鄭夢準
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鄭夢準 | |
---|---|
{{{picture-type}}} | |
{{{caption}}} | |
各種表記 | |
ハングル: | 정몽준 |
漢字: | 鄭夢準 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
{{{hiragana}}} |
片仮名: (現地語読み仮名) |
チョン・モンジュン |
ラテン文字転写: | Jeong Mongjun |
{{{alphabet-type}}}: | {{{alphabet}}} |
鄭夢準(チョン・モンジュン、1951年10月17日 - )は韓国現代財閥を築いた鄭周永の六男。ハンナラ党国会議員。実業家としても造船を主とする現代重工業(株)を仕切る。また、ドクターとしての一面も有す。
大韓サッカー協会会長(現任)、2002 FIFAワールドカップ組織委員会委員長として日韓ワールドカップを主催。豊富な資金力、政治力および、FIFA副会長という地位を最大限に駆使し、韓国代表のベスト4獲得に貢献した。その貢献度は3位決定戦でフース・ヒディンク監督よりも先に選手から胴上げを受けていることからも明らかである。
目次 |
[編集] 略歴
- 1951年 釜山生まれ
- 1970年 中央高等学校卒業
- 1975年 国立ソウル大学校商科大学経済学科卒業
- 1977年 陸軍中尉満期除隊(ROTC)
- 1980年 アメリカのMIT経営大学院(The Sloan School of Management)卒業
- 1982年 現代重工業社長
- 1983年 蔚山大学校理事長(現) 大韓洋弓協会会長/世界洋弓協会運営委員
- 1984年 実業テニス連盟会長
- 1987年 現代重工業会長
- 1987年 東京大学交換教授
- 1988年 第13代国会議員当選(無所属、蔚山東区)。国会国防委員会委員, 経済科学委員会委員
- 1990年 学校法人現代学校理事長(現)
- 1991年 現代重工業顧問
- 1992年 第14代国会議員当選(統一国民党、蔚山東区)。国会国防委員会,文化体育公報委員会,統一外交通商委員会委員
- 1993年 大韓サッカー協会会長(現)
- 1993年 アメリカのジョンズ・ホプキンス大学国際関係大学院(The School of Advanced International Studies, SAIS)国際政治学博士の学位取得
- 1994年 国際サッカー連盟副会長(現)
- 1995年 ジョンズ・ホプキンス大学大学財団理事
- 1996年 第15代国会議員当選(無所属,蔚山東区)、国会統一外交通商委員会委員など。峨山財団理事就任
- 1997年 2002年ワールドカップ組織委員会副委員長
- 1997年 韓国外国語大学校国際地域大学院特別招聘教授
- 1999年 慶煕大学校体育科学大学院ビジティング・プロフェッサー 高麗大学校経営学部教授・学校法人高麗中央学校財団理事(現)
- 2000年 21世紀平和財団理事(現)。第16代国会議員(現),国会統一外交通商委員会委員, 国会女性特別委員会委員
- 2000年 2002年ワールドカップ組織委員会委員長
- 2001年 峨山財団理事長(現) ASIA SOCIETY財団理事(現)
- 2002年 日韓共催ワールドカップ主催。国会教育委委員(現)
- 2002年 大統領選挙に出馬を表明したが盧武鉉との候補者一本化に応じ、取りやめ
- 2004年 第17代国会議員当選(国民統合21、蔚山東区)
- 2007年 12月3日、李明博支持を表明。ハンナラ党入党[1]
- 2008年 4月に行なわれる第18代国会議員選挙にソウル特別市銅雀区乙選挙区から出馬することを宣言、統合民主党の鄭東泳との一騎打ちになる見通し[2]。また、7月に行なわれるハンナラ党代表選挙に出馬する意向も示している[3]。
- 2008年 4月9日に行なわれた総選挙で、統合民主党の鄭東泳候補を破って当選を果たす[4]。
[編集] 著書
- 『日本人に伝えたい!―KOREA/JAPAN2002』(日経BP社、ISBN 482224220X、2001年10月1日発行)
[編集] 脚注
- ^ 鄭夢準議員、ハンナラ党合流と李明博候補支持を宣言 聯合ニュース 2007年12月3日
- ^ 鄭夢準氏が銅雀乙から出馬、鄭東泳氏と一騎打ちへ 聯合ニュース 2008年3月16日
- ^ 鄭夢準議員、ハンナラ党代表選挙出馬の意向示唆 聯合ニュース 3月18日
- ^ 番狂わせの総選挙、実力派議員の明暗分かれる.聯合ニュース 2008年4月10日付