西日本プロレス
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西日本プロレス(にしにほんプロレス)は、かつて存在した日本のプロレス団体である。略称は『NNP』
[編集] 概要
地域密着型のプロレスを目的としたみちのくプロレスの成功に触発され、九州(特に熊本県)を中心に、地域密着型の興行形態を目的に、1994年12月22日熊本県・熊本市総合体育館にて旗揚げ戦を行う。
旗揚げ時のエースに、当時PWCのエースでありながら、所属選手が全員退団した為、興行を行えなかった高野拳磁を迎え、旗揚げ戦を行うが、高野拳磁は旗揚げ戦のみで離脱。その後、元W★INGプロモーションの徳田光輝と元ユニオン・レスリングのホーデス・ミン(現ポイズン澤田JULIE)をエースに据える事になる。
九州を拠点にしつつ、東京にも進出し後楽園ホールにて興行を行う等の展開を図るものの、観客動員に苦戦しあえなく崩壊、その後、相島俊介・水前寺狂四郎の九州勢をエースに据え、団体名もウェストジャパンプロレスリングに改称するが、相島・水前寺が世界のプロレスに引き抜かれた為、元ユニオンプロレスの川崎賢一をエースに据える緊急事態となり、その後も状況は好転せず、現在は活動停止中となっている。
旗揚げ当初はスポンサーも付き、順調なスタートをきるが、同じように地域密着を目的とした、みちのくプロレスが、ザ・グレート・サスケやスペル・デルフィンの活躍で全国区の知名度を獲得した事に比べ、唯一知名度のあった高野拳磁が、旗揚げ戦で離脱した以降は、知名度のあるレスラーが存在せず、観客動員で苦戦し、それに加えスポンサーの撤退や選手同士の分裂等の問題で、その活動を停止する事となった。
一試合だけとは言え、高野拳磁が出場した事に加え、木村浩一郎やポイズン澤田JULIEや、当時素顔だった菊タローなどの選手を擁した事で、一部のマニアからは伝説的な団体となっている。