An-225 (航空機)
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An-225ムリーヤ(ウクライナ語:Ан-225 Мрія)は、ソ連・ウクライナ共和国のアントノフ設計局(現ウクライナのANTKアントーノウ)が開発した6発の大型輸送機である。最大離陸重量が600tと、世界一重い航空機として有名(2005年現在)。
ウクライナでは、ウクライナ語で「夢」(睡眠中にみる方でなく、希望等を意味する方の「夢」)を意味するムリーヤ(Мрія)の愛称で親しまれている。一方、NATOコードネームはコサック(Cossack)であった。2機が製造されていたが1機しか完成しなかったため、2008年現在世界に1機しか存在しない。
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[編集] 歴史
[編集] 開発経緯
1980年代後半のソ連では、宇宙往還機「ブラン」の開発が進められていた。ブランを輸送するための方法として計画されたのが始まりである。ちなみに、同じくブラン輸送の為にVM-T アトラントも製造された。
開発期間を短くする為に、設計は An-124ルスラーン を基にしている。それでも An-124 からの改造箇所は多岐に渡り、胴体の延長のほか、ブランの搭載箇所を機体背面に設け、出力向上のためエンジン数を4基から6基に増やしている(An-124の翼の根元にエンジンを付けた翼を入れたような形になっている)。さらに、搭載したブランによって生ずる後流の影響を小さくするために尾翼をH字型の双尾翼としている。搬入口は機体前後にあるAn-124とは異なり、機体重量軽減の為、機体前方にしかない。なお、An-124は前部搬入口に傾斜台が設けられているが、当機では前脚を傾斜し前傾姿勢になることで積載作業を簡易にしている。
[編集] 運用
しかしながら、An-225が実際にブランを搭載して本来の任務を果たしたのは一回限りで、ブランが宇宙に行ったのも一度限りであった。その後はソ連崩壊に伴う混乱のために運用予算が打ち切られた。
存在意義を失った An-225は長い間ウクライナの工場の一角に放置され、An-124とAn-70の補修用部品取りとして次々と主要なパーツを失うなど、事実上のスクラップ扱いとなっていた。しかし1999年になって、当時のアントノフ航空などが An-124を使用した超大型貨物の運送ビジネスを行い大成功を収めた実績から、An-225を商用として現役復帰させることを発表した。1年近い改修の末、デジタル化と機体の補修・強化を行い、An-225は再就役した。
2004年現在は貨物運送用として就役しており、主に大西洋で運用されている。アントノフ設計局では、組み立て途中のままの2号機を完成させるか、改造を行った新型輸送機を製造するかを検討中である。
[編集] 性能
[編集] ペイロード
ペイロードは公称では250tであるが、実際には300t以上を搭載することができる(最大離陸重量は600t)。また、背中のブラン搭載箇所にも250tを搭載することが可能である。この貨物搭載能力は、アメリカ合衆国空軍のC-5(118t)やAn-225の基となったAn-124(150t)を圧倒している。
貨物室は与圧していないため搭載人員は70名程度とされているが、仮に旅客機に転用した場合は1,500人から2,000人程度を収容できるほどの容積があるという。ちなみに「世界一重い航空機」の肩書きを持つ程非常に大きな航空機であるが、H型尾翼の存在や反応の良いエンジン、大型フラップなどの性能の高さのために生み出される良好な操縦性から、「戦闘機なみの機動が可能」と操縦士に言わしめるほど機動性は高いようだ。
[編集] 世界記録
最大離陸重量の大きさが注目を集めることの多い An-225だが、「一定重量のペイロードを搭載しての速度記録」といった数多くの世界記録を達成してもいる。2004年11月、FAI(Fédération Aéronautique Internationale; 国際航空連盟)は240もの世界記録をギネスブックに登録した。
2005年現在でも、FAI公式サイトの「ジェットエンジン推進の陸上機で、最大離陸重量が300t以上のクラス」のページを見ると、上から下までほとんどがAn-225で占められている様子を見ることができる(#外部リンクを参照)。
なお、アメリカの資産家 ハワード・ヒューズが全財産をかけて製作した巨大飛行艇 H-4 ハーキュリーズはAn-225よりも翼幅が長いが、この機体はまともには飛行していない。
[編集] スペック
- 全幅: 88.74m
- 全長: 84.0m
- 全高: 18.1m
- 最大離陸重量:600t
- エンジン: ZMKBイーフチェンコ=プロフレース
D-18 ターボファンエンジン × 6 - 推力: 229.5kN × 6
[編集] 外部リンク