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小田急9000形電車 - Wikipedia

小田急9000形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

9000形電車(9000がたでんしゃ)は、小田急電鉄に在籍していた通勤形電車1972年昭和47年)から1977年(昭和52年)にかけて製造された。

小田急9000形電車
小田原線を走行中の9000形電車(相武台前駅 - 座間駅間にて2004年5月4日撮影)。
小田原線を走行中の9000形電車(相武台前駅 - 座間駅間にて2004年5月4日撮影)。
起動加速度 3.3(MT比8M2T時)km/h/s
営業最高速度 100km/h
設計最高速度 120km/h
減速度 4.0km/h/s(常用最大)


4.7km/h/s(非常)

編成重量 368.4
軌間 1067mm
電気方式 直流1500V
編成出力 3520kW(MT比8M2T時)
歯車比 97:18(5.39)
制御装置 FCM-118-15MDRH(直列11段、並列8段、弱め界磁無段階、発電制動19段、回生制動11段)
ブレーキ方式 HSC-RD(回生・発電制動併用電磁直通空気制動)
保安装置 CS-ATC(後に撤去)、OM-ATS
メーカー 日本車輌製造川崎重工業東急車輌製造
備考
第13回(1973年
ローレル賞受賞車両

カテゴリ / テンプレート

■Templateノート 解説)鉄道PJ

目次

[編集] 概要

帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄千代田線への乗り入れ用として製造された。

当初は4両編成と6両編成で各10本ずつ、計100両が製造される予定だった。最初に4両編成10本(40両)を新製し、次に6両編成の新製を開始した。後に千代田線への直通運用本数を変更することとなり、6両編成の製造は8本(48両)で打ち切られ、その後、4両編成の9010Fに中間車2両(付随車)を追加製造し6両編成の9409Fとなったため、6両編成と4両編成がそれぞれ9本ずつの計90両となった。

4両編成は全車電動車で小田急では初めて界磁チョッパ制御を採用した。主電動機出力は他車と比べて小さめで110kW。ブレーキは回生発電制動併用電磁直通制動で、ブレーキ開始時の速度75km/h以上および他形式と連結した時は発電制動が作動し、ブレーキ開始時の速度75km/h以下の場合は回生制動が作動する。

前面は、それまでのいわゆる「小田急顔」ではなく「額縁スタイル」とも呼ばれる窓を1段へこませたデザインとなり、小田急はもとより他鉄道事業者での、その後の鉄道車両の前面デザインに影響を与えたと言われている。またその形状から「ガイコツ電車」とも呼ばれる。行先表示器は従来の貫通扉の窓下に縦長にあったスタイルから、貫通扉上部に正方形で設置された。字幕は製造時からローマ字表記が入ったものを採用した。ただし、種別と側面のローマ字表記は、表示器の更新後である。このスタイルは、後に製造された1000形2000形まで継承された。このデザインは東急車輛製造によるもので、当初東京急行電鉄8000系の前面デザインとして設計が進められていたものであるが、前面は切妻式として簡素化するように方針転換がなされたため実現せず、その後に本形式に流用されたものであり、東急8000系の車体にこの前面をつけたモックアップも存在する。

車体幅は千代田線への乗り入れ対応のため2,870mmで、小田急標準の2,900mmより30mm小さいため、裾の絞りが緩い。側窓には初めて一段下降窓を採用したが、下辺が5200形などよりも少し高い。冷房装置は8,500kcal/hの集約分散式を各車5基搭載し、室内は当初から平天井となった。

台車は電動車がFS-385、付随車がFS-085で、基礎制動装置は全台車クラスプ式である。車輪直径は電動台車・付随台車ともに860mmとなっている。いずれも小田急では2200形からの実績があるアルストムリンク式空気バネ台車である。

2006年平成18年)3月17日をもって全車が定期営業運転を終了し、その後同年5月13日さよなら運転を行なった(後述)。

【編成図】

←小田原(4両編成)新宿→
形式 デハ9000 デハ9000 デハ9000 デハ9000
号車 7号車 8号車 9号車 10号車
区分 9300(Mc2) 9200(M1) 9100(M2) 9000(Mc1)
搭載機器 CONT・PT MG・CP CONT・PT MG・CP
自重 39.70t 38.70t 39.00t 39.20t
←小田原(6両編成)新宿→
形式 デハ9000 デハ9000 サハ9050 サハ9050 デハ9000 デハ9000
号車 1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車
区分 9700(Mc2) 9600(M1) 9650(T2) 9550(T1) 9500(M2) 9400(Mc1)
搭載機器 CONT・PT MG・CP・PT CONT・PT MG・CP・PT
自重 40.00t 38.80t 27.60t 27.60t 39.00t 38.80t

《凡例》
Mc…制御電動車 M…電動車 T…付随車
CONT…制御装置 MG…電動発電機 CP…電動空気圧縮機
PT…集電装置

[編集] 性能

地上線での高速性能と地下鉄線内での高加速性能を併せ持つ車両として設計されたが、狭軌の界磁チョッパ車としては当時の技術では非常に困難であった。優等列車への運用を想定し、歯車比を5.39と中高速寄りのセッティングとしたが、それにより起動加速度が低下してしまい、結果MT比を上げて8M2T編成を組むことになった(この辺の事情は東急8500系も同様)。地下鉄直通運用終了後は、4両編成は全電動車ならではの加速性能を生かし、2本併結して各停運用に入ることが多くなり、2000年(平成12年)には片側の運転台を撤去し8両固定編成を組むようになった(後述)。

[編集] 改造

  • 1990年平成2年)より千代田線への直通運用には1000形を使用することになり、千代田線用ATC装置を撤去し、その後は小田急線内と箱根登山鉄道線小田原箱根湯本間で運行した。
  • 1988年(昭和63年)から1995年(平成7年)にかけて更新工事を実施した。
  • 2000年(平成12年)に9301・9303・9305・9002・9004・9006各車の運転台を撤去し、9001+9002、9003+9004、9005+9006の各編成を連結して8両固定編成とした。この編成のうち片方の4両が検査などで運用を外れた場合には、この工事を施工しなかった9007~9009の3編成のいずれかと連結して運転したこともあった。
  • 2002年(平成14年)頃から、デッドマン装置を装備するため全編成のマスコンハンドルを国鉄タイプのものから、2600形廃車発生品へと順次交換したが、速度計は従来のATC車内信号を現示するタイプで存置した。

[編集] 牽引

4両編成は出力の高い全電動車編成であることから、電気機関車の運用終了後には車両輸送の牽引用としても使用された。実績としては7000形「LSE」の車両更新や1000形ワイドドア車の客用ドア改造および運転台撤去のためメーカーに輸送する際の搬出・搬入や30000形EXE3000形(当初の数編成のみ)や50000形「VSE」の搬入、および長野電鉄に譲渡した10000形「HiSE」の搬出が挙げられる。変わったところでは、軌道検測用の国鉄マヤ34形客車を2本の4両編成に挟み込んで、軌道検測を行ったこともある。

2002年9月には本厚木愛甲石田間の踏切事故で乗用車が炎上し自走不能になった5200形5254Fの救援用の牽引車として使用されたことがある。その後、牽引用としては1000形を充当している。

[編集] 廃車と保存

「さよなら9000形号」のヘッドマークを付けた9407F
「さよなら9000形号」のヘッドマークを付けた9407F
「さよなら9000形フェスタ」にて
「さよなら9000形フェスタ」にて

[編集] 運行終了まで

特殊部品の確保が困難になり、かつ車両自体の老朽化が進んでいたため、2004年の旧4000形全廃後に最も経年の古い5000形より先に廃車対象とされ、2005年(平成17年)4月から2代目3000形に置き換えられる形で順次廃車が進められた。末期の4連口は9005F+9006Fが7月に廃車となり、続いて10月に、9002Fの検査切れと9001号車の保存のため、

9001F+9002F 9009F+9008F

と組成していた編成を

9001F+9009F 9008F+9002F

組み換え、9008F+9002Fは1日の営業で廃車となった。12月になると9003F+9004Fが廃車となり、9001F+9009Fの編成も、9001Fを海老名留置とし、9009Fは単独で9007Fと同様に急行運用に就いた後年末までに9007F、9009F2編成ともに廃車となった。

そして、2006年3月17日をもって定期営業運転を終了した。3月15日~17日の3日間は2本残っていた6両編成のうち、9407Fの先頭車前面の右下に「さよなら号9000形」のヘッドマークを掲出して運行されたが、9404Fはヘッドマークなしで運行された。その後9407Fは9001Fと連結して海老名に留置された。


2006年5月13日には喜多見検車区唐木田出張所にて「さよなら9000形フェスタ」が開催され、同日に秦野から唐木田まで最後まで残った9001F+9407Fで運転したさよなら列車および車両展示会をもって小田急での運行を全て終了した。運転台撤去車と6連の増結はこのさよなら列車と4月の鉄道友の会の列車のみだった。このさよなら列車にも先頭車前面の右下に「さよなら号9000形」のヘッドマークと乗降扉窓に同ステッカーが掲出されたが日付が入った別バージョンとなっていた。

2006年6月13日に9407F、同年7月5日深夜に9001Fが2600形2670Fとともに大野工場へ回送され、静態保存される9001号車を除き解体された。9001号車は同様に保存される2670号車とともに、同年8月5日の終電後に1000形に連結され喜多見検車区に回送された。

[編集] 保存

喜多見検車区に9001号車が静態保存されている。同車は「さよなら号9000形」のポスターの他、路線図、広告が車内に貼り付けたままである。

[編集] 関連項目

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