稲垣平太郎
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稲垣 平太郎(いながき へいたろう、男性、1888年7月4日 – 1976年4月23日)は、昭和期の実業家・政治家。元通商産業大臣。
[編集] 来歴・人物
岡山県岡山市生まれ。岡山中学、京華中学、第一高等学校 (旧制)中退を経て、1913年慶應義塾大学理財科を卒業。三井物産に内定していたが、古河財閥当主・古河虎之助から直接入社依頼の電話があり、古河合名に入社する。第一次世界大戦後ドイツに派遣され、ジーメンス社との折衝の上、1923年日独合弁の富士電機が設立され、専務に就任した。以後時事新報常務(1932年)、横浜ゴム専務(1942年)を経て、1945年横浜ゴム社長に就任する(1947年より会長)。
1947年、第1回参議院議員通常選挙に民主党公認で全国区から立候補し当選。党政務調査会長、幹事長、総務会長を歴任する。1949年、民主自由党からの連立政権の呼びかけについて党内が分裂すると、稲垣は犬養健・保利茂・小坂善太郎らとともに「連立派」を形成し、同年第3次吉田内閣において商工大臣(間もなく通商産業大臣と改称)として入閣する。1953年参院選落選後は財界活動に専念し、日本貿易会会長、ニッポン放送会長、日本ゼオン会長、中央政策研究所理事長などを務めた。1971年勲一等瑞宝章受章。
横浜ゴム会長時代は政治資金を工面するため、コントロールの効く母校慶應義塾大学出身者を偏重して社内を暗くし、後発のブリヂストンに引き離される要因となったといわれている。
[編集] 関連項目
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通商産業大臣 |
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