DNA型鑑定
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DNA型鑑定(-かたかんてい)あるいはDNA鑑定とは、DNAの多型部位を検査することで、個人識別するために行う鑑定である。犯罪捜査や、親子など血縁の鑑定に利用されている。
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[編集] 概要
DNAとは、デオキシリボ核酸の略称で、遺伝子の本体として、生物の核内に存在する物質である。DNAを主成分とした物質は、1869年に発見され「ヌクレイン」と名づけられた。しかし、遺伝子の本体は、長い間、タンパク質であると考えられていたこともあって、DNAの初期の研究は遅々として進まなかった。遺伝子の本体はDNAであるということが初めてはっきり示されたのは、1944年であり、それが学会で公認されたのは、1952年である。二重螺旋で知られるDNAの立体構造、いわゆるジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックのモデルが発表されたのは、1953年である。この発見は、分子生物学史最大の発見の一つと称えられ、以後DNAの研究は急速に進展する。この発見により、2人は、1962年にノーベル賞(生理学・医学賞)を受賞している。
1985年『Nature』にイギリスのレスター大学のアレック・ジェフェリーズという遺伝学者が論文を発表した。彼の好奇心は、誰もが手がけている遺伝子の働きではなく、DNAによって「個人を区別できるか否か」だったといわれている。そして、彼が着目した識別法はヒトのDNA型は、十分に個性があり不同性がある。そして終生不変である。よって、「個人の特定が出来る」と説いたのである。この発表によりDNA型鑑定は個人特定の切り札として飛躍的に発展していくのである。
[編集] DNAの構造
DNAは、知られている限りで最も大きな分子のひとつである。RNAとともに核酸と呼ばれ、その構成要素は次の3つである。
DNAでは、糖がデオキシリボースであり、塩基が
となっている。
DNAは、デオキシリボースとリン酸が交互に長くつながった鎖が2本、螺旋状にねじれた二重螺旋構造になっている。糖であるデオキシリボースの部分には、A,T,G,Cの4種類の塩基が一つずつ結合している。そしてこの塩基が、もう一本の鎖の塩基と結び合うことで、DNAの本鎖は結合している。
この塩基の結合には決まった規則がある。Aは必ずTと、Gは必ずCとペア(塩基対)をつくる。そのほかの組み合わせ、たとえばAとC,GとTといったペアはない。したがって、二重螺旋の一方の鎖の塩基の並び方(塩基配列)が決まると、もう一本の鎖の塩基配列も自動的に決まってしまう。このことを「本鎖の塩基配列は互いに相補的である」という。これがワトソン・クリックモデルの最も重要な点でもある。
ヒトの細胞は、一個の受精卵から出発して、誕生までに約3兆、成体になると約60兆にも及ぶといわれる。そしてヒトの細胞一個に入っているDNAは、60億塩基対くらいとされている。
ヒト細胞は「倍体なので、ゲノム(配偶子または生物体を構成する細胞に含まれる染色体の・組、またはその中のDNAの総体)あたりは約30億塩基対である。
DNAの塩基配列のうち、同じ塩基配列が繰り返して存在する特殊な「縦列反復配列」と呼ばれる部分を検査し、その繰り返し回数が人によって異なることを利用して個人識別を行う手法が最も一般的であり、世界的に共通した検査法が確立している。
[編集] DNA型鑑定の課題
あくまで検査で判定できるのは繰り返し数のみであり、その結果は数値でのみ表記されるため、「DNA鑑定」と言うよりも「DNA型鑑定」と称するべきとの提言がある。
現在の技術ではヒトゲノムの全ての塩基配列を調べるわけではなく、「一卵性双生児以外は全て結果が異なる」という認識は誤りである。理論上は赤の他人であってもDNA型は一致する可能性があるが天文学的に極めて低い確率(数十兆分の一)ではあるため指紋認識のような識別手段としての信頼性が置かれている。全ての人間のDNAのパターン・データが登録されれば偶然の一致による誤診は防げる。
DNA型鑑定による個人識別の歴史・現状・課題を短くしたいという目的からか、鑑定の結果「DNAが一致」したといった表現がしばしばみられる。しかし、それらはいずれも、DNAのごく一部を分析しパターンの一致・不一致を判定し、確率論的に推定するものである。
どういう分析が行われ何がどう一致したのかを確認しないと評価を誤りかねない。この点、指紋と異なり判断者に高度な専門的知識が必要とされ、その裁判において判断は専門家の解釈に依拠することになる。
[編集] 犯罪捜査などへの応用
日本では、血液型や指紋と異なり、データベース化は、2004年にやっと始まったばかりであり、その規模も数千のデータでしかない。であるから犯罪捜査などの場合に現場資料のみからデータベースに照合するだけで個人を特定することは比較の標本の数が少なすぎて事実上不可能に近い。現時点では、同時に比較すべき対照資料のDNA型を検査し、両方の試料間の一致・不一致を判定することができるにすぎない。それでも、科学捜査において有用である事に違いはなく、後述するようにいくつもの事件で決定的な証拠として採用され、事件を解決に導いている。下記の2008年の「ひったくり事件」においては、捜査員が目星をつけた容疑者が捨てた煙草の吸殻を採取し比較標本としている。
髪の毛からDNA型の検査ができるという一般認識は、若干の誤解がある。髪の毛はDNAが発現した蛋白質であり、これを逆に遡及して遺伝情報を求めるのは現在の技術では困難であるからである。毛幹部には通常は核DNAは含まれていないため、毛根部分に頭皮組織の一部(毛根鞘)が付着していた場合に限って検査が可能となる。ただし、ミトコンドリアDNAに限っては毛幹部からも検出されることが多く、ごく一部の例で個人識別に使用されることがある。
[編集] DNA鑑定が用いられた事件
裁判における技術の信憑性を問う論争は、この技術が登場した段階と、それ以降の技術水準を問うものであり、現在、DNA鑑定は極めて信頼性が高い判定手段として認められている。問題となっているのは信頼性そのものと言うより同一人物と絞り込む際に出せる確率的な数値の違いである。極く初期には数百人に一人同一のパターンが認められる程度であったとされるが、2008年現在ではその精度は数十兆分の一である。
※蛋白質と異なり核酸は化学的に安定した物質であるので、サンプルが残っていれば平温で長期間を放置されてあっても再鑑定は十分可能である。州によっては殺人事件に時効のない米国では、未解決の30年以上前の事件において、残された証拠へのDNA鑑定によって真犯人が検挙され、有罪に持ち込まれた事例が複数出てきている。
[編集] 外国での事例
- DNA鑑定が初めて犯罪事件の捜査に使われたのは、1986年イギリスで起きたナーバラ地方、強姦殺人事件である。この事件では地域住民、数千人を集めて一斉検査を行った。
- アメリカのTVドラマ/ハリソンフィード主演の映画「逃亡者」の原案となった事件、ドクター・シェパード妻殺人事件は、DNA型鑑定により無実が証明された。
[編集] 日本での事例
[編集] 1980年代
[編集] 1990年代以降
- 1990年5月-栃木県足利市で起こった女児殺害事件では2008年2月、地方裁判所(宇都宮地裁)でDNA型鑑定の信頼性を認め、再審請求を棄却した。
- 1997年-DNA鑑定の有効性を問われた事件で有名なのは「東電OL殺人事件」(1997年)である。一審では反対解釈の余地もあるとして無罪となったが、二審では決定的な証拠であるとして無期懲役の判決が出た。
- 1997年-奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件に於いては、犯人が犯行後に売却した四輪駆動車の後部座席から発見された血痕のDNAが被害者のものと一致した事が逮捕の決め手になった。
- 2008年-東京都で起こった「ひったくり」未遂事件において、被害者の手提げカバンに付着した微量の犯人の汗から、犯人の特定、検挙に結びついた。
[編集] DNA鑑定の考古学への応用
[編集] 関連図書
- 『DNA鑑定』勝又義直/著(科学警察研究所所長) 名古屋大学出版会
- 『犯罪と科学捜査 続(DNA型鑑定の歩み)』(元科学警察研究所副所長)瀬田季茂/著 東京科学同人
- 『DNA鑑定のはなし』福島弘文/著(信州大学教授 医博)株式会社 裳華房
[編集] 関連サイト
- DNA鑑定@法科学鑑定研究所
- DNA鑑定-関西医科大学法医学講座
- eQMS::DNA DNA Fingerprint Software