第3次伊藤内閣
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第3次伊藤内閣(だい3じいとうないかく)は、1898年(明治31年)1月12日に成立した内閣である。首班は第7代内閣総理大臣・伊藤博文。
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[編集] 概要
地租増徴を目指して衆議院を解散したものの、政局運営に自信を失った前総理松方正義に代わって伊藤が組閣した。だが地租増徴に反対する進歩党と自由党からの協力は得られなかったために、文部・農商務・逓信を自派(「伊藤系官僚」)が、内務・司法・陸軍を山縣有朋系が占める超然内閣を作らざるを得なかった。
第5回衆議院議員総選挙では自由・進歩両党が圧勝、これに対して伊藤は選挙から僅か3ヶ月で再度衆議院を解散した。だが、これに対して進歩党と自由党が合同して憲政党を結成、貴族院も政権に非協力な態度を取った為に、伊藤は自らの政局運営の甘さの自覚と新党結成の決意を固めて、山県有朋らの反対を押し切って憲政会の大隈重信・板垣退助のいずれかを後継にするように上奏して内閣を総辞職した。
[編集] 在任期間
[編集] 国務大臣
第3次伊藤内閣 | 明治31年 1月12日 |
明治31年 4月26日 |
明治31年 4月30日 |
内閣総理大臣 | 伊藤博文 | 伊藤博文 | 伊藤博文 |
外務大臣 | 西徳二郎 | 西徳二郎 | 西徳二郎 |
内務大臣 | 芳川顯正 | 芳川顯正 | 芳川顯正 |
大蔵大臣 | 井上馨 | 井上馨 | 井上馨 |
陸軍大臣 | 桂太郎 | 桂太郎 | 桂太郎 |
海軍大臣 | 西郷從道 | 西郷從道 | 西郷從道 |
司法大臣 | 曾禰荒助 | 曾禰荒助 | 曾禰荒助 |
文部大臣 | 西園寺公望 | 西園寺公望 | 外山正一 |
農商務大臣 | 伊東巳代治 | 金子堅太郎 | 金子堅太郎 |
逓信大臣 | 末松謙澄 | 末松謙澄 | 末松謙澄 |
班列 | 黒田清隆 | 黒田清隆 | 黒田清隆 明治31年6月27日まで |
内閣書記官長 | 鮫島武之助 | 鮫島武之助 | 鮫島武之助 |
法制局長官 | 梅謙次郎(兼務) | 梅謙次郎(兼務) | 梅謙次郎(兼務) |
[編集] 外部リンク
第2次松方内閣 | 第3次伊藤内閣 1898年1月12日 - 1898年6月30日 |
第1次大隈内閣 | |||||||||||||
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※ 名前は内閣総理大臣、名前の後の数字は任命回数(組閣次数)、「改」は改造内閣、「改」の後の数字は改造回数(改造次数)をそれぞれ示す。 |