コサック
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コサック(コザーク、カザーク、コザックなどとも書かれる)は、ウクライナ、ロシアなどに生活していたコミュニティーまたは軍事的共同体の名称。
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[編集] 概要
コサックには、本来多く分けて以下の二つの異なる集団が含まれている。
- ウクライナのコサック
- ロシアのコサック
両者は以下概要に示すようにその歴史・性格が大きく異なるため、「コサック」を扱う際にはそのどちらを指しているのか注意が必要である。
現在、別々の国家となっているウクライナとロシアはキエフ・ルーシ崩壊以降その歴史が大きく異なってはいるものの、現在の範図に相当するようないわゆる「国民国家」の概念は近代までなきに等しかったのであり、「ウクライナ」、「ロシア」といった区分は後付されたものであると言える。その実態は、各町村ごとにそれぞれの小集団が形成されており、それが場合により連合したり交戦したりしていたというもので、ウクライナだからそこで纏る、ロシアだからそこで纏る、などということは基本的にあり得なかった。
従って、「ウクライナ」、「ロシア」という二分法は厳密にはナンセンスである。分類しうるとすればそれは両地域がそれぞれ違った体制・性格の国家による支配を受けていたことによってであり、これに基づけば両地域に生活していたコサックは以下のように区分できる。
- リトアニア大公国及びポーランド王国によって支配されたウクライナという地域(主として現在のウクライナの辺り)に住んでいたコサック
- ロシア帝国によって支配された地域(現在のロシアだけではない)に生活したコサック
両者の最大の違いは前者が「貴族議会の権力の強い国家に支配を受け、その強い影響下に生活を営んでいた」こと、後者が「強力な一人物、即ち皇帝への全国家の隷属という強い中央集権体制下の帝国で編成された集団である」ということである。このことから、便箋的に「ウクライナのコサック」、「ロシアのコサック」と呼ばれるものの間には、当初は大きな違いもあったであろうことが言える。
[編集] 経緯
コサックは、本来は14世紀後半から現在のウクライナに当たる地域を治めていた自治集団のことであった。正しくはコザーク(ウクライナ語: козак, 複数形はкозакиコザケィ)という。一般に、最も有力だった「ザポロージエ・コザーク」が「ドニエプル・コサック」または「ウクライナ・コサック」の一つ集団として知られている。現在のウクライナの地域にあったコザーク集団はそこにあった町や村の数だけあったと言え、それらが基本的には互いに独立して西欧における小国家(ドイツ地域の王国、公国などのような)と同じような小共同体を形成していた。ウクライナはバトゥ率いるモンゴル帝国の襲来により中央集権国家キエフ・ルーシが崩壊した後、リトアニア大公国、ポーランド王国、モスクワ大公国等様々な周辺国によって支配されてきた経緯があるため、コザケィもそれら様々な勢力に属し、或は独立を求めて反旗を翻してきた。ポーランドに対し叛乱を起こしたボグダン・フメリニツキー、ロシアに対して叛乱を起こしたイヴァーン・マゼーパは特に有名である。しかしながら、ウクライナという地域のモスクワ大公国への併合によって、ウクライナのコザケィの独立は失われ、その独自性が強調されることが多い一方、それだけその独自性が薄れていったとも言えた。
しかしながら、現在西洋一般に「コサック」として想定されているのは帝政ロシアのコサック兵であり、ウクライナのコザケィではない。これはウクライナのコザケィをモデルにロシア帝国によって編成された半農武装集団(士族)であり、ウクライナの本来のコザケィとはその性格、変遷ともにまったく異なる。ロシア帝国のコサック兵は、クバーニ、オリェンブールク、ドンなどの特別軍管区に生活し、平時には農耕を行い、有事には軍務を行いツァーリに忠誠を尽くすということを条件に特権的な土地使用を認められた集団(士族)のことで、独立を求めしばしばロシア帝国のツァーリに対して反乱を起こしていたウクライナのコザケィと混同することは大きな間違いの元である。なお、ロシア語ではコサックはカザーク(казак, 複数形はказакиカザーキ)である。ロシアのカザーキは、しばしば新しい自由な土地を求めて、或はツァーリへの忠誠心から東方へと進出し、初めて極東地方に砦を築いたロシア人も彼らカザーキであった。ロシア革命とそれに続くロシア内戦の際には、ツァーリへの忠誠を誓ったコサック兵たちは反革命側の強大な軍事勢力を形成し、各地で赤軍と大規模な戦闘を繰り広げた。クバーニなどのカザーキはツァーリの処刑後独立を宣言したが、こうした「独立政権」は旧ロシア帝国領内に無数に誕生した。
また、2004年現在もドン川地方などにカザーキが生活しており、彼らは軍事面での貢献をロシア連邦政府に誓うかわりに、大幅な自治が認められている。
現在、コサックの人口は300万人。プーチンとロシアを熱烈に支持している。チェチェンなどの紛争にも積極的に参加している[1]。 ロシア正規軍への志願とは別に義勇兵として戦地に赴くことに彼らの特徴がある。
- ^ 「新シルクロード 激動の大地をゆく」2007年6月24日(日)午後9時 「荒野に響く声 祖国へ」 より
[編集] コサックの有名人
- イヴァーン・マゼーパ:ウクライナ・コサックの頭領で、ピョートル1世に対し反乱を起こした。ピョートル・チャイコーフスキイのオペラ「マゼッパ」(1884年)に描かれている。また、フランツ・リストも「マゼッパ」で題材にしている。
- イェルマーク・チモフェーイェヴィチ:ロシアの富豪ストローガノフ家に雇われ、シビル・ハン国を征服したドン・コサックの頭領。但し、彼自身はシビル・ハン国滅亡の前に戦死。
- グリゴリー・セミョーノフ:ザバイカル・コサックのアタマン。ロシア革命後のロシア内戦時代、反革命勢力に与して戦い、革命に干渉するために送られてきた日本軍に協力した。
- スチェパン・ラージン:ロシア皇帝に反旗を翻したドン・コサック。日本語内では「スチェンカ・ラージン」の名の方が有名。彼の反乱と悲劇性を題材とした「スチェンカ・ラージンの歌」も知られている。
- ボグダン・フメリニツキー:ウクライナ・コサックの頭領、ウクライナの解放運動の指導者。
- ピョートル・クロポトキン:ロシアの政治思想家。
[編集] 関連項目
- ウクライナ・コサック
- コーカサス・コサック
- コサック兵
- アタマン
- ヘーチマーン
- カバルディ
[編集] その他
コサックに付随するものとしては、以下のようなものがある。
- コサック・ダンスは、文字通りには「コサックがする踊り」のことであるが、日本では特に「腰を低くして腕を組み、足を高く上げて踊る独特のダンス」というステレオタイプが定着している。コサックのダンスには、実際にはこの他にもいろいろなスタイルのものがある。
- コサック(Cossack)は、An-225ムリーヤ(Ан-225 Мрія)に対してNATOが付けたコードネーム。
- イギリス海軍の駆逐艦の名称。第二次世界大戦までのイギリスは、海軍国として七つの海を勢力下に置いているという自負から、自国の駆逐艦の名称に各国の民族名を使用していたことがあった。(トライバル級駆逐艦)
- 「コサックス」は、ウクライナのコンピューターゲーム。フランス軍がロシア帝国に侵攻し、ロシア帝国の支配に対するウクライナの民族主義の盛り上がっていたナポレオン時代を背景に作られている。「コサックス2」も現在ウクライナ等で売り出されており、日本で2005年に行われた愛知万博のウクライナ館でも宣伝されていた。
- 映画「007」シリーズで、007(ジェームズ・ボンド)の同僚006(アレック・トレヴェルヤン)はコサック出身の孤児という設定であった。多くのハリウッド映画で悪役を演じているショーン・ビーンが役を演じ、ジェームズ・ボンドを裏切って殺された。シリーズ第17作『007 ゴールデンアイ』(1995年)に登場。
- Dr.コサックはロックマンシリーズに登場するロシア人科学者。フルネームのミハエル・セルゲイビッチ・コサック(Mikhail Sergeevich Cossack)はミハエル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフ元ソ連大統領に由来すると思われる。