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小田急電鉄1700形電車 |
営業最高速度 |
95km/h |
設計最高速度 |
95km/h |
編成定員 |
186(186)人(533(200)人) |
全長 |
53740(67740)mm |
全幅 |
2863mm |
全高 |
4090mm |
編成重量 |
112t(129t) |
軌間 |
1067mm |
電気方式 |
直流1500V |
編成出力 |
MB-146-CF 93.3kW×8=746.4kW(2M1T(2M2T))
全負荷速度(全界磁/弱界磁)62/74km/h・牽引力2180/1870kg |
駆動装置 |
吊掛け式(歯数比:56:27=1:2.07) |
制御装置 |
直並列複式制御器(ABF) |
ブレーキ方式 |
自動空気制動機(AMM-R/ACM-R)
手用制動機 |
保安装置 |
なし |
備考 |
カッコ内は一般車時 |
■Template(■ノート ■解説)■鉄道PJ
小田急1700形電車(おだきゅう-がたでんしゃ)は、小田急電鉄がかつて保有していた特急形電車の1形式。制御装置から趣味者の間及び会社内部においてABF車[1]と呼称されていた。
[編集] 概要
湯本直通も軌道に乗った1951年に本格的特急専用車両として登場した。
- 1910形による特急は利用客が順調に伸びていたため、特急の増発・定員増が計画されたが、専用車両が平日も含めて有効に使用できるかについては不安があり、まずは1編成が1951年に製造された。
- 1910形と同様、デハ1700形とサハ1750形によるcMTMcの固定編成としたが、装備はこれまでの小田急には無いもので、好評の「走る喫茶室」も進化させて設置、側窓は眺望性に優れる幅広のもの、座席は転換クロスシートを採用、警笛は和音となった。逆に経済性を考慮して、特急車としてふさわしい設備とするものの、極端に華美になったり過剰サービスとならないように考慮され、定員を増やすために客用扉は編成全体で片側2箇所とし、サハ1750形は思い切って客用扉無しの20m車体とした。逆にデハ1700形は軸重や主電動機出力の関係で17m車であり、いずれも初期投資を抑えるため、戦災国電の復旧車扱いとし、サハ1750形は国鉄モハ63系の事故焼失車[2]の台枠を使用したほか、デハ1700形の台車と主電動機は1600形のものを転用し、1600形には国電払い下げのTR25台車に主電動機としてMT7・9・10のいずれか[3]を装着した。
- 同様の仕様で2次車が1951年に製造されたが、そのころには1700形の営業的な成功は明確になり、1952年には完全新造で様々な改良を施した3次車が製造され、3編成が揃った。車号は以下の通り(カッコ内は旧車号)。
- 1次車 1701(30067)-1751(63168)-1702(32011)
- 2次車 1703(43005)-1752(63082)-1704(43037)
- 3次車 1705-1753-1706
- 1957年のSE車第1次車の竣工により一般車化改造され、3扉・ロングシート化のほか、サハ1750形は車体長を短縮して仕様を1900形と揃えた他、追加新造した1両を加えて当時の標準であった4両編成に変更された。車号は以下の通り(カッコ内は旧車号)。
- 1次車 1701-1751-1752(新造)-1702
- 2次車 1703-1753(1752)-1754(新造)-1704
- 3次車 1705-1755(1753)-1756(新造)-1706
[編集] 仕様
[編集] 車体(外観)
- 車体長はデハ1700形が16870mm、サハ1750形が20000mmで、車体幅は戦災復旧車のため2800mmと地方鉄道の車両限界を超えるサイズで特認扱いとしたが、新造の3次車もこの幅で製造された。また、定員増を図るため、客用扉はデハ1700形に幅1100mmのものを片側1箇所のみとし、サハ1750には550mm幅の非常扉1箇所のみとした。また、側窓は幅1100mm、高さ850mmの大きなもので眺望を確保したが、シートピッチと合っていなかった。窓扉配置はデハ1700形がd9(1)D、サハ1750形が14d(車端または車端から2箇所目の窓は550mmの狭幅)。塗装は腰部と上部が青色、窓周りが黄色の旧特急色であった。
- 2次車からは小田急ロマンスカーのシンボルである「ヤマユリ」のアルミ製エンブレムが車体中央腰部に取付られ、追って1953年に1次車にも取付けられた[4]。
- 1、2次車の正面は2000形同様の貫通型であったが、2000形より丸みを帯びた国電の半流線型車に近い形状で、前照灯が半埋め込みで、その下に複音汽笛が装備されていた。
- 3次車では外観が変更され、正面は2枚窓となり、標識灯埋込み、複音汽笛が2組(計4個)となった他、張上げ屋根化されて洗練された印象となった(1、2次車も雨樋の上まで青色の塗装だったため塗分けは変わらない)。
- 1957年に一般車化改造された際に片側3扉化されたが側窓は広幅のままであり、窓扉配置はデハ1700形がd1D(1)2D(1)2D(1)、サハ1750形が2D(1)1(1)D2(1)D2(両車端の窓は狭幅)となった。
- 一般車化時には上述の通り、従来のサハ1750形の車体を短縮するとともに、新造のサハ1750形を編成1両追加して4両編成とした。なお、短縮されたサハ1750形の全長は20000mmから17300mmとなったのに対し、新造のサハ1750形は全長16700mmで長さが異なり、これに伴い両車端の狭窓の幅も異なっている。
- 一般車化時に新造されたサハ1750形は、窓枠が金属製になるなどの差異があるが、3次車に組み込まれた1756は他車に合わせて張上げ屋根で製造された。
[編集] 車体(内装)
- 内装は壁面が桜材などにニス塗りで天井が白色の化粧板であり、3次車では天井が継ぎ目なしの1.6mm鋼板となったほか、荷棚も基部側半分が白色鋼板製、先端側半分がパイプ式のものとなった。
- 座席は転換クロスシートをピッチ900mmで配置していた。
- サハ1750形の海側の車体中央には長さ2200mm、奥行き950mm、高さ950mmのカウンターを持つ喫茶スタンドが設置されており、丸イスが4脚用意されていた。また、放送室も2000形に引続き設置され、1次車はサハ1750形の海側の小田原寄り、2、3次車は山側の新宿寄りにあり、その対角がトイレであった[5]。
- 室内灯は1、2次車は白熱灯であったが、3次車からはアクリルカバー付きの交流蛍光灯となり、天井中央に連続1列に配置された。後に1、2次車も蛍光灯に改造された。
- 一般車化時にはロングシート化、放送室、トイレ、喫茶カウンターの撤去の他、天井蛍光灯の2列化も実施された。
[編集] 制御器・主電動機・台車
- 制御器、主電動機は1600形、1900形と同じ三菱電機製のABFとMB-146-CF[6]の組み合わせであり、ギヤ比も変更なく2.07であった。
- 1次車と2次車のデハ1700形の台車は1600形から供出されたイコライザー式鋳鋼台車の住友金属工業KS-33-Lを使用、サハ1750形は1次車がサハ1951から供出された中日本重工製短腕式軸梁式台車のMD-5を、2次車が国鉄払い下げのペンシルバニア型軸バネ式台車のTR23を使用した。
- 3次車は住友金属工業FS-108ゲルリッツ式台車を使用して乗り心地を向上させた。
- 1次車、2次車についてもFS-108台車とMB-146-CF主電動機を購入し、1次車が1953年、2次車が1954年に交換を行い、KS-33-Lは1600形に返却されている。
- 一般車化時に増備されたサハ1750形は川崎車両OK-17軸梁式台車を使用した。
[編集] その他
- 前照灯脇の複音警笛は一般車化改造後もしばらく残されていたが、後に床下に移設され開口部が埋められた。
- 1962年に3次車が更新改造を受け、室内のデコラ化、窓のアルミサッシ化の他、前面の貫通化が施工されたが張上屋根はそのままとされた。1964年には1次車と2次車も同様の更新改造を受けている。
- 車体色は登場時の特急色から一般車化時に一旦茶色一色となり、1963年以降ABF車が旧特急色となった際に旧特急色に戻っている。ただし、特急車時代には雨樋上の屋根肩部まで青塗装であったものが、この際には雨樋のみ青で雨樋上は屋根色とされた。最終的には1969年以降に現行の塗装となっている。
- 補機は末期の時点では、電動発電機がサハ1750形の奇数車にCLG-107BとCLG-107Cが各1台[7]と電動空気圧縮機がデハ1700形にAK-3が1台ずつ搭載されていた。
- 1969年にATSの取付と前照灯の2灯化が行われた。
[編集] 運行
- 1951年2月の1次車の使用開始時の特急は毎日運行3往復、休前日運行0.5往復、休日運行0.5往復、休前日・休日運行0.5往復が設定され、新宿-小田原間を80分で運転するダイヤであったが、8月の2次車の使用開始に伴い座席指定制が開始され、10月1日ダイヤ改正では新宿-小田原間78分、毎日3往復、休前日0.5往復、休日1.5往復、休前日・休日0.5往復となった。そして、1952年8月の3次車使用開始により特急を1700形だけで賄うことができるようになり、12月のダイヤ改正では下りのみ76分運転となり、翌1953年4月の改正ではさらに1往復が増発された。
- 江ノ島線の夏期臨時特急には1954年から1700形が使用され、特急料金が必要となった。これらの列車の列車名は箱根特急が「あしがら」「明神」「乙女」「はこね」「あしのこ」「はつはな」「神山」「金時」、江ノ島線が「かもめ」「ちどり」であった。
- 1955年4月に2300形が使用開始されたが、これは特急増発用であり、本形式はそのまま特急車として使用された。1957年に3000形「SE」車が使用開始となり、これが第3編成まで揃った時点で本形式は特急運用から離脱した。
[編集] 廃車
1974年に全車廃車となった。他形式同様に、主電動機と一部機器が4000形に転用されたが、車体は全て解体された。
[編集] 注記
- ^ ABFは三菱電機の直流電車用自動加速形制御装置の形式名で、本来は三菱電機の提携先であるアメリカ・ウェスティングハウス・エレクトリック(WH)社製制御器の形式名に由来し、A:自動加速 B:低圧操作電源 F:弱め界磁を示す。
- ^ モハ63082、1947年4月全焼およびモハ63168、1949年1月全焼。
- ^ メーカー形式は順に日立製作所RM-257(MT7)、芝浦製作所SE-114(MT9)、東洋電機製造TDK-502(MT10)である。いずれも端子電圧675V時定格出力100kW/635rpm(全界磁)で、鉄道省モハ10形用として製作されたものであった。
- ^ それまでは同じ位置に社紋板を取付けていた。
- ^ このため1次車と2、3次車ではサハ1750形の窓配列が異なる。
- ^ 端子電圧750V時定格出力93.3kW/750rpm。WH社製WH-556-J6(端子電圧750V時定格出力74.6kW、定格回転数985rpm)が基本とされるが、特性が全く異なっており、構造を参考にした程度の類似性でしかない。なお、このMB-146系電動機は、小田急以外では南海電鉄が戦前の南海鉄道時代からモハ1201・1251形などに大量採用し、さらに戦後は運輸省規格型電車用125馬力級規格型電動機の1つとして選定され、従来採用実績の無かった各社にも大量供給されたことで知られている。
- ^ それぞれAC200V・2.5kVA、DC100V・1.5kW。
[編集] 関連項目
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