
- MAHARAJA STORY(マハラジャ ファンサイト)