鈴木武幸
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鈴木 武幸(すずき たけゆき、1945年1月 - )は東映株式会社所属の日本のテレビドラマ・映画プロデューサー。役職は東映取締役テレビ営業部門担当兼テレビ第二営業部長。東京都出身。
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[編集] プロフィール
- 大学卒業後、1968年東映入社。実写、アニメ作品問わずプロデュース作品は多岐にわたり、膨大。なかでも15作品でプロデュースを手掛けたスーパー戦隊シリーズではさまざまな趣向、アイデアを凝らし長期シリーズに育て上げた功績は大きい。現在も取締役として、東映特撮路線を支え続けている。
- 入社当初の頃は、営業部に所属していた。これは元上司の渡邊亮徳、吉川進、後輩の宇都宮孝明と同じ経歴である。
[編集] よく組んだスタッフ
[編集] 脚本家
- 『がんばれ!!ロボコン』や『太陽戦隊サンバルカン』で組んだ上原正三にはかなり信頼を置いていたらしく、だからこそ上原が宇宙刑事シリーズ執筆のために戦隊を離れるときは相当に悔しい思いをしたと後年雑誌のインタビューで語っている。
- その後は上原に代わり戦隊のメインライターに就任した曽田博久と二人三脚でシリーズの繁栄を築いた。9作連続で曽田はメインを務め、その後は井上敏樹、杉村升にメインライターを託し戦隊シリーズを継続させた。
- その他のライターでは長坂秀佳、藤井邦夫など。
[編集] 監督
- 戦隊シリーズでは『超電子バイオマン』『電撃戦隊チェンジマン』を除いて東條昭平が全てメイン格の監督として登板している。また長石多可男を4年連続メイン&パイロット監督として起用するなど、特にこの二人には信頼を置いていたようである。
- 『鳥人戦隊ジェットマン』でメインスタッフの刷新を試みたとき、鈴木は若手の雨宮慶太をメイン監督に起用することを決断する。後に雨宮が雑誌「宇宙船」インタビューで語ったことによると『地球戦隊ファイブマン』の視聴率不振から「戦隊はこれ(ジェットマン)が最後になるかもしれない」と鈴木は不断の覚悟を持って依頼したという。ただ当時31歳の雨宮のパイロット起用については社内でも反対の声がいくつかあったため、鈴木はパイロット版以前に雨宮に何分かのショートフィルムを撮影させたり、第一話の絵コンテを全て書かせてそれを基に説得工作に務めるといった逸話が残っている。
- 同じくそのインタビューによると、雨宮は鈴木に「若手でも全然大丈夫ですよ」と助監督の監督昇進を度々進言したという。鈴木はどちらかといえば生え抜き助監督の監督昇進には慎重な態度をとる人間だったが、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』にて当時26歳の渡辺勝也を監督として起用した。また田崎竜太のデビューは鈴木がプロデューサーとして最後に携わった『超力戦隊オーレンジャー』である。渡辺と田崎はその後東映特撮作品の中核を担う監督に成長した。
[編集] 撮影監督
- 殆どの作品において、いのくままさおがチーフとして携わった。戦隊シリーズもメインだった石橋英敏よりいのくまに交代させている。
[編集] 主な作品
[編集] 実写作品
◎は東映側チーフプロデューサー作品
- がんばれ!!ロボコン(1975年-1977年)
- アクマイザー3(1975年-1976年)
- 超神ビビューン(1976年-1977年)
- ロボット110番(1977年)
- 冒険ファミリー ここは惑星0番地(1977年-1978年)
- 生徒諸君!(1980年-1981年)◎
- 太陽戦隊サンバルカン(1981年-1982年)
- 大戦隊ゴーグルファイブ(1982年-1983年)
- 科学戦隊ダイナマン(1983年-1984年)
- 超電子バイオマン(1984年-1985年)◎
- 電撃戦隊チェンジマン(1985年-1986年)◎
- 超新星フラッシュマン(1986年-1987年)◎
- 光戦隊マスクマン(1987年-1988年)◎
- 超獣戦隊ライブマン(1988年-1989年)◎
- 高速戦隊ターボレンジャー(1989年-1990年)◎
- 地球戦隊ファイブマン(1990年-1991年)◎
- 鳥人戦隊ジェットマン(1991年-1992年)◎
- 恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992-1993年)◎
- 五星戦隊ダイレンジャー(1993-1994年)◎
- 忍者戦隊カクレンジャー(1994-1995年)
- 超力戦隊オーレンジャー(1995-1996年)
- 仮面ライダークウガ(2000-2001年)◎ ※第13話より参加
- 特捜戦隊デカレンジャー(2004-2005年)※制作統括
- 魔法戦隊マジレンジャー(2005-2006年)※制作統括
[編集] アニメ作品
- 氷河戦士ガイスラッガー(1977年)◎
- 闘将ダイモス(1978年-1979年)◎
- 未来ロボダルタニアス(1979年-1980年)◎
- サイボーグ009(1979年-1980年)◎
- 闇の帝王 吸血鬼ドラキュラ(1980年-1981年)
[編集] オリジナルビデオ
- 前項に属する作品のビデオ化タイトルは除く。
[編集] 映画
- 前項に属する作品の映画化は除く。
- 仮面ライダー THE FIRST(2005年)※エグセブティブプロデューサー
- 仮面ライダー THE NEXT(2007年)※エグセブティブプロデューサー
[編集] その他
- パワーレンジャー(テレビ朝日放送版)(1995-1996年)※日本語版監修
- パワーレンジャー(スーパーチャンネル放送版)(1999年)※日本語版監修
- パワーレンジャー・ターボ(1999-2000年)※日本語版監修
- パワーレンジャー・イン・スペース(2000-2001年)※日本語版監修
- パワーレンジャー・ロスト・ギャラクシー(2001-2002年)※日本語版監修
- パワーレンジャー・ライトスピード・レスキュー(2003年)※日本語版監修
- ガンジス河でバタフライ(2007年)※「制作者」名義
[編集] 関連項目
東映
脚本家
監督