銚子電気鉄道
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場
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略称 | 銚子電鉄、銚電 |
本社所在地 | 288-0056 千葉県銚子市新生町二丁目297番地 |
電話番号 | 0479-22-0316 |
設立 | 1922年10月10日 (銚子鉄道株式会社として設立) |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 鉄道事業・食品製造販売事業など |
代表者 | 代表取締役社長 小川文雄 |
資本金 | 6,910万円 |
従業員数 | 24名 |
外部リンク | www.choshi-dentetsu.jp/ |
特記事項:1948年8月20日に銚子電気鉄道株式会社へ商号変更 | |
銚子電気鉄道株式会社(ちょうしでんきてつどう)は、千葉県銚子市に鉄道路線を有する鉄道会社である。銚子電鉄あるいは銚電と略称される。本社所在地は銚子市新生町二丁目297番地の銚子電気鉄道線仲ノ町駅内。
目次 |
[編集] 概要
千葉県銚子市にて鉄道事業、食品製造販売業、物品販売業を行う。とりわけ食品では、鯛焼き(観音駅)や銚子名産の醤油を使った「ぬれ煎餅」などを製造、販売しており、鉄道事業の赤字を補うまでになっている。特にぬれ煎餅については、銚子駅や犬吠駅の売店、一部の高速道路のサービスエリア・パーキングエリアのほか、首都圏を中心としたデパートやJR東日本・京成電鉄の駅売店でも販売されており、インターネットを使った通信販売もある。
[編集] 経営悪化
1990年1月に経営権が京成電鉄系の千葉交通から、千葉県東金市の総合建設業・内野屋工務店に移り、同社が子会社「銚電恒産」を設立し、銚子電鉄はその子会社となった。また、同社社長内山健冶郎(元千葉県議)が社長に就任した。1998年6月に同社が781億円の負債を抱え込んで自己破産申請を行い事実上倒産。県と銚子市が支援を行っていた。同社破産後も内山が社長を務めたが、2003年5月~7月の間に内山が借入金を横領したことにより解任され、2006年8月には総額約1億1000万円の業務上横領の疑いで逮捕された。
業務上横領容疑の元となった借金は銚子電鉄名義で無断で行われた物であり、「自分が社長をつとめる建設会社の経営状態が悪化しており、鉄道会社の信用を使えば銀行からの融資が引き出せるだろう」との目論見で行ったものとされている。銚子電鉄名義の借金は、個人の借金返済に充てるなど、全額を着服している。また内山は銚子電鉄社長時に内野屋工務店に大量の仕事を発注させて駅舎の改修工事をさせるなども行ったとされている。このことが県と銚子市の補助金を停止させ、さらに金融機関の融資凍結を招き鉄道経営に大きく響いた。
横領事件については、2007年6月11日に千葉地裁で懲役5年の実刑求刑に対して懲役3年・執行猶予4年の判決が下った。この際、内山と銚子電鉄及び債権者の間で弁済について示談が成立していることを情状酌量の理由としている。
[編集] 資金不足と支援
前述の横領事件の発生により銚子電鉄は運転資金の不足を生じ、2006年11月には鉄道車両の法定検査が行えないという事態に陥った。同社は11月15日、ウェブページ上で「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」という文章を掲載して、ぬれ煎餅の購入などによる支援を呼び掛けた。
この件は2ちゃんねるなどの電子掲示板や、個人の設置したブログなどのウェブサイトを通じて大きな話題となり、マスメディアによる報道も手伝って、支援をしようという人々からぬれ煎餅の注文が殺到、製造が間に合わずに何ヶ月も発送が遅れたり、一時は注文の受け付けを中止するほどであった[1]。
この売り上げにより、車両検査の目途はついたのだが、問題はまだ残されており、特に鉄道設備の老朽化はかなり深刻な状況であった。特に国土交通省関東運輸局が2006年10月23日から10月26日にかけて実施した保安監査においては、路線設備での踏切や枕木の約1500本に腐食などが確認された上、場所によっては列車が通過していないにもかかわらず遮断機が上がってしまうなどのトラブルもあったため、同省は11月24日に安全確保に関する改善命令を出して銚子電鉄に改善を指示した[2]。
2007年1月14日、安全運行問題の解決を支援するため、有志が「銚子電鉄サポーターズ」を設置。改善命令に基づいた枕木交換や、踏切設備の改善に限定したサポート基金の募集を行った。同会の特別サポーターには報道でこの問題を知った当時千葉ロッテマリーンズ所属の小林雅英が就き(会員第1号)、サポート基金への協力を呼びかけた。
同年1月23日、銚子電鉄は2006年11月24日の命令に対し、今後の取り組みを記した報告書を提出[3]。その後、枕木などの交換を行い、4月17日に同対処と駅員への運転教育による安全管理体制確立を内容とする改善措置完了報告を提出した[4]。ただし、同局は「今後も引き続き指導していく」とのコメントを発表している。
2008年5月26日、銚子電鉄サポーターズは支援の成果を上げたとして、休止を発表[5]。同会には2008年3月31日までに4698名から入会金として約1658万円、運営費のカンパなども合計すると約1882万円が集まり、同会はこれらの収入から安全対策基金として1510万円(うち970万円は2007年に寄贈、540万円を2008年5月26日に寄贈)、老朽化した踏切看板の交換費用として約100万円を支出したとしている[6]。また、同会は電車や沿線の清掃活動や撮影会などのイベント開催なども行った。同会は今後も存続し、側面的な支援活動は継続するという。
[編集] 歴史
銚子電気鉄道線も参照
1913年(大正2年)に現在の銚子電気鉄道の路線の銚子~犬吠間を開業したものの、利用不振から1917年(大正6年)に路線を廃止して解散した「銚子遊覧鉄道」の関係者が、再び路線を復活させるために銚子鉄道を設立した。
[編集] 路線
- 銚子電気鉄道線 銚子駅 - 外川駅 6.4km
[編集] 車両
銚子電気鉄道線#車両も参照
電車6両、電気機関車・客車各1両を所有する。
電車はデハ300・700・800・1000形、電気機関車はデキ3形、トロッコ客車はユ101澪つくし号で、このうち澪つくし号を牽引できる車両はデハ800・1000形である。澪つくし号は元国鉄ワム80000形有蓋貨車を改造した客車。2005年までは4月下旬~10月上旬の日曜・祝日と夏休み(7月20日前後~8月末日)は毎日4往復(夏休み期間を除く土曜日は1往復)運行されていたが2006年は一律日曜・祝日1往復のみ運行された。
またお盆の夜に運転されていた「サマーナイト澪つくし」も2006年は実施されていない。
桃太郎電鉄ラッピング車デハ1001 |
鉄子塗装に変更されたデハ1002 |
[編集] 脚注
- ^ ネットで「銚子電鉄を救え」 名物「ぬれ煎餅」に注文殺到 - ITmedia News 2006年11月21日
- ^ 銚子電気鉄道(株)に対し安全確保に関する命令を発出 - 国土交通省関東運輸局 プレスリリース 2006年11月24日
- ^ 銚子電気鉄道(株)の改善措置報告について - 国土交通省関東運輸局 プレスリリース 2007年1月23日
- ^ 銚子電気鉄道(株)の改善措置完了報告について - 国土交通省関東運輸局 プレスリリース 2007年4月17日
- ^ 銚子電鉄サポーターズ 成果上げ活動休止 - 読売新聞 2008年5月27日
- ^ 会計報告 - 銚子電鉄サポーターズ公式ブログ 2008年5月28日
[編集] 関連項目
- 桃太郎電鉄シリーズ
- さわやか3組
- NHK教育テレビのドラマ。2002年度の制作は銚子市で行っており、オープニング映像や作中に銚子電鉄が登場する。
- 鉄子の旅
- 作中で登場したほか、2007年12月26日に同作のカラー版限定セット「銚子電鉄応援ボックス」を発売。また、デハ1002が作者・菊池直恵考案の塗装に変更され、同日より運用されている。
- 鉄道コレクション
- デハ301、デハ501がモデル化されている。第1弾で旧塗装が、また2008年2月にオープンパッケージにより現行塗装が発売。上記鉄子の旅「銚子電鉄応援ボックス」にも菊池考案塗装の車両が封入された。
- Team2ch
- インターネットの電子掲示板、2ちゃんねる公認の支援チーム。現在は活動を終了。