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この項目では西武・ヤクルトに所属した元プロ野球選手・鈴木健について記述しています。その他の鈴木健については
鈴木健をご覧ください。
鈴木 健(すずき けん、1970年1月13日 - )は、埼玉県越谷市出身の元プロ野球選手。引退時の背番号は9だった。
[編集] 人物
- 高校通算本塁打83本は当時の最多記録であった。当初は早大進学を示唆していたために他球団は逸材ながらもノーマークであったが、地元埼玉県出身の超大物強打者として、鳴り物入りで西武に入団した。大柄な体格から、一見長距離打者という印象を受けるが、シーズン最多本塁打は22本(1998年)であり、正確には中距離打者との評価が適切である。2003年には36二塁打を放ち、シーズン二塁打王となった。また、1991年には打率.401という驚異的な数字でイースタン・リーグ首位打者を獲得している。
- 打撃は好不調のムラが大きいのが玉に瑕だが、無駄の少ない打撃フォームと巧みなバットコントロールは非常に高いレベルにある。特に変化球打ちが非常に上手く、変化球主体のピッチングの組み立てが多いとされるセ・リーグ移籍1年目は、春先から夏場まで首位打者を独走した。だが、相対的に速球はやや苦手としており、それが成績低迷の原因でもあった。
- 高卒でのプロ入り直後から、既に打撃面では一軍のレギュラークラスの高い実力を持っていた。しかし、折しも80年代後半〜90年代前半は西武の黄金期であり、一塁には清原和博、三塁には石毛宏典、指名打者にもデストラーデら不動のレギュラーがおり、なかなか出場機会に恵まれなかった。お世辞にも上手いとは言えない守備が、大きく足を引っ張ることになってしまった。
- 清原ら、黄金期のレギュラーメンバーが次々にチームを去った後は、高木大成や松井稼頭央、大友進、小関竜也らと共に、東尾修監督率いる新生ライオンズの主力として活躍。1997年、1998年のパ・リーグ連覇に大きく貢献した。
- 人柄の良さには定評があり、チーム内でも「健さん」の愛称で若手選手らから慕われていた。対照的に、厳格な管理野球を重んじる伊原春樹監督に気に入られなかったせいもあるのか、監督が東尾から伊原に替わった2002年から出場機会が激減。西武から戦力外通告を受け、ヤクルトに移籍した。伊原とは根深い確執があるようで、ヤクルト一年目で大活躍してオールスターゲームに出場し、伊原のもとへ挨拶に訪れた際に、辛辣な言葉で罵声を浴びせられたという。
- 2002年対千葉ロッテマリーンズ・千葉マリンスタジアムの試合前のフリーバッティング中、8球連続でライトスタンドに打球を放ち、ロッテファンからスタンディングオベーションを受ける。それに対し、ヘルメットを脱ぎ、深々とライトスタンドに頭を下げた。この事からも人柄の良さが覗える。しかし、この日の試合に出場する事は無かった。
- 2007年シーズンを持って現役引退。持病の腰痛が悪化し、歩くことすら辛い状態であった。現役最後の打席は同年10月4日神宮球場での21回戦8回裏1アウトから宮本慎也に代わる代打出場。横山道哉からファウルで粘りながらも15球目をセンター前にヒットを放つという、最後まで鈴木らしい打席であった。なおこの打席では横浜の三塁手村田修一が明らかに捕球できる邪飛(13球目)を見送っている。
[編集] 来歴
[編集] タイトル・表彰
- 最高出塁率 1回(1997年)
- ベストナイン(三塁手部門) 2回(1997年、2003年)
- カムバック賞 (2003年)
[編集] 年度別打撃成績
年度 |
チーム |
背番号 |
試合 |
打席 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
打率 |
1988年 |
西武 |
8 |
1軍出場なし |
1989年 |
8 |
8 |
8 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
.125 |
1990年 |
11 |
28 |
27 |
2 |
7 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
7 |
.259 |
1991年 |
39 |
68 |
63 |
5 |
18 |
7 |
0 |
1 |
10 |
1 |
0 |
0 |
5 |
0 |
15 |
.286 |
1992年 |
69 |
104 |
92 |
10 |
24 |
3 |
1 |
5 |
19 |
0 |
0 |
2 |
9 |
1 |
24 |
.261 |
1993年 |
119 |
400 |
352 |
35 |
95 |
12 |
1 |
13 |
51 |
0 |
0 |
4 |
42 |
2 |
62 |
.270 |
1994年 |
102 |
306 |
266 |
41 |
93 |
21 |
1 |
12 |
49 |
3 |
0 |
2 |
36 |
2 |
44 |
.350 |
1995年 |
124 |
467 |
416 |
39 |
105 |
10 |
0 |
12 |
42 |
0 |
1 |
2 |
45 |
3 |
63 |
.252 |
1996年 |
109 |
407 |
354 |
47 |
107 |
17 |
1 |
21 |
60 |
1 |
0 |
4 |
47 |
2 |
48 |
.302 |
1997年 |
133 |
576 |
471 |
72 |
147 |
34 |
3 |
19 |
94 |
2 |
0 |
4 |
90 |
11 |
76 |
.312 |
1998年 |
135 |
580 |
488 |
65 |
134 |
23 |
1 |
22 |
65 |
1 |
0 |
8 |
80 |
4 |
58 |
.275 |
1999年 |
133 |
555 |
468 |
48 |
122 |
30 |
2 |
13 |
81 |
3 |
0 |
7 |
77 |
2 |
50 |
.261 |
2000年 |
119 |
443 |
386 |
36 |
96 |
17 |
0 |
6 |
52 |
0 |
1 |
5 |
47 |
4 |
40 |
.249 |
2001年 |
115 |
405 |
361 |
47 |
91 |
29 |
0 |
18 |
51 |
1 |
0 |
1 |
42 |
1 |
49 |
.252 |
2002年 |
65 |
190 |
172 |
21 |
41 |
9 |
1 |
5 |
27 |
0 |
0 |
3 |
14 |
1 |
31 |
.238 |
2003年 |
ヤクルト |
9 |
135 |
549 |
482 |
67 |
153 |
36 |
0 |
20 |
95 |
2 |
1 |
4 |
56 |
6 |
84 |
.317 |
2004年 |
129 |
517 |
470 |
41 |
136 |
21 |
0 |
15 |
65 |
1 |
0 |
2 |
40 |
5 |
100 |
.289 |
2005年 |
81 |
305 |
274 |
25 |
69 |
12 |
0 |
6 |
32 |
0 |
0 |
3 |
25 |
3 |
42 |
.252 |
2006年 |
34 |
27 |
24 |
1 |
4 |
1 |
0 |
1 |
2 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
6 |
.167 |
通算成績 |
1660 |
5935 |
5174 |
602 |
1443 |
283 |
11 |
189 |
795 |
15 |
3 |
51 |
659 |
47 |
803 |
.279 |
[編集] 関連項目