ビル・バックナー
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ビル・バックナー Bill Buckner |
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カブス時代(1981年) |
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州ヴァレーホ |
生年月日 | 1949年12月14日(58歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9cm 185 lb =約83.9kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
守備位置 | 一塁手 |
プロ入り | 1968年 2巡目 |
初出場 | 1969年9月21日 |
最終出場 | 1990年5月30日 |
経歴 | |
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ビル・バックナー(William Joseph "Bill" Buckner , 1949年12月14日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した元野球選手。内野手(一塁手)。左投左打。アメリカ合衆国カリフォルニア州ヴァレーホ出身。
目次 |
[編集] 人物・来歴
ロサンゼルス・ドジャースより1969年9月21日に19歳の若さでメジャーデビュー。1990年に40歳で引退するまで、1960年代~90年代までプレーした「4ディケード・プレイヤー」であった。
通算打率.289の好打者として活躍し、ドジャース時代には1974年にナ・リーグ優勝し、ワールドシリーズ出場を果たす。1977年1月11日にリック・マンデー他一名とのトレードで他の二名と共にシカゴ・カブスに移籍。1980年には首位打者を獲得した。1981年には唯一となるオールスターに選出された。
1984年5月25日にデニス・エカーズリー他一名とのトレードでボストン・レッドソックスに移籍し、1986年にはニューヨーク・メッツとのワールドシリーズに出場。この第六戦では痛恨のトンネルエラー(後述)を喫する。
翌1987年7月23日にレッドソックスを解雇され、28日にカリフォルニア・エンゼルスと契約した。さらに1988年5月9日にエンゼルスから解雇され、13日にカンザスシティ・ロイヤルズに移籍。オフにフリーエージェントとなり1990年2月にレッドソックスと契約したが、6月5日に解雇されそのまま引退した。
通算成績のうち、出場試合2,517はメジャー歴代42位、打数9,397は40位、安打2,715は54位、二塁打498は47位、単打(シングルヒット)1,994は45位、犠打97は30位、敬遠111は85位である。
[編集] 1986年ワールドシリーズ第6戦のトンネルエラー
1986年のワールドシリーズはレッドソックスとメッツの戦いとなり、メッツの本拠地シェイ・スタジアムで幕を開けた。レッドソックスは第1戦・第2戦を敵地で連勝。本拠地フェンウェイ・パークに戻って第3戦・第4戦と敗れたが、第5戦に勝って1918年以来68年ぶりのワールドシリーズ制覇に王手をかけて、シェイ・スタジアムに乗り込んだ。
そして迎えた第6戦。試合は、レッドソックスが2度リードを奪うがメッツは追いつき、3対3のまま延長戦へ。10回表、レッドソックスはこの回から登板したリック・アギレラを攻め、デーブ・ヘンダーソンの本塁打等で2点を獲り、ワールドチャンピオンまで、あとはアウトを3つ取るだけとなった。
当時のレッドソックスは、通常、リードしている試合の終盤には、足に故障もあって、守備のあまり上手くないバックナーに代えて、守備固めとしてデーブ・スティプルトン(英語版)を起用していた。このシリーズでも第1戦で9回に起用し、送りバントを素早く処理して二塁封殺し、1-0の完封勝利に貢献しているのだが、この試合ではベテランのバックナーに花を持たせるためか、スティプルトンを起用しなかった[要出典]。
クローザーのカルビン・シラルディ(英語版)が2アウトをとり後1アウトとなったが、メッツが意地を見せ四番のゲーリー・カーターがヒットで出塁。続く代打ケビン・ミッチェルも0-2(0ボール2ストライク)と追い込まれながらもヒットで続き、レイ・ナイトがやはり0-2と追い込まれながらもタイムリーヒットを放ち、1点差に追い上げた。
ここでレッドソックスは投手をボブ・スタンリー(英語版)に代える。スタンリーはムーキー・ウィルソンを1-2と追い込むがウィルソンはファウルで粘り、7球目がワイルドピッチとなって三塁からミッチェルが返り同点。ナイトも二塁に進んだ。
ウィルソンは10球目を打ち、一塁への緩いゴロ。3アウトとなって延長11回に突入と思われたが、一塁バックナーがこの打球を痛恨のトンネルエラー。打球がライトへ転がる間に二塁からナイトが返り、メッツは奇跡のサヨナラ勝ちを収めた。
勢いに乗ってメッツは翌日の第7戦も逆転勝ちし、17年ぶり2度目のワールドチャンピオンに輝いた。 一方のレッドソックスはほぼ手中に収めていた栄冠を逃し、これも「バンビーノの呪い」かと囁かれた。レッドソックスは以後も2004年までワールドシリーズ制覇から遠ざかることとなる。
[編集] 受賞歴・記録
[編集] 年度別打撃成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 打 |
三塁 打 |
本塁 打 |
打点 | 塁打 | 四死 球 |
三振 | 盗塁 | 打率 |
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1969年 | LAD | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
1970年 | LAD | 28 | 68 | 6 | 13 | 3 | 1 | 0 | 4 | 18 | 3 | 7 | 0 | .191 |
1971年 | LAD | 108 | 358 | 37 | 99 | 15 | 1 | 5 | 41 | 131 | 11 | 18 | 4 | .277 |
1972年 | LAD | 105 | 383 | 47 | 122 | 14 | 3 | 5 | 37 | 157 | 17 | 13 | 10 | .319 |
1973年 | LAD | 140 | 575 | 68 | 158 | 20 | 0 | 8 | 46 | 202 | 17 | 34 | 12 | .275 |
1974年 | LAD | 145 | 580 | 83 | 182 | 30 | 3 | 7 | 58 | 239 | 30 | 24 | 31 | .314 |
1975年 | LAD | 92 | 288 | 30 | 70 | 11 | 2 | 6 | 31 | 103 | 17 | 15 | 8 | .243 |
1976年 | LAD | 154 | 642 | 76 | 193 | 28 | 4 | 7 | 60 | 250 | 26 | 26 | 28 | .301 |
1977年 | CHC | 122 | 426 | 40 | 121 | 27 | 0 | 11 | 60 | 181 | 21 | 23 | 7 | .284 |
1978年 | CHC | 117 | 446 | 47 | 144 | 26 | 1 | 5 | 74 | 187 | 18 | 17 | 7 | .323 |
1979年 | CHC | 149 | 591 | 72 | 168 | 34 | 7 | 14 | 66 | 258 | 30 | 28 | 9 | .284 |
1980年 | CHC | 145 | 578 | 69 | 187 | 41 | 3 | 10 | 68 | 264 | 30 | 18 | 1 | .324 |
1981年 | CHC | 106 | 421 | 45 | 131 | 35 | 3 | 10 | 75 | 202 | 26 | 16 | 5 | .311 |
1982年 | CHC | 161 | 657 | 93 | 201 | 34 | 5 | 15 | 105 | 290 | 36 | 26 | 15 | .306 |
1983年 | CHC | 153 | 626 | 79 | 175 | 38 | 6 | 16 | 66 | 273 | 25 | 30 | 12 | .280 |
1984年 | CHC/BOS | 135 | 482 | 54 | 131 | 21 | 2 | 11 | 69 | 189 | 25 | 39 | 2 | .271 |
1985年 | BOS | 162 | 673 | 89 | 201 | 46 | 3 | 16 | 110 | 301 | 30 | 36 | 18 | .299 |
1986年 | BOS | 153 | 629 | 73 | 168 | 39 | 2 | 18 | 102 | 265 | 40 | 25 | 6 | .267 |
1987年 | BOS/CAL | 132 | 469 | 39 | 134 | 18 | 2 | 5 | 74 | 171 | 22 | 26 | 5 | .286 |
1988年 | CAL/KC | 108 | 285 | 19 | 71 | 14 | 0 | 3 | 43 | 94 | 17 | 19 | 5 | .249 |
1989年 | KC | 79 | 176 | 7 | 38 | 4 | 1 | 1 | 16 | 47 | 6 | 11 | 1 | .216 |
1990年 | BOS | 22 | 43 | 4 | 8 | 0 | 0 | 1 | 3 | 11 | 3 | 2 | 0 | .186 |
通算 | 22年 | 2517 | 9397 | 1077 | 2715 | 498 | 49 | 174 | 1208 | 3833 | 450 | 453 | 183 | .289 |
※太字はリーグ最多。
[編集] エピソード
- 三振は少なく、通算では20.7打数で1三振(以下略)である。この部門において、1980年(32.1)、1982年(25.3)、1985年(18.7)、1986年(25.2)の4回リーグ最高の成績を残し、1979年、1981年、1983年、1987年も第2位であった。この部門でのメジャー歴代順位は94位だが、上位はほとんどが三振の少ない時代(主に1910年代頃)までの打者で、近年の打者の中では非常に優秀である。
- 主に1970年代以後に活躍した他の好打者と比較すると、トニー・グウィンの21.4には劣るものも、ウェイド・ボッグスは12.3、ロッド・カルーは9.06、ビル・マドロックは12.93、イチロー(2007年まで)は10.36と、バックナーの数字は際立っている。
- そのかわり、早打ちのため四球は少なく、通算450でしかない。通算打率.289に対し、出塁率は.321でしかない。イチローも四球が多い方でもないが、それでも打率.333に対し、出塁率は.379である(2007年終了時点)。
- よほど上記のエラーの印象が強いためか、レッドソックスの大先輩テッド・ウィリアムズよりも61本多い、メジャー歴代54位(2006年終了時点)の通算2,715安打を打ちながら、アメリカ野球殿堂入りは果たせていない。現時点で、バックナーよりも多くの安打を記録した選手で、殿堂入り資格(引退後5年以上経過)がありながら殿堂入りを果たせていないのは、ピート・ローズ(永久追放)の他、アル・オリバー、ペイダ・ピンソン、ハロルド・ベインズ(2007年に資格所得したばかり)の4人だけである。(現役選手のクレイグ・ビジオ、バリー・ボンズと、比較的最近引退して、まだ殿堂入り資格のないリッキー・ヘンダーソン、ラファエル・パルメイロ、ロベルト・アロマーを除く。)[要出典]
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
獲得タイトル・記録 | |||
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