高野拳磁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高野 拳磁 | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム | 高野 拳磁 高野 俊二 |
本名 | 高野 俊二 |
ニックネーム | 野良犬 人間バズーカ |
身長 | 200cm |
体重 | 130kg |
誕生日 | 1964年2月16日(44歳) |
出身地 | 福岡県北九州市 |
高野 拳磁(たかの けんじ、1964年2月16日 - )は、福岡県北九州市出身のプロレスラー。本名は高野俊二(たかの しゅんじ)。身長200cm、体重130kg。
キャッチフレーズは野良犬。実兄のジョージ高野(ザ・コブラ)もプロレスラー。
目次 |
[編集] 経歴
1981年12月8日、新日本プロレス・蔵前国技館での新倉史祐戦でデビュー。豪快な勝利で将来のエースを予感させた。翌1982年初め、協栄ボクシングジムより新日本プロレスへ、日本人初のボクシング世界ヘビー級王者を誕生させる計画が持ち込まれ、候補として高野がピックアップされ、当時WBA世界ライトフライ級王者だった渡嘉敷勝男とハワイでトレーニングを開始するが、毒入りオレンジ事件の余波で、プランは中止。プロレスに復帰後すぐ、カナダのカルガリーに武者修行に出発。
1984年、長州力らの離脱による日本人選手層の薄さをカバーするために帰国。未完の大器という事で、メインやセミの試合で(勿論タッグで)試合を行う場合も多く、特にこの当時暗黒増殖団としてはびこっていたストロングマシーンズとの抗争の一派に名を連ねていた。また一方でかなりビッグネームの外人選手との対決も珍しくなかったが、対戦成績は芳しくなく、デビッド・シュルツとのシングルマッチでは何とトップロープからのエルボードロップで1分持たず敗戦という苦い経験もする。ただ、ブルーザー・ブロディには気に入られており、4度のシングル戦のうち、後半2回はブロディの希望だった事を、後に雑誌のインタビューで高野本人が語っている。しかし、生来のムラッ気から、試合毎の落差が激しく、ストロングマシーンズとの6人タッグマッチで、コーナーポストでの戦意喪失によるKO負けや、あまりのふがいなさに猪木がリングに飛んできて、喝を入れるというシーンまであった。
やがて、スーパー・ストロング・マシン・ヒロ斎藤と共に、カルガリーハリケーンズを結成し、新日を離脱、全日本プロレスを主戦場とし、AWA地区への二度目の武者修行へ。帰国前後にスーパー・ストロング・マシン・ヒロ斎藤の新日復帰を受けてカルガリーハリケーンズは解散となり、正式に全日本プロレス所属となる。三沢光晴や高木功、田上明、仲野信市とともに『決起軍』を結成するが、ジャイアント馬場の「全然決起しないから」の一声ですぐ解散となるが、馬場は高野の素材には期待をしており、積極的にジャンボ鶴田とのタッグをマッチメークしていた。
1990年にSWSに移籍、兄で新日本プロレスから移籍していたジョージ高野とパライストラを結成する。1992年に同団体が解散し、ケンドー・ナガサキを始めとする『道場・檄』のメンバーとNOWを旗揚げするものの、プレ旗揚げ戦後、兄弟揃ってすぐに脱退。
その後ジョージとともにPWCを結成したものの、兄弟仲が険悪となったためジョージのみ離脱。これは、団体運営は拳磁が行っていたが、活動資金はジョージが出しており、弟の経営のやり方に不満があったため、とされる。
PWCは所属選手の不足と高野自身の素行不良が重なって旗揚げして数ヶ月で財政難となり、観客数も伸び悩んで興行を打つのもままならない状況になる。そしておよそ1年後、当時所属していた黒田哲広をはじめとする選手達が離脱(脱走)してしまう。一人残った拳磁は、デスマッチ路線に活路を見出そうと将軍KYワカマツ率いる宇宙パワー軍との抗争を開始。宇宙パワーX、同XXと増殖していく宇宙パワー軍を相手に、高野は金村ゆきひろ(現:金村キンタロー)、荒谷信孝(現:荒谷望誉)、松崎和彦らと「地球防衛軍」を結成。有刺鉄線ボードや五寸釘ボードを用いる血みどろの戦いが繰り広げられた。その際、後のキャッチフレーズとなる『野良犬』と呼ばれるようになる。
なお、「野良犬」の由来だが、宇宙パワー軍との闘いに敗れた後のマイクアピールで、「リングは盗まれ事務所も閉鎖、みっともなくて情けねえよ。だがよ、俺は飼い犬にはならねえ!!」と絶叫した事がきっかけである。
所属選手の殆どが離脱し、自前の選手だけでは興行が行えないため、他のインディー団体から選手を招聘、また、自身も当時のインディー団体の交流組織であったレスリング・ユニオンに加盟し、他のユニオンの加盟団体にも上がるようになる。
このころピザーラのCMに出演し、「ピザーラ、お届け!」のセリフが受けて脚光を浴びている。
その後、西日本プロレスに参画するもわずか1試合で電撃離脱し、PWCを復興。新たな戦力を確保し、持ち直したかと思われた。またこの時期、みちのくプロレスに、覆面レスラー『ザ・グレート・ゼブラ』として登場している 。しかしPWCは所属選手が一斉に離脱し、開店休業状態となる。
その後はFULLに参戦し「ジャイアント・ドスカラス」になったりもしたが、徐々にプロレス界からフェードアウト。そのキャラクターを活かして映画やVシネマに出演していたが、最近の活動はあまり聞かれていない。表舞台に出て来られない理由があるとも囁かれている。
200cm・130kgというプロレスラーとして恵まれた体格を持ちながら、性格やプロレスに対する姿勢に難があり、素質を活かせなかった。とくに練習嫌いだったのが、彼の大成を妨げた最大の原因といえるだろう。
2008年の兄ジョージのインタビューによると、現在はアメリカ在住との事。
[編集] 逸話
- カルガリー・ハリケーンズ所属で全日本プロレスに参戦時、マサ斎藤の世話で二度目の武者修行としてAWA地区に遠征し、すぐに女子プロレスラーのシェリー・マーテルと同棲を始めるが、付合いはハリケーンズ解散&帰国→全日所属の流れで途切れる。1990年4月13日の東京ドームでの全日本・新日本・WWFとの合同興行「日米レスリング・サミット」の際、ランディ・サベージのマネジャーとして来日したシェリーとの再会を楽しみにしていたが全く無視されてしまい、寂しい思いをする。
- 大日本プロレスを中心としたインディー連合が新日本プロレスと対抗戦を行った際、出場選手としてリストアップされたが、「自分が新日のリングに上がるのは、相手に失礼だから」と断っている(尚、もし出場した場合、佐々木健介との対戦が予定されていたと云う)。また街中で偶然蝶野正洋に出会い、蝶野が高級車に乗っていたのを見て寂しい思いをしたこともあったという。自らが育った新日本に対する、高野が抱えた愛憎が垣間見える。
[編集] 得意技
- ミサイルキック
- 巨体の高野が放つと威力抜群で、「人間バズーカ」の異名をとった。
- ダイビング・ダブルニードロップ
[編集] タイトル履歴
- アジアタッグ王座
- WWF認定SWSタッグ王座
[編集] 現在もしくは過去に名乗ったリングネーム
- 高野俊二
- スーパーニンジャ
- 高野拳磁
- ザ・グレート・ゼブラ
- タイガーマスクのマンガ版・アニメ版に登場した覆面レスラーのパロディー。
- ジャイアント・ドスカラス