ふきのとう (フォークグループ)
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ふきのとうは、二人組みの日本のフォークソンググループ。1970年代のフォーク/ニューミュージックブームの牽引役のひとつ。
北海道出身。北海学園大学にて結成される。メンバーは山木康世と細坪基佳。結成当初はメンバーが4人いたが、プロデビュー時には2人となっており、以後は解散までメンバーチェンジは無い。
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[編集] 概要
- 1973年にコンテストに多数出場し、ヤマハ・ポピュラーソング・コンテストにて『夕暮れの街』で北海道大会入賞。1974年に『白い冬』でデビュー。以後『初夏』、『風来坊』、『思い出通り雨』、『流星ワルツ』、『春雷』、『やさしさとして想い出として』などがヒット。
- 全国コンサートツアーをコンスタントに続け、1978年には年間250本のコンサートを行った。また沖縄県で特に人気が高く(すべてのシングルが有線リクエストで1位。ヒットチャートでピンクレディーを抜いたらしい)、同じく1978年には沖縄限定シングル『ここは沖縄』を発売している。
- [二人共に作詞・作曲をしリードボーカルもとるが、シングルでは山木が作った歌を細坪が歌うパターンが多い。特徴的なのはそのハーモニーで、細坪が歌う高音の主旋律に、山木が6度下の低音のハーモニーをつけるというもの。声質も似てはおらず音階に開きがあるので、かなり不思議なハーモニーに聞こえるが、これは本来3度上になるはずのハーモニーを1オクターブ下げたもので、間違いではない。このようなハモりになった理由は、両者の声域の違い(細坪は極端に高く、山木は低い)によるものと思われる。これは、他のグループには見られないふきのとう独自のスタイルになっていた。
- 1970年代 - 1980年代は、「フォークソング」と「ニューミュージック」が混在していた時期。その中で「ふきのとう」は、数少ない「情景派」として着実に成長を遂げる。山木が曲を作り、細坪が歌い上げ、山木がハーモニーで味付けをするというのは、解散まで(特に山木が)こだわったデュオとしてのスタイルだ。
- 「白い冬以降、ヒットが出ないことで一時は解散の危機がささやかれ、アルバム「水車」の頃には遂に「美しく燃えて」という曲がシングルカット(細坪作曲の曲を細坪が歌いシングルカットされた)。しかし細坪は後日、音楽雑誌のインタビューで当時を「山木さんの方がいい曲を書いていると納得した」と語り、解散の危機を脱する。「いい曲を作り、いいレコードを作り、それを聞いてくれる人のところで歌いたい」という彼らの思いはそこで再び結束を増し、「風来坊」「春雷」という大ヒット曲を生むまでに至る。
- イントロが流れるだけで、リスナーを曲の世界に引きずり込んでしまう細坪。それに対して仕事や散歩の合間にちょっとしたいいことがあったときについつい口に出てしまう山木の楽曲は、アルバム制作を重ねる中で進化と融合を繰り返し、「風来坊」「想い出通り雨」「人生・春・横断」がグループとしての大きなピークであることは間違いない。前述にあるようなそれぞれの声を生かしたハーモニーはアルバム「ダルセーニョ」で一つの区切りを迎え、アルバム「スケッチ」ではライブメンバーを加えたコーラスを用い、「ふきのとう」サウンドに厚みを持たせた。
- 他方、このころ相次いでソロアルバムを発表。ともに2枚ずつ制作している。細坪は、風や雨を表現するのにアコースティックギターの音色を最大限に活用して「ふきのとう」ではできなかった細坪ワールドの奥行きを示し、山木は「ふきのとう」でできないことは「自分の楽曲の原点を示すこと」と考え、ハーモニーに頼らずに、自転車で感じる空気、友や母への想いを飾らずに音でスケッチして見せた。
- ヒットチャートには名を連ねることがなくても、ファンの間に根強い人気がある曲がたくさんあるのも「ふきのとう」の魅力の一つ。「冬銀河」「やさしさとして想い出として」「一人ぼっち」「メロディー」「微笑み」「山のロープウェイ」「五月雨」「一人の冬なら来るな」「雨はやさしいオルゴール」等々。また、細坪が山木に敬意を表し提供した「夜」「浮雲」は、山木の新たな一面を引き出した。
- ただ、「春雷」以降、メガヒットには恵まれず(全国でのコンサートは、ヒットがないにもかかわらずどこも盛況で、北海道以外の地方のプロモーターには”七不思議”とまで言われたらしい)、山木、細坪の間には亀裂が入り始める。背景には、楽曲、歌唱力双方で力をつけてきた細坪と、あくまで自分の曲を細坪が歌うことがふきのとうのスタイルとこだわった山木との考えの違いが大きくなってきたことがあった。
- 何より細坪には、アレンジ面で外部から第三者を招き、ふきのとうをより進化させたいという考えが強くなってきたようだ。シングルでの細坪・山木双方の曲が両A面となるなど、関係修復は次第に難しくなり、グループ結成18年目で解散を決意するに至る。それでも最後のアルバムとなった「Heart Strings」で山木は、細坪の曲に、彼でしかできない絶妙なハーモニーを寄せ、細坪は「Daisy」で切ない男の気持ちを歌い切った。
- 1992年5月8日の北海道厚生年金会館でのコンサートを最後に18年間続いたグループを解散。ステージに登場した二人はまず、互いにがっちり手を握り合い、名曲を次々に披露。アンコールは2回を超えて、山木が「守衛のおじさんがいいって言ったから」と、22:00を過ぎても終わらなかった。その後は「ふきのとう」としての活動は行っておらず、それぞれソロ活動をしている。2005年、北海道新聞社のインタビューに応じた細坪は、「お互いにやり残したことがまだある。だから再結成はまだない」と話している。
[編集] メンバー
[編集] ディスコグラフィー
[編集] アルバム
- 『ふきのとう』(1974年)
- 『ふたり乗りの電車』(1975年)
- 『風待茶房』(1976年)
- 『歳時記』(1976年)
- 『水車』(1977年)
- 『風来坊』(1977年)
- 『思い出通り雨』(1978年)
- 『THE BEST ふきのとうベストVol.1』(1978年)
- 『人生・春・横断』(1979年)
- 『THE BEST ふきのとうベストVol.2』(1979年)
- 『LIVE/風をあつめて』(1980年)
- 『ふきのとうLIVEアンコール やさしさとして想い出として』(1980年)
- 『D.S. ダルセーニョ』(1981年)
- 『SKETCH』(1982年)
- 『011』(1983年)
- 『ふきのとうライブ 日比谷野外音楽堂』(1984年)
- 『北極星』(1985年)
- 『THE BEST ふきのとうベストVol.3』(1985年)
- 『星空のページェント』(1986年)
- 『THE BEST ふきのとうベストVol.4』(1987年)
- 『緑輝く日々 -日本武道館ライブ-』(1987年)
- 『緑の風を… Ever Green Breeze』(1988年)
- 『金色の森・銀色の風』(1989年)
- 『Heartstrings』(1991年)
- 『ever last』(1992年)
- 『ever last concert』(1992年)
- 『GOLDEN J-POP/THE BEST ふきのとう』(1997年)
- 『2000 BEST ふきのとう』(2000年)
- 『ふきのとう LIVE プラス・ワン』(2000年)
- 『GOLDEN☆BEST ふきのとう/SINGLES I 』(2002年)
- 『GOLDEN☆BEST ふきのとう/SINGLES II』(2002年)
[編集] シングル
- 『白い冬/夕暮れの街』 (1974.09.21)
- 『南風の頃/雪どけ水』 (1975.02.21)
- 『初夏/散歩道』 (1975.05.21)
- 『街はひたすら/眠る君のそばで』 (1975.10.21)
- 『風の船(海よりも深く…)/君は人形』(1976年)
- 『雨ふり道玄坂/おやすみ(Good Night)』(1976年)
- 『美しく燃えて/哀歌』(1977年)
- 『風来坊/僕…』 (1977.07.21)
- 『流星ワルツ/夜』 (1977.12.21)
- 『影法師/激しい雨』(1978年)
- 『ここは沖縄/五色のテープ』(1978年)※ 沖縄県限定発売
- 『思い出通り雨/初恋』(1978年)
- 『春雷/ば~じにあ・すりむ』 (1979.02.25)
- 『柿の実色した水曜日/青空』 (1979.07.21)
- 『やさしさとして想い出として/Simple Song』 (1980.01.21)
- 『冬銀河/成人式』(1980年)
- 『メロディー/静寂』(1981年)
- 『涙のらぶれたあ/LOVE SONG』 (1982.05.21)
- 『ひとりの冬なら来るな/吹き過ぎる風ばかり』(1982年)
- 『雨に濡れて/流れゆく河のほとりで』(1983年)
- 『12月の雨/枯葉』(1983年)
- 『YABO/五月雨』(1984年)
- 『銀色の世界/高き空・遠き夢』(1984年)
- 『季節の夕暮れ/北窓をあけて』 (1985.04.01)
- 『星空のページェント/ガス燈』 (1986.06.21)
- 『ココナッツ・ムーン/木の葉が風に』 (1986.10.22)
- 『何故 愛は…/緑輝く日々』 (1987.05.21)
- 『輝く朝に~ABRAXAS~/Daisy』(1991年)
[編集] ふきのとう活動時期のソロ
- 『木精』(細坪アルバム 1979年)
- 『ひとりの君へ…/ミスターグッドバーを探して』(細坪シングル 1979年)
- 『野良犬HOBOの唄』(山木アルバム 1981年)
- 『旅鴉の唄/懐かしき人よ』(山木シングル 1981年)
- 『洋燈とガラス玉』(細坪アルバム 1982年)
- 『待ちわび通り/家路』(細坪シングル 1982年)
- 『泳いで行くにはあまりにも水の流れが速すぎる』(山木アルバム 1982年)
- 『ジャマイカの風/サヨナラの時は北風の中で』(山木シングル 1982年)