ホセ・コントレラス
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ホセ・コントレラス(José Contreras、1971年12月6日 - )は米大リーグシカゴ・ホワイトソックス所属の投手。右投右打。キューバサン・ファン・イ・マルティネス出身。ホワイトソックスでプレーする以前はニューヨーク・ヤンキース(2003年-2004年)やキューバ代表で活躍した。
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[編集] キューバ時代
キューバ代表としてプレーするとともに、国内リーグではピナール・デル・リオ・ベゲーロスで活躍。通算成績は117勝50敗であり、国内での最終シーズンとなった2001-2002年には13勝4敗防御率1.76に149奪三振を記録。
1999年3月にはハバナのエスタディオ・ラティーノアメリカーノ球場で開催されたキューバ代表対ボルチモア・オリオールズとの試合に登板。8回を無失点に抑え、同時に10奪三振をマーク。この頃からメジャーのスカウトに注目されるようになった。
2002年10月にキューバ代表がメキシコでアメリカス・シリーズに出場している際に亡命。ヤンキースとボストン・レッドソックスとの間で激しい争奪戦が行われるが、結局はヤンキースが獲得。この競争に敗れたレッドソックス球団CEOラリー・ルキーノはヤンキースの事を「悪の帝国」と表現。以後、同チームのアンチからはこの表現が盛んに使われるようになる。
[編集] アメリカでの活躍
[編集] 2003年
2003年はコントレラスにとって厳しいシーズンとなった。7勝2敗防御率3.30の記録を挙げるものの、2ヶ月間を肩甲下筋の張りにより故障者リストの上で過ごす。マイナーリーグ行きも4回命じられ、リリーフ投手としての起用も目立った。先発投手としては6勝1敗防御率2.34をマークする一方、リリーフとしては1勝1敗防御率7.43であった。この年最良の登板は9月23日にUSセルラー・フィールドで行われたホワイトソックス戦であり、8回を無失点に抑え9奪三振を記録。また、8試合ものポストシーズン試合に登板するが、11投球回で防御率は5.73、0勝2敗に終わった。
[編集] 2004年
同年春のキャンプでは球団上層部は先発でコントレラスを投げさせる事を示唆。しかし、実際に開幕を迎えると安定した成績を残す事は出来なかった。5月5日から21日までの約1ヶ月間をマイナーで過ごす。結局この年で一番良かった登板は6月27日のニューヨーク・メッツ戦であり、10奪三振を記録。しかしこの試合でそれ以上に重要だった事は、亡命後初めて妻ミリアムと2人の娘{ネイランとネイレニー)の前で投げられた事だった。7月31日のトレード期限最終日にはエステバン・ロアイザとのトレードでホワイトソックスに移籍。移籍後も不安定な投球を続け、結局13勝と150奪三振を挙げるものの防御率は5.50であった。
[編集] 2005年
2005年のシーズン開幕から5登板連続で勝敗が付かず、オールスター休暇までは4勝3敗とパッとしない始まり方だった。しかし休暇後の7月14日にクリーブランド・インディアンスを1-0で破ると、波に乗り、チーム自体もプレイオフへの快進撃を続ける中チームで最も信頼できる投手へと成長していった。最後8回の登板では全て勝ち星を挙げ、時たま連敗をも止めチームに貢献。この急成長の理由として挙げられるのが、同じくキューバから亡命したチームメイトオーランド・ヘルナンデスの影響で投球フォームの中で腕を下げ始めたのが原因とされている。後半戦のみで挙げた11勝はアンディ・ペティットと並びメジャー記録。この2005年シーズンを15勝7敗防御率3.61の好成績で終える。
プレイオフでは全てのシリーズの第1戦に登板。全体では3勝1敗防御率3.09をマーク。同年ホワイトソックスは悲願のワールドシリーズ制覇を成し遂げるが、コントレラスの名はキューバのテレビではフィデル・カストロ議長の命令により放送禁止となる。また、ホワイトソックスが出場したワールドシリーズもこの影響で放送禁止となり、国民は違法な衛星放送で見る他なかった。
[編集] 2006年
2006年シーズン開幕前にはホワイトソックスと3年間の契約延長を結ぶ。前年の好調をそのまま引き継ぎ、7月6日時点では9勝0敗防御率3.31を記録。6月17日にシンシナティ・レッズから勝ち星を挙げた事により、前年からの自身16連勝はチーム記録となる(それまでの記録はラマー・ホイトとウィルソン・アルバレズが保持していた15連勝)。コントレラスは数字を17にまで伸ばすものの、7月14日に古巣ヤンキースに敗れ記録はストップ。オールスターにも選ばれるが、前半戦最終戦で6回117球を投げてしまったため代役としてミネソタ・ツインズのルーキーフランシスコ・リリアーノが出場。後半戦の初戦で先発登板した事から、コントレラスは30年ぶりに(記録上)2試合連続先発登板した投手となった。
年間を通し神経痛に苦しみ、5月には15日間の故障者リストにも登録されていた。結局13勝9敗防御率4.27に終わる。
[編集] 2007年
なんとか4年連続の2桁勝利となる10勝を挙げたものの、リーグワーストの防御率5.57、リーグワースト2位の17敗をマーク。特に6月24日から7月末までの間に7連敗し、一時期、メジャー1年目の2003年以来となる中継ぎへ降格となるなど失意の1年となった。
[編集] 特徴
- サイドスロー気味とスリークォーター気味の2種類の投げ方を使い分ける。メジャーでは数少なくなったフォークボールの使い手でもある。
- ソフトボールでフォークボールの練習をする。
[編集] トリビア
- キューバでは3度国内年間最優秀スポーツ選手賞を受賞。
- カストロ議長より、革命義士アントニオ・マセオにちなんだニックネーム“銅色の巨人(El Titan de Bronze "The Bronzed Titan")”をもらう(亡命前)。
- メッツ戦に訪れた元妻ミリアムとは離婚しており、現在はブラジル人の元トップモデルであるマリア・イザベル・シルバと再婚。3年間も婚約していた結果であり、既にコントレラスは彼女の二人の連れ子とも養子縁組を済ませてある。
[編集] 年度別成績
年 | 所属 | 勝利 | 敗戦 | 防御率 | 試合 | 先発 | セーブ | 投球回 | 被安打 | 失点 | 自責点 | 被本塁打 | 与四球 | 奪三振 |
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2003 | NYY | 7 | 2 | 3.30 | 18 | 9 | 0 | 71.0 | 52 | 27 | 26 | 4 | 30 | 72 |
2004 | NYY CWS |
13 | 9 | 5.50 | 31 | 31 | 0 | 170.1 | 166 | 114 | 104 | 31 | 84 | 150 |
2005 | CWS | 15 | 7 | 3.61 | 32 | 32 | 0 | 204.2 | 177 | 91 | 82 | 23 | 75 | 154 |
2006 | CWS | 13 | 9 | 4.27 | 30 | 30 | 0 | 196.0 | 194 | 101 | 93 | 20 | 55 | 134 |
2007 | CWS | 10 | 17 | 5.57 | 32 | 30 | 0 | 189.0 | 232 | 134 | 117 | 21 | 62 | 113 |
通算 | 5年 | 58 | 44 | 4.57 | 143 | 132 | 0 | 831.0 | 821 | 467 | 422 | 99 | 306 | 623 |
[編集] 獲得タイトル
- アトランタオリンピック 金メダル
- シドニーオリンピック 銀メダル
[編集] 外部リンク
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投手 | 41 ランス・ブロードウェイ / 56 マーク・バーリー / 52 ホセ・コントレラス / 50 ジョン・ダンクス / 60 デウォン・デイ / 26 オクタビオ・ドーテル / 62 ジャック・エグバート / 34 ガビン・フロイド / 40 チャーリー・ヒージャー / 64 ルーカス・ハレル / 45 ボビー・ジェンクス / 71 スコット・ラインブリンク / 48 エステバン・ロアイザ / 57 ブーン・ローガン / 47 マイク・マクドゥーガル / 46 ニック・マセット / 61 アダム・ラッセル / 51 アンドリュー・シスコ / 37 マット・ソーントン / 33 ハビアー・バスケス / 43 イーレン・ワッシャーマン |
捕手 | 63 コール・アームストロング / 44 トビー・ホール / 55 ドニー・ルーシー / 12 A.J.ピアジンスキー |
内野手 | 18 オーランド・カブレラ / 24 ジョー・クリーディ / 22 ジョシュ・フィールズ / 14 ポール・コネルコ / 38 パブロ・オズーナ / 10 アレクセイ・ラミレス / 1 ダニー・リチャー / 5 フアン・ウリーベ / 31 ドウェイン・ワイズ |
外野手 | 32 ブライアン・アンダーソン / 23 ジャーメイン・ダイ / 7 ジェリー・オーウェンス / 20 カルロス・クエンティン / 30 ニック・スウィッシャー |
指名打者 | 25 ジム・トーミ |
監督・コーチ | 13 オジー・ギーエン(監督) / 3 ハロルド・ベインズ(一塁コーチ) / 21 ドン・クーパー(投手コーチ) / 28 ジョーイ・コーラ(ベンチコーチ) / 8 ジェフ・コックス(三塁コーチ) / 36 フアン・ニエベス(ブルペンコーチ) / 59 マーク・サラス(ブルペン捕手) / 29 グレッグ・ウォーカー(打撃コーチ) |
公式サイト(英語)より 40人ロースター 監督・コーチ一覧 2008年6月17日更新 |
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1 ウィリー・ハリス / 5 フアン・ウリーベ / 7 ティモニエル・ペレス / 8 カール・エバレット / 12 A.J.ピアジンスキー / 14 ポール・コネルコ / 15 井口資仁 / 18 クリフ・ポリート / 20 ジョン・ガーランド / 22 スコット・ポドセドニク / 23 ジャーメイン・ダイ / 24 ジョー・クリーディ / 26 オーランド・ヘルナンデス / 27 ジェフ・ブラム / 32 ダスティン・ハーマンソン / 33 アーロン・ローワンド / 34 フレディ・ガルシア / 35 フランク・トーマス / 36 クリス・ウィジャー / 38 パブロ・オズナ / 43 ダマソ・マーテ / 45 ボビー・ジェンクス / 46 ニール・コッツ / 51 ルイス・ビスカイーノ / 52 ホセ・コントレラス / 56 マーク・バーリー 監督 13 オジー・ギーエン |