小田急4000形電車 (初代)
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4000形電車(4000がたでんしゃ)は、小田急電鉄に在籍していた通勤形電車。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 吊り掛け駆動時代
【編成図】
※当時は号車番号は付番されていなかったため省略
←小田原(5両編成)新宿→ | |||||
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形式 | クハ4050 | デハ4000 | デハ4000 | デハ4000 | デハ4000 |
区分 | 4050(Tc) | 4300(M4) | 4200(M3) | 4100(M2) | 4000(Mc1) |
搭載機器 | CP | CONT・PT | MG・CP・PT | CONT・PT | MG |
自重 | 27.28t | 37.14t | 36.89t | 37.14t | 36.96t |
←小田原(3両編成)新宿→ | |||
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形式 | クハ4050 | デハ4000 | デハ4000 |
区分 | 4050(Tc) | 4100(M2) | 4000(Mc1) |
搭載機器 | CP | CONT・PT | MG・PT |
自重 | 27.28t | 37.14t | 37.10t |
- 《凡例》
主にローカル区間で使用していた中型の旧型車両HB車を置き換えるため、1966年(昭和41年)から1976年(昭和51年)にかけてHB車のモーターを再利用し、2600形と同様の20mの車体を組み合わせて合計92両(5両編成13本・3両編成9本)が製造された。そのため、見た目は新型車でもモーターの駆動方式は旧型の吊り掛け式であった。
車体更新車と誤解されがちであるが、流用したのはモーターなど一部の機器だけで、制御器などの機器は新規に製作されたものである。ブレーキシステムについても、2次車までは自動ブレーキであったが、1968年(昭和43年)製造の3次車からは電磁直通ブレーキ (HSC) に変更され、同時に2次車までの車両も改造された。発電ブレーキは省略された。
当初は主にローカル各停用であったが、大型車体を活かし、1969年(昭和44年)から朝のラッシュ輸送に1800形(2両編成)と連結して2+3+3の8両編成で急行などに使用されていた。
しかし、1973年(昭和48年)4月と5月に連続して同形式との連結時に脱線事故を起こしたことにより、急遽同形式との連結を中止し、一部の編成からクハ(制御車)を外し変則5両編成とした。これは、変則5両編成に3両編成を連結して8両編成を組成するためである。翌年の1974年から1976年までにABF車などの電動機を再利用し、中間車2両13本を増備し、第1~13編成を5両編成化した。
この時に増備された4200・4300番台の車両については、同じ中間車の4100番台の車両と比較すると以下の点で異なっていた。
- 4100番台では台車の直上にあったパンタグラフの位置は、台車より車体中央方向に80cmずれていた。既に登場していた5000形冷房車や9000形と同じ位置である。
- 側面行先表示器の準備工事がされていたが、これは冷房・カルダン駆動改造後に使用を開始した。
なお、4001F(3両編成)は登場時、小田急百貨店全館完成記念として2600形2661F・2662Fとともに金と赤の派手な塗装で登場し、「お買い物電車」として運用された。
一部編成の5両化から3年後の1977年(昭和52年)に急行の10両運転が始まると、本形式もラッシュ時を中心に5両編成を2本併結した10両編成で使用されるようになった。編成中に32基ある吊り掛け式モーターを唸らせて運行される列車は、京急400形の定期運用10両運転は既に消滅していたこともあり、当時の日本では他に類を見ないものであった。
[編集] 台車
台車は新造時点で旧型車からは転用せず、ディスクブレーキがむき出しになっているパイオニア形を採用していた。吊り掛け式であるものの、エアサスペンションを採用していたのは特筆に価する。
5両編成化の際、クハのパイオニア形台車を改造の上、中間車へ振り分けた。第12・13編成分の合計4両は不足したため、ペデスタル式台車を新調した。クハ用にはペデスタル式台車を新造した。
- P3-706M(登場当時は全車両、5両編成の登場後は4212・4213・4312・4313を除く電動車)
- TS-814(5両編成の登場後の制御車)
- TS-818(5両編成の登場後の電動車のうち4212・4213・4312・4313)
[編集] カルダン駆動時代
【編成図】
←小田原(4両編成)新宿→ | ||||
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形式 | クハ4050 | デハ4000 | デハ4000 | クハ4050 |
号車 | 7号車 | 8号車 | 9号車 | 10号車 |
区分 | 4150(Tc2) | 4100(M2) | 4000(M1) | 4050(Tc1) |
搭載機器 | CP | CONT・PT | SIV・PT | SIV・CP |
自重 | 30.00t | 39.00t | 38.50t | 32.50t |
←小田原(6両編成)新宿→ | ||||||
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形式 | クハ4050 | デハ4000 | デハ4000 | デハ4000 | デハ4000 | クハ4050 |
号車 | 1号車 | 2号車 | 3号車 | 4号車 | 5号車 | 6号車 |
区分 | 4550(Tc2) | 4500(M4) | 4400(M3) | 4300(M2) | 4200(M1) | 4250(Tc1) |
搭載機器 | CP | CONT・PT | SIV・PT | CONT・PT | SIV | CP |
自重 | 30.00t | 39.00t | 38.50t | 39.00t | 38.50t | 30.00t |
1985年(昭和60年)から1989年(平成元年)にかけて、当時廃車が進行していた2400形の電動機を再利用して東急車輛製造で高性能化が行われた。同時に扇風機併用で8000形と同形式の冷房装置を搭載の上で組成を6両編成10本と4両編成8本に組み替えた。ただし、電動機容量の関係で発電ブレーキは装備しなかった。制御器が一般的な多段制御のため、2400形ほど加速は滑らかではなく、起動加速度も5000形と同程度に落とされた。
高性能化前は、加速性能が極端に違うために他形式編成との相互連結はできなかった(ブレーキ装置はHSCに揃えられていたので、非常時の連結は可能だった)が、この改造で可能になった。吊り掛け駆動時代にパンタグラフの位置が異なっていた点については、台車直上の位置に揃えられている。
ドアエンジンの更新工事も行われ、4058Fを除きすべて5200形や8000形と同じものに交換された。4058Fは変更されないまま廃車解体された。
[編集] 台車
新性能化に合わせてペデスタル式の新しい台車に交換され、電動車の基礎ブレーキにディスクブレーキが採用された。これは外観上の特徴ともなっていた。
- TS-826(電動車)
- TS-814(制御車)
- TS-818(制御車)
[編集] 営業運転終了まで
2003年(平成15年)秋頃から4258Fを皮切りに廃車が始まり、2600形全廃による次の廃車対象形式となったことや、3000形のさらなる増備により、2004年(平成16年)12月10日に全車運用を離脱し、2005年1月14日に最後まで残った4055Fが廃車になった。
他形式では2004年12月11日のダイヤ改正に備えて行先・種別表示器の字幕を新品に交換したが、4000形は廃車予定のため取り替えられなかった。小田急で2003年12月から施工開始した優先席付近吊り革のオレンジ色への変更は、残存編成の一部に実施した。
梅ヶ丘~喜多見間の複々線完成時には、既にほとんどの編成が廃車になっており、完成後も残存したのは4両編成では4051F・4055F、6両編成は4257F・4260F(数日後、廃車)のみであった。営業運転終了前には4055Fと4257Fが半固定状態で運用された。
2600形のさよなら運転イベントが盛大に実施されたのに対し、4000形ではさよなら運転などは実施されなかった。小田急電鉄に在籍した車両でさよなら運転が実施されなかったのは1976年の2100形以来であった。また、保存されている車両もない。
営業運転最終日は、4055Fと4257Fは朝ラッシュ時の急行運用の後、4055Fは引き続き急行運用に入り新宿~藤沢・小田原間を往復し、4257Fは江ノ島線各停運用に入った。4055Fは2004年12月5日頃から運用に入ることはなく予備車として待機したが、2005年1月1日までに解体された。
[編集] その他
- カルダン駆動に改造された後は他の高性能車と連結することも多かったが、元々他形式との連結時に相性が悪いと言われていた9000形や、VVVFインバータ車である1000形と相互連結する事例は多かった。加えて3000形と連結した際の相性も悪く、発車時は前後への衝動が大きかった。
- 冷房改造時、2600形や5000形と異なり冷風ダクトを設置して改造せず、冷房ユニットから直接吹き出し、車内の扇風機で冷風を攪拌するようにしたため、パンタグラフ付近など車両の一部箇所では冷房の効きが良くなかった。また、クーラーカバーの形状も異なっていた。
- 1990年代後半以降、4両編成は10両優等列車を中心に使用され、6両編成は各停を中心に全線で使用され、箱根登山鉄道にも時折入線した。
- 2007年に登場した新4000形と区別するため「旧4000形」と呼ばれることもある。なお4000系と称する鉄道車両は極めて少なく、大手私鉄では西武鉄道と名古屋鉄道(予定)だけである。
[編集] 関連項目
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