キーストン
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キーストン | |
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現役期間: | {{{時}}} |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牡 |
毛色: | 鹿毛 |
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生誕: | 1962年3月15日 |
死没: | 1967年12月17日 |
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登録日: | {{{登}}} |
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父: | ソロナウェー |
母: | リットルミッジ |
母の父: | ミゴリ |
生国: | 日本(北海道浦河町) |
生産: | 高岸繁 |
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馬主: | 伊藤由五郎 |
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調教師: | 松田由太郎(京都) |
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競走成績 | |
生涯成績: | 25戦18勝 |
獲得賞金: | 4245万3400円 |
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キーストンは、25戦18勝2着2回の戦績を残した日本の競走馬である。 特に重、不良馬場では6戦5勝2着1回(東京優駿(日本ダービー)、菊花賞2着を含む)の戦績を残し、無類の強さを発揮した。ほとんどのレースで逃げており、日本ダービーも逃げ切っている。名前の由来は、アメリカのペンシルバニア超特急の愛称から。馬主の伊藤由五郎は鉄道ファンとしても有名で、1960年の二冠馬コダマ・その弟で皐月賞を制したシンツバメの所有者でもあった。
目次 |
[編集] 戦績
不良馬場で2着馬に10馬身差もの大差を付けたデビュー戦の圧勝を皮切りに京都3歳ステークスや弥生賞を含む無傷の6連勝を続けるが、スプリングステークスではダイコーターの2着となり初黒星を喫する。そして、迎えた皐月賞ではダイコーターに次ぐ2番人気に支持されるも14着と惨敗。その後、叩き台のオープン戦を勝利し、大一番である東京優駿(日本ダービー)に臨む。ここでも皐月賞と同じくダイコーターに次ぐ2番人気に支持されたものの、皐月賞時と比べて両馬の支持率の差は大きく開いていた。しかし、得意とする不良馬場と好枠順を味方にダイコーターを2着に破る逃げ切り勝ちを決めて、見事に雪辱を果たす。そして、菊花賞では宿敵ダイコーターの2着に敗れるも、心配された距離(3000メートル)を克服し、ダービー馬としての実力を示した。
明け4歳を迎え、京都競馬場の金杯を快勝するが、続く大阪杯を7着と取りこぼし、春の大目標であった春の天皇賞でも5着に敗れるなど、本来の実力を発揮出来ず、その後、脚部不安のため約1年半の長期休養を挟む事となった。そして、復帰後、休養明け緒戦のオープン戦でこそ2着に敗れたものの、その後、4連勝し復活を遂げた。
440kgそこそこの小柄な馬体で常にハナを切りひたむきに走る姿は快速馬でありながら華麗さよりも懸命さを感じさせるものであったという。
[編集] 最後のレース・1967年阪神大賞典
6歳から種牡馬入りすることが決定していたキーストンは現役最後のレースとして大レースである有馬記念ではなく地元阪神競馬場で開かれる阪神大賞典(2007年現在の3月開催の芝3000mと異なり当時は12月開催の芝3100m)に出走し、5頭立ての少頭数ではあったが、堂々の1番人気に支持されていた。
キーストンはいつものようにスタートから快調に逃げ続けた。4コーナーを回った時点では、他馬に差を詰められたものの、まだ手応えには余裕があった。しかしながら、直線を向いて追い出しを図った一瞬、ゴール手前約300mの地点で突然キーストンは「左前第一指関節完全脱臼」を発症、前のめりにバランスを崩して、騎乗していた山本正司は落馬してその衝撃で脳震盪を起こして意識を失った。
キーストンの左前足は、かろうじて皮一枚でつながっている状態であったが、残る3本の脚で昏倒する山本の元へと近付いて行き、まるで安否を気遣うかのように鼻面を摺り寄せた。それにより意識を回復した山本は、キーストンが激痛で暴れないようにと手綱を抑えて首を抱き、近づいてきた来た馬場係員に手綱を預けたのち、再び意識を失って倒れた。
本命馬の競走中止という事態に、観客席は騒然となったが、この出来事を目にした観客達は、やがて息を呑み沈黙したという。また、関西テレビのアナウンサー・松本暢章による実況も、次第に涙声になっていった。そして、キーストンはその日のうちに、予後不良として安楽死の処置を施された。
その後山本は騎手に復帰し、数年後には騎手を引退して調教師に転身したが、それからも、山本はキーストンの事を思い出すと、涙が止まらなくなってしまうと語っている。
このエピソードは人と馬の絆の深さを象徴するものとして現在でも語り継がれている。
[編集] 主な勝ち鞍
[編集] 血統表
キーストンの血統 (フェアウェイ系(ファラリス系)/Polymelus5×5=6.25%、Orby5×5=6.25%) | |||
父
*ソロナウェー Solonaway 1946 鹿毛 |
Solferino 1940 鹿毛 |
Fairway 1925 | Phalaris |
Scapa Flow | |||
Sol Speranza 1934 | Ballyferis | ||
Sunbridge | |||
Anyway 1935 鹿毛 |
Grand Glacier 1923 | Grand Parade | |
Glaspia | |||
The Widow Murphy 1927 | Pomme-de-Terre | ||
Waterwitch | |||
母
*リツトルミツジ Little Midge 1957 鹿毛 |
Migoli 1944 芦毛 |
Bois Roussel 1935 | Vatout |
Plucky Liege | |||
Mah Iran 1939 | Bahram | ||
Mah Mahal | |||
Valerie 1939 鹿毛 |
Sir Cosmo 1926 | The Boss | |
Ayn Hali | |||
Dereham 1931 | Friar Marcus | ||
Lysandra F-No.11-f |
姉の孫にあたるネオキーストン(福島記念、種牡馬)を筆頭に、リットルミッジの子孫には「キーストン」の名を受け継いだ馬が多かった。しかし現在はリットルミッジの子孫はすっかり衰退してしまっている。
一方、いとこのマーシュメドウ(朝日杯三歳ステークス馬ミノル、桜花賞2着馬ニットウヤヨイの母)の子孫は近年もユーセイトップランやウイングアローが活躍を見せている。
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