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オクタビオ・ドーテル(Octavio Eduardo Dotel ,1973年11月25日 - )は、MLBシカゴ・ホワイトソックスに所属する投手。ドミニカ共和国、サントドミンゴ出身。右投げ右打ち。
[編集] 略歴
1993年に、ドラフト外でニューヨーク・メッツに入団。プロ7年目となる1999年に、メッツでメジャーデビューを果たした。1999年は19試合中、14試合に先発登板。防御率は5.38だったが、8勝を挙げた。2000年からはヒューストン・アストロズでプレイ。先発として16試合に登板したが、リリーフとしても34試合に登板し、16セーブをマークした。2001年からは、ほぼリリーフ専業状態となり、105.0イニングで145奪三振を奪う力投を見せた(奪三振率12.43)。2002年は83試合に登板し、自身初の防御率1.00台をマーク。6勝6セーブをマークし、118奪三振を奪った。2003年は、2002年ほどではないにしても、リリーフの軸として素晴らしい成績を残した。2004年はクローザーとして32試合に登板し、14セーブをマーク。シーズン途中でオークランド・アスレティックスに移籍し、移籍後も22セーブをマークした。2005年も開幕からクローザーの地位を守り続けていたが、肘を故障してしまい、6月に手術を受けた。1年以上のブランクを経て、2006年8月にニューヨーク・ヤンキースで復帰した。しかし、復帰直後という事もあり、成績は振るわなかった。2007年はカンザスシティ・ロイヤルズでクローザーとしての役割を期待されていたが、同年7月31日トレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍。オフにFAとなり、2008年1月22日にシカゴ・ホワイトソックスと2年1100万ドルで契約を結んだ。
[編集] 所属球団
- ニューヨーク・メッツ(1999年)
- ヒューストン・アストロズ(2000年 - 2004年)
- オークランド・アスレティックス(2004年 - 2005年)
- ニューヨーク・ヤンキース(2006年)
- カンザスシティ・ロイヤルズ(2007年)
- アトランタ・ブレーブス(2007年 - 現在)
[編集] 年度別成績
年度 |
チーム |
勝利 |
敗戦 |
防御率 |
試合 |
先発 |
セーブ |
投球回 |
被安打 |
失点 |
自責点 |
被本塁打 |
四球 |
奪三振 |
奪三振率 |
1999 |
NYM |
8 |
3 |
5.38 |
19 |
14 |
0 |
85.1 |
69 |
52 |
51 |
12 |
49 |
85 |
8.97 |
2000 |
HOU |
3 |
7 |
5.40 |
50 |
16 |
16 |
125.0 |
127 |
80 |
75 |
26 |
61 |
142 |
10.22 |
2001 |
HOU |
7 |
5 |
2.66 |
61 |
4 |
2 |
105.0 |
79 |
35 |
31 |
5 |
47 |
145 |
12.43 |
2002 |
HOU |
6 |
4 |
1.85 |
83 |
0 |
6 |
97.1 |
58 |
21 |
20 |
7 |
27 |
118 |
10.91 |
2003 |
HOU |
6 |
4 |
2.48 |
76 |
0 |
4 |
87.0 |
53 |
25 |
24 |
9 |
31 |
97 |
10.03 |
2004 |
HOU-OAK |
6 |
6 |
3.69 |
77 |
0 |
36 |
85.1 |
68 |
38 |
35 |
13 |
33 |
122 |
12.87 |
2005 |
OAK |
1 |
2 |
3.52 |
15 |
0 |
7 |
15.1 |
10 |
6 |
6 |
2 |
11 |
16 |
9.41 |
2006 |
NYY |
0 |
0 |
10.80 |
14 |
0 |
0 |
10.0 |
18 |
13 |
12 |
2 |
11 |
7 |
6.30 |
2007 |
KC-ATL |
2 |
1 |
4.11 |
33 |
0 |
11 |
30.2 |
29 |
16 |
14 |
4 |
12 |
41 |
12.03 |
通算 |
9年 |
39 |
32 |
3.76 |
428 |
34 |
82 |
641.0 |
511 |
286 |
268 |
80 |
282 |
773 |
10.85 |
[編集] 外部リンク