小田急1200形電車
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1200形電車(1200がたでんしゃ)は、小田急電鉄で使用されていた電車である。
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[編集] 概要
小田急1200形は小田原急行鉄道101形・121形・131形の3形式を、陸上交通事業調整法に基づき、小田急電鉄(1941年3月1日に鬼怒川水力電気に合併され社名変更)が1942年5月26日に東京横浜電鉄等と合併し、東京急行電鉄いわゆる「大東急」に際し、合わせた形式であり、まず、その3形式について説明する。
[編集] 小田原急行鉄道101形
小田原急行鉄道101形は、1927年4月の開業時に、「長距離用」として、日本車輌製造にて12両製造された。最初は、セミクロスシートの車内であったが、1942年にロングシートとなった。
また、1933年に鉄道省の「昭和3年形式改正」にあわせて、「小田原急行鉄道101形モハニ101~112」となった。そして、小田急電鉄が東京横浜電鉄等と合併し、「大東急」となる際に、1200形1201~1212号車となった。
- 101形車両概要
[編集] 小田原急行鉄道121形
小田原急行鉄道121形は、1927年10月の小田原急行線全線複線化に際し、長距離用として3両が藤永田造船所にて製造された。車体は、小田原急行鉄道101形とほぼ同型であった。こちらも、101形と同様に、最初は、セミクロスシートの車内であったが、1942年にロングシートとなった。1933年に鉄道省の「昭和3年形式改正」にあわせて、「小田原急行鉄道121形モハ121~123」となった。そして、小田急電鉄が東京横浜電鉄等と合併し、「大東急」となる際に、1200形1213~1215号車となった。
- 121形車両概要
- 16m級車両・片開き2扉車
- 台車は、鋳鋼枠を用いたイコライザー式のKS30L
- 制御装置はHL
- 主電動機は、MB146Aで、出力は93kW、制動方式はAMM
- 車内は、セミクロスシート(後、ロングシート)。
[編集] 小田原急行鉄道131形
小田原急行131形は、1927年10月の小田原急行線全線複線化に際し、長距離用として3両が藤永田造船所にて製造された。車体は、小田原急行鉄道101形とほぼ同型であったが、当初からロングシートであり、手荷物室とトイレが設置されていた。しかし、1930年に手荷物室及びトイレは撤去された。そして、小田急電鉄が東京横浜電鉄等と合併し、「大東急」となる際に、1200形1216~1218号車となった。
- 131形車両概要
- 16m級車両・片開き2扉車
- 台車は、鋳鋼枠を用いたイコライザー式のKS30L
- 制御装置はHL
- 主電動機は、MB146Aで、出力は93kW、制動方式はAMM
- 車内は、ロングシート、手荷物室・トイレ付き。
[編集] 小田急1200形
小田急1200形は、小田急電鉄が東京横浜電鉄等と合併し、「大東急」となった際に、前述の3形式を併せた形式で、当初は「東急(大東急)1200形1201~1218号車」と称した。うち、1201~1212号車にはトイレが設置されていたが、1946年に撤去された。
その後、大東急から小田急電鉄が独立し、全車両が小田急所属となった。1956年から1957年にかけて車体修繕が、東急車輛製造にて行われた。このとき、奇数番号の車両は新宿向き、偶数番号の車両は小田原向きに揃えられた。1967年から1968年にかけて廃車された。
- 1200形車両概要(1956~57年実施の車体修繕後の情報)
- 片運転台
- 正面は、平妻貫通。
- 16m級車両・片開き2扉車
- 台車は、鋳鋼枠を用いたイコライザー式のKS31L
- 制御装置はHB
- 主電動機は、MB146Aで、出力は93kW、制動方式はAMM
- 車内は、ロングシート。
[編集] 歴史
- 1927年4月 小田原急行鉄道101形が12両、日本車輌製造にて製造される。
- 1927年10月 小田原急行鉄道131・151形が、各3両、藤永田造船所にて製造される。
- 1942年5月 小田急電鉄が東京横浜電鉄等と合併し、大東急1200形となる。
- 1948年 大東急解散に伴い、「小田急電鉄1200形」となる。
- 1956~57年 車体修繕を東急車輛製造にて実施。
- 1968年 全車両引退。
[編集] 関連項目
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