ユニオンプロレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユニオン・プロレスとは1994年に旗揚げされたプロレス団体。1995年に活動停止した後、2005年にDDTプロレスリング内の別ブランドとして活動再開している。怪奇派、空手マッチ、エクストリーム、女子プロレス、デスマッチと何でも御座れで、1興行内で様々なスタイルの試合が展開されるのが特徴である。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 旧ユニオンプロレス
1993年、鶴見五郎と高杉正彦が『レスリング・ユニオン』設立を発表。当初は『IWA格闘志塾』『IWA湘南』『IWA流山』を始めとしたインディー団体の統括組織だったが、統括組織としての存在がうやむやになった為、1994年4月にポイズン澤田と松崎駿馬(現:松崎一彦)らIWA流山勢が『ユニオンプロレス』と改称し、独立団体として活動を開始する。
同年12月、ノーロープ有刺鉄線ランバージャック猛毒マムシデスマッチが行われ、プロレスマスコミにも取り上げれ話題になるが、地元以外での興行に苦戦し、1995年4月28日千葉の流山市民総合体育館でラストマッチを行い活動停止。
[編集] 現在のユニオンプロレス
2005年、6月29日のDDT 後楽園ホール大会で澤田が再旗揚げを宣言。当時のDDT社長一宮章一は難色を示していたが、8月14日和解。 DDT所属レスラーの石川修司やチェリー、フリーのisami(現:木髙イサミ)、726が正式所属となる。 11月3日、再旗揚げ戦「Revival」が新木場1stRINGにて慣行される。
2006年、旧ユニオンプロレス代表の武井匡が裏切り、ユニオンvs小笠原和彦の率いる空手軍団が勃発。度重なる抗争の末、空手軍団と和解するが、武井はミスター雁之助と武井軍団を結成しユニオン軍と抗争。再旗揚げ後の代表を務めた会場敏から代表権を奪い取った武井にユニオンが乗っ取られる。この状況を打開するため、澤田は助っ人として新日本プロレス練習生時代の同期である後藤達俊とタッグを組んで武井軍と対抗。
2007年、1月12日の新木場1stRING大会で武井軍と澤田による抗争の最終章として再び猛毒マムシデスマッチが行われる。この試合に勝利した澤田と武井は話し合いをし、武井はユニオン勇退を発表。ユニオン新代表としてナオミ・スーザンが選ばれる。一方、澤田はマムシデスマッチで死んだ何匹かのマムシを供養するためボルネオ島へあるヘビ塚へ旅立つためユニオンからの一時離脱を宣言する。
スーザン体制下で再出発後は石川をエースにしたユニオン軍と佐々木恭介率いるSTYLE-E軍との抗争を展開。DEP、ZERO1-MAXとも団体間抗争を行い、団体としての結束力を高める。
2008年、1月25日に東京愚連隊との業務提携を発表。しかし大家健の失態によって両者の関係に亀裂が生じ、現在は抗争を展開している。
[編集] 所属選手
[編集] 参戦選手
押忍闘夢
アックスボンバーズ
その他
過去の所属選手
過去参戦選手
- 武井匡(旧ユニオンプロレス代表)
- ミスター雁之助
- 大矢剛功
- 奴隷壱号
- 松崎和彦(創天会)
- 後藤達俊
- 会場敏(元ユニオンプロレス代表)
- ミスター・ポーゴ (=空手ポーゴ)
- 空手マミー
- メカゴロー (=鶴見五郎)
- 鈴木健想
- メカヒロコ (=鈴木浩子)
- 昭和
- 健心
- 猪俣潤
- A.YAZAWA(=アントーニオ本多)
- ケン・片谷
- ピンクタイガー
- 佐々木恭介 (風天)
- 柴田正人(STYLE-E)
- 竹田誠志(STYLE-E)
- 正岡大介(DEP)
- 豊臣太郎(DEP)
- 根本薫(DEP)
- 小杉研太(DEP)
- 柴山貴哉(DEP)
- 日向あずみ(JWP)
- 真琴(アイスリボン)