バトルライフル
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バトルライフル(英 Battle rifle)とは、状況により意味が変わるが、主にアサルトライフルの定義に当てはまらない、または当てはめにくい、軍用の大口径(主に口径7.62mm)ライフルを指す、比較的新しい概念である。主に、アサルトライフルと対で使われるが、一部のアサルトライフルを含むこともある。
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[編集] 概要
現在、多くの国で主流となっているアサルトライフル(突撃銃)は、軽量・コンパクト・小口径が特徴となっている。西側諸国ではM16に代表される新NATO弾(5.56mm×45弾)が、東側諸国ではAK-74で採用された5.45mm×39弾が使用されている。
これらが採用される以前の銃では、NATO弾(7.62mm×51弾)や、AK-47の7.62mm×39弾といった大口径弾が主力であった。これらは、いわゆるスプリングフィールド.30-06弾や、イギリスの.303 British弾と言ったライフル弾を切りつめて開発されたものである。
切りつめていないライフル弾を含み、こういった全長が比較的長く、弾頭の重い7.62mm弾はフルロード弾と呼ばれ、M1ガーランドやM14のような長い銃身を持った銃はフルレングスと呼ばれる。フルサイズ弾を使用し、フルレングス銃身を備える銃は、十分バトルライフルと呼ぶに値する。
メイン・バトルライフルは意味合いが異なり、「軍用制式ライフル」といった意味になる。主力バトルライフルという書き方をされた場合は、この限りではない。
[編集] 定義または特徴
バトルライフルは、手動(ボルトアクションライフル、レバーアクション)や自動装填(半自動小銃)、連射(フルオート)または単射と連射の選択式と、方式を問わない。アサルトライフルが包含されることもあるが、次のものはバトルライフルとは呼ばれない。
- 拳銃
- 短機関銃
- 個人防護武器(PDW)
- コンパクトなアサルトライフル
バトルライフルは、接敵した際の肉眼での有効射程が、おおむね500mになるように設計されている。
[編集] バトルライフルの区分
誰がバトルライフルの区分を行ったかは明らかではないが、ジェフ・クーパー(colonel Jeff Cooper、The Modern Techniques of Shooting の著者)ではないかという説が有力と言われている。彼(ら)は、バトルライフルが次の三つに区分できるとしている。
- フェーズ1:軍用ボルトアクションライフル、マウザー(例:Kar98k)や、リー・エンフィールド小銃シリーズ。
- フェーズ2:半自動小銃、M1ガーランド、SVT-40。
- フェーズ3:フルサイズ弾使用の連射・単射選択式で、アサルトライフルに区分されることが多い。アメリカ軍のM14、FN社のFAL、H&K社のG3など。
このフェーズ分類は、ボルトアクション以前の先込め式マスケット銃などは考慮しないことに注意したい。また、フェーズ1までは、兵士が自分の使用する武器を選ぶことができる場合があったが、フェーズ2以降は制式化の整備と大量生産、補給・整備の問題もあり、短機関銃や軽機関銃などとともに大量に使用された。
[編集] 現状
その大口径と長銃身とが相まって、フルオート機構を備えたバトルライフルの反動の制御は、非常に困難か、事実上不可能なことが多かった。このような重いフルサイズのバトルライフルは、命中率は高いが取り回しが難しいということが戦場で実証された。その結果、冒頭に述べたような小口径・高初速弾を使用して、新しいアサルトライフルが各国で開発され、バトルライフルを置き換えていった。しかしアサルトライフルには、遠距離での命中率が悪い、ストッピングパワーが弱いなどといった欠点があるため、バトルライフルが狙撃銃として代用されているケースもある(主な例はM14からM21、M25へのコンバージョン)。
[編集] M14に見る米軍バトルライフル
2005年現在、米軍で使用されているバトルライフルの代表的な銃としてM14がある。本銃は第2次世界大戦後に開発されたバトルライフルであるが、当初はアサルトライフルのカテゴリーで分類されていた(現在もそのカテゴリーで語る専門家もいる)すなわち、アサルトライフルの概念が現在ほど明確ではなく、まだ希薄であった頃の代表的なフルオート可能なライフル銃である。このM14を考察することで、バトルライフルとアサルトライフルが、用途上どのように異なるかを理解することが可能である。
[編集] 経緯
第二次世界大戦後、ドイツの開発した新兵器「シュツルム・ゲヴェアー」すなわち「アサルトライフル(突撃銃)」を目にした米ソ二大大国は、その銃の有効性に対し、対照的な対応をとることになった。
小銃弾を一回り小型化することでサブマシンガンの利便性と、中短距離における小銃のポテンシャル、そしてフルオート射撃と多弾倉マガジンによる分隊支援火器の持つ効果を併せ持つ歩兵用武器。この武器を世界で最初の1949年に全面制式採用とした国はソ連であった。
これに対し、米国はアサルトライフルの運用にあまり積極的でなかったと言われている。その理由として、当時米軍が主力採用していた自動小銃「M1ガーランド」が極めて効果的かつ有効に運用されていたこと、及びブローニング自動小銃M1918(通称B.A.R.)が、連続持続射撃には向かないものの純然たる軽機関銃ほどは重くはなく、ある程度利便性に富み、ある程度満足できる範囲内であったことと、拳銃に代わる補助火器としての.30カービン弾を使用するM1カービンの存在と、さらに全自動射撃能力が付加されたM2カービンが大戦末期に追加されたことで、一応の満足感があったこと、そして最大の理由として、第二次世界大戦中に大量生産されて過剰となった小火器を更新するまでの急迫切迫した緊急の事情がないとされたため、第二次世界大戦型装備の更新はアサルトライフルの新規採用を含めて見送られたこと、さらに、多くの予算は核兵器とその運搬到達手段に振り向けられたことであった。
ただし、既に第二次世界大戦中期の1942年にはスプリングフィールド造兵廠でM1ガーランドとBARの箱形弾倉を組み合わせ全自動化した小銃の実験試作が開始されており、小銃分隊の兵士全員に全自動射撃能力による大火力を付与する構想は米軍内部にも存在した。戦時大増産態勢下において国家戦略的見地上さほど重要ではない小火器の能力向上が見送られたのは、米国的合理主義に基づくものである。戦後は上記の理由で再び小火器装備類の更新は見送られ、全自動射撃可能な小銃を兵士全員に装備させる計画の進行は非常に緩慢なものとなるが、実験試作と改良および比較試験は繰り返されており、次世代歩兵用小火器に対する正しい方向性と考えを持った人々は米国にも確かに存在していた。ここでも「政治的判断」が正しい流れを阻害していた。
そして朝鮮戦争の後期にこの状況は覆る。朝鮮戦争後期、北朝鮮軍と中国人義勇兵(中共軍正規兵部隊が師団単位で参加=事実上の中華人民共和国の参戦)が装備するSKSカービンやソ連より少数供与を受けたAK-47アサルトライフル特有の万能にも近い戦闘環境適応力、北朝鮮・中国軍が多用した波状突撃戦法、即ち接近戦に手こずった現地米軍の報告を受け、ようやく政治家達はM1ガーランドが既に旧式になっている事実を、もはやこれ以上政治財政的理由で誤魔化すことができないことを悟った。M1カービン系列の.30カービン弾では、せいぜい100-150m程度が想定交戦距離とされ、M1ガーランドの使用する.30や.30-06弾では、400-600m程度が効率的射程とされている。SKSカービンやAK-47系列に使用される7.62mm×39は本来の開発目的である400m以下の近中距離での戦闘に極めて有効であって、第二次大戦型の米軍の小火器・弾薬体系はその間隙を突かれた形となった。M1カービン系列ではアサルトライフルには近似こそすれども、純粋な意味でアサルトライフルではなく、当初の設計主旨からも個人防護火器(PDW)に過ぎなかった。
そこで、長年研究されてきたM1ガーランドに全自動機能を付加した小銃の出番となった。しかし当時の米軍は、1900年代初頭のフィリピン討伐戦での戦訓やストッピング・パワーなどの点から、小火器の小口径化に対して非常に保守的であった。NATO標準の新小火器用弾薬を、単に.30-06をわずかに小型化しただけの.308 NATO弾で押し切ったことと、その弾薬を使用する次期制式小銃をソ連のAK-47のような新規アサルトライフルとして製作するのではなく、M1ガーランドを改良した多弾倉オートマチックライフルT20、T37などの試作品をベースにして、最終的な完成と制式化を急ぐことにした。
このようにM14は、AK-47対M14という構図で製造された銃というわけではない。歴史的な記録と事実が証明しているが、このような経緯で製造され、1957年に制式採用されたものが現在の「M14」である。当初のM1ガーランド全自動化研究が開始されてから、実に15年が経過していた。複雑な経緯、背景を持つ銃である。
[編集] 特徴
M14は米国初のアサルトライフルという認識が一般的であるが、その実はM1ガーランド半自動小銃の改良型という経緯を持った銃である。従って、カテゴリー的にはアサルトライフルという事になってはいるが、その性能はM1ガーランドをそのまま継承し、かつ改良されたオートマチックライフルという形になっており、作動機構などもM1ガーランドそのままの物を使用しているといっても差し支えない。改良点として、
- 8発ワンセット装弾のクリップ方式を、20発箱形マガジンに改良
- 前部木製ハンドガードを廃止。ガスシリンダーを短縮化し、軽量化
- 発射時の制動・視界向上のためフラッシュハイダーを付加
- 軽量化のため、銃床の肉厚減
- フルオート機能の追加
などが挙げられる。しかし、現在の平均的なアサルトライフルの特徴である「短縮・小型化されたライフル弾の使用」「軽量化・銃身長の短縮」といった項目には手を付けられておらず、諸々の新規機能の追加で軽量化したとはいえ、M1ガーランドよりも若干重量が増加してしまう事になった。
総じて本銃の設計思想は大戦前・中の小銃の設計思想そのままであり、戦後も米軍が主として想定する戦場は、ヨーロッパなどでの正規軍同士の大規模戦闘であり、そのため歩兵戦闘も主として中遠距離の射撃戦が中心と考えられていた。一部の造兵技術者を除いて、まだアサルトライフルの何たるかを正確には把握・理解していなかったことと、基本構想着手から種々の事情で開発の進捗がゆっくりしていたものが、突如、急ぐことに方針転換され、制式採用された時点では結果的に陳腐化・旧式化してしまった古いタイプの小銃という感もいなめない小銃であった。
しかしながら、兵士には概ね好評で、元になったM1ガーランドの欠点を克服した銃であったこともあり、軍内部でも本銃を歓迎して推薦する声も多く、その配備が急がれた。しかし、米軍自体は本銃を「アサルトライフル」としての認識していたわけではなく、あくまで機能的な欠陥が多少問題となっていた「M1ガーランドの後継小銃」という点で歓迎されていたのである。この米軍の保守的性格、議会と軍需産業界との密接かつ強固な結び付き、米国流合理主義が負の方向に作用したこと、など全てが相乗効果となり、結果的に総合的な認識の甘さとも言える状況を生み、後のベトナム戦争で大きな混乱をもたらした。
[編集] ベトナム戦争とM14・M16
ベトナム戦争においてM14は主力小銃として投入されたが、元々第二次世界大戦や朝鮮戦争での経験に基づいて製造された、大規模正規軍同士の正面衝突を想定した遠距離攻撃系ライフルが、ベトナムのジャングルという想定していなかった戦場で、比較的小規模部隊による短距離戦主体の戦闘に直面し、取り回しが難しい小銃であることが各方面で指摘されるようになった。対して、北ベトナム軍の使用するアサルトライフルAK-47(ソ連から全面供与を受けたもの)は、高温多湿の厳しい環境に極めて強く、その大きさや弾種性能により取り回しが大変良好で、「突撃銃」の名にふさわしい威力を米軍にいかんなく見せつけていた。
M14がベトナム戦争で指摘された欠点として、
- 使用する実包は、M1ガーランドでは.30-06(7.62mm×63)であり、M14では第二次世界大戦末期より開発が着手され朝鮮戦争後の1953年にNATO制式弾薬となった.308NATO(7.62mm×51)という違いがあるが、同じ重量の7.62㎜ライフル弾頭を使用するため、実質的にはほぼ同威力であり、今日的な視点で見れば、一般歩兵用の小銃(標準的現代アサルトライフル)用としては威力が強いため、その曲銃床と併せてフルオート射撃の取り回しが悪い。特に連射時において引き金の指切り(いわゆる手動バースト)などの技術を習得していない新兵では使いこなせない。もっとも曲銃床の銃をフルオートでいたずらに連射すれば、はるかに低威力の.30カービン実包を使用するM2カービンなどでも正確に射撃を制御するのは難しいのため、これはM14特有の欠点ではない。さらに直銃床・独立ピストルグリップタイプのFALやG3系列であっても連続射撃時の安定性は低く、M14のみが持つ欠点とは言えない。銃の重量(重量4kg前後)と使用装弾である.308NATO弾との相関関係であるとして間違いはない。
- 銃の長さがAKの1.3倍ぐらいあるため、取り回しが非常に悪い。これは使用する弾薬の差でもある。ただし機関部の数値上の寸法を見る限りでは、AK系列の機関部はM14の機関部よりも長い。これは設計思想上の優先事項の順位の差である。また、曲銃床であるためにFALやG3、AKのように銃床を折り畳み式にすることも不可能であった。
- 木製銃床は、熱帯多湿環境に弱く、湿気を含んで重量が増加したり、腐食による手入れが大変である。AK-47も最も大量に使用された型式は木製銃床であり、耐腐食性に関しては大きな差違は無いが、木部が3つの部位に分割されているAKと一体もののM14では湿度や熱による変形などが発生した場合、同環境下ではM14のほうがより影響を受ける可能性が大である。
という点が主に挙げられ、その他政治的理由もあり、急遽当初より米合衆国に友好的な東南アジア諸国に無償供与するための小火器(アサルトライフル)として開発されていた樹脂部品を多く使用し、軽量小型弾薬を使用する低価格で大量生産が可能な「M16(AR15)」をまず米国空軍が在ベトナム空軍基地の警備兵用に採用することになり、その後、ようやく米国陸軍も制式に採用することになる。そして遂にはベトナム戦争中に米合衆国海兵隊にもM16が採用されたのであるが、前線の一部の部隊では最後までM16の支給に頑強に抵抗していた兵士も居たと言われている。このドタバタ劇により、M14は戦時中に退役という不名誉な扱いを受け、一時期は「米軍史上始まって以来の恥」「欠陥ライフル」というさんざんな扱いを主に前線ではなく前線での事情も正確に把握し得ない(各界の思惑で蠢くロビイスト達が暗躍する)遙か後方の議会で受けることになってしまう。
ところがM16自体も、初期の銃と弾薬(正確には発射薬の性格)の適合性面でのトラブルと、銃の正しい整備法の周知徹底不足などによる射撃不能と故障の多発が議会でも問題となり、M16までもが「欠陥ライフル」「自殺銃」「マテルのトイガン」「プードル撃ち銃」などの誹りを受けることになる。そのため、ベトナムの現地米軍部隊では、M16やCAR15を見限り、信頼性が高くかつ軽量だとして、旧式化したM2カービンをなんとか現地調達して愛用する長距離偵察隊員や偵察観測ヘリコプター操縦士もいた。
しかしながら、前述の通り海兵隊などの精鋭部隊やベテラン兵士の間では、M1ガーランドの流れを汲み多くの戦場で実際に実績を上げ機能を証明された、威力が強く屈強なつくりのM14の人気は衰えておらず、その継続使用を望む声も一部で強く存在した。また、米国陸軍でもM21狙撃銃として一部が残されていたが、反面、米国海兵隊では狙撃銃はボルトアクションの銃が選択されM40系列が使用された。米国海兵隊では全員がライフルマンであり、M14はライフルマンのためのライフル、ライフルの中のライフルという理解がなされ、熱心に愛用する兵士も多数存在した。
[編集] M14のその後
一時は歓迎され、そして批判を受けながら退役したM14であったが、21世紀に入り、見事に復活することになる契機が訪れた。
ソ連型共産主義の崩壊後、米軍が紛争などでの戦場を中東や東欧、アフリカなどの宗教紛争、民族紛争にその場を移しはじめた。特にその際、アフリカや中東での猛暑で寒暖差の激しい戦場において、今まで主力としていたM16系のような樹脂や軽量合金を多用、精密な部品で構成する銃に不具合が生じることが多くなった。元々ベトナム戦争時から指摘されていたM16系の耐久性の問題に加え、砂塵などに弱いその構造が問題を起こした。さらに、砂漠や荒れ地といった非常に見晴らしの良い環境にて発生する長距離射撃戦において、改良型のM16A2以降で使用されている62グレイン(約4.1g)弾頭が付いたSS109・5.56mm×45弾でも威力が不足していることが指摘されるようになった。このような状況下、またしても対抗する小銃は第三世界に広く蔓延するAK-47で、ベトナム戦争で見せたそのタフさを米軍を含む多国籍軍に見せつけていた。
砂漠環境におけるAK-47に対し、アウトレンジ(射程外)から対抗するための銃として白羽の矢がたったのは、一般的にはさんざんな言われようで退役したと信じられていたM14であった。M14を愛好する兵士達が訴えていた「AKに負けないタフさ」「AKより有利な長距離戦」「狙撃銃にもできる命中精度」「ボルト式狙撃銃にはない速射性」、これらが砂漠でのAKに対抗する最も有利な点として復活したのである。そして、技術の進歩により、ファイバー素材などの最新素材をふんだんに使用し、さらには最新光学装置などの付加を得て砂漠地域などの見通しが良い開けた土地において、開発当初に想定されていた本領をようやく発揮できる機会に恵まれて、AKをアウトレンジし射撃精度的にも弾薬の威力の上でも圧倒的に優位にある銃として、2005年現在アフガニスタン・イラクなどで活躍している。AKはあくまでも初期のアサルトライフルであって、バトルライフルや狙撃銃としてのその設計主旨においても中長距離戦能力は当初より考慮されていない。
そしてその有効性を再認識した米軍によって、初採用後退役を経て数十年たった今、様々な最新装置を備えたバリエーションモデルも製造され、CIA要員、特殊部隊、一般前線部隊を含む様々な戦闘で、現在もなお活躍している。
同時期に出現したAKは世界中に氾濫する一方で、M14は制式採用からわずか十年未満の短期間で米軍の前線部隊と一般部隊から姿を消し、あたかもAKによって退役させられたように一般には思われていたM14が、近中距離を想定交戦距離とするAKを中遠距離からアウトレンジする一種の対抗策としてモスボール保管庫から持ち出され再び復活するという皮肉な運命の名銃である。