福井県立若狭高等学校
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福井県立若狭高等学校(ふくいけんりつ わかさこうとうがっこう)は、福井県小浜市にある県立の高等学校。
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[編集] 概要
小浜藩校「順造館」を前身に、若狭地方で中学教育が始められたことをルーツとしている、通称は「若高(じゃっこう)」。
他の県立高等学校と異なり、一時廃止され、福井中学の分校を経て、1897年(明治30年)に小浜尋常中学となった。1905年(明治38年)には私立稚桜女学校が設立され、これが福井県立小浜高等女学校に発展した。
1948年(昭和23年)の学制改革により、小浜中学、小浜高女、小浜水産を合併し、福井県立小浜高等学校が設立された。翌年、遠敷高等学校を合併し、福井県立若狭高等学校となった。
設立当初は、普通科、商業科、家庭科、農業科、水産科および定時制からなった。のち、農業科は若狭農林高等学校(現、若狭東高等学校)、水産科は小浜水産高等学校に分割し、今日に至っている。
校是は「異質なものに対する理解と寛容」。
[編集] 教育課程
[編集] 主な部活動
[編集] ラグビー部
1969年創部。
県内では、若狭東高校が長年高校ラグビーを引っ張ってきた。しかし、1993年に全国高校ラグビーに若狭高校が初出場を果たす。その後は全国大会から遠ざかるが、2000年に再出場すると以降、2002年まで3年連続出場する。2002年の第82回大会一回戦で、富山工業高校を31-26で破り、全国大会初勝利をあげる。しかし、同大会二回戦の大阪工大高戦で、7-116と大会史上、第3位の大量失点で敗れる。その後、84、85回大会に連続出場を果たす。県内では近年、「ラグビーは若狭高校」という認識が高まっており、若狭の一強時代が続いている。
全国大会には計6回出場。 現在の監督は、元日本代表CTBで前トヨタ自動車ラグビー部監督・朽木英次の実弟、朽木雅文(若狭東OB)。
[編集] 野球部
同校は若狭地方随一の伝統校で、野球部が春3回、夏7回甲子園に出場し、プロ野球に在籍した選手も多数いた。中でも、川藤幸三(元阪神)がOBとして著名である。1968年(昭和43年)に乗替寿好投手(元西鉄-広島)を擁し福井国体優勝、1973年(昭和48年)には内藤投手を擁し明治神宮大会優勝と2回の全国制覇を果たしている。ちなみに春の選抜は1974年(昭和49年)、選手権大会は1969年(昭和44年)に甲子園でベスト4に入って以来、同大会への出場を果たしていない。
福井商業を常にライバル視しているが、ここ数年は尽く敗戦している。しかし、福井商業にとって若狭高校は1997年(平成9年)の秋の県大会で1985年(昭和60年)以来の2回戦敗退を喫したことや2004年(平成16年)には夏県大会21年連続決勝戦進出という前人未到の記録を阻まれるなど、ポイントとなるゲームには若狭高校が絡んでいることが多い。
[編集] 陸上競技部
福井県嶺南地方は人口15万人に過ぎないが、本校および美方高校は陸上競技(特に中長距離)が伝統的に福井県のトップ校である。 これは、小浜市が合併設立した際、敦賀市長が祝いの書簡を送ったことを契機に、嶺南駅伝が開催され、マラソン競技が大変盛んな土地柄であることが背景である。2004年の国体で、本校の松本啓典が800mで全国制覇を果たしている。
[編集] 主な卒業生
- 川藤幸三 (元プロ野球選手・阪神タイガース)
- 川藤龍之輔 (川藤幸三の実兄で元プロ野球投手。現福井ミリオンドリームズ監督)
- 浜中祥和 (元プロ野球選手)
- 高井(秋元)麻巳子 (元おニャン子クラブ。秋元康夫人)
- 小林栄三 (伊藤忠商事社長)
- きむ(詩人、写真家)
[編集] 縦割りホームルーム制
1949年から1994年3月まで縦割りホームルーム制を行っていた。
[編集] 関連書籍
- 『「縦割りホームルーム制」の実践 : 異質のものに対する理解と寛容 : 昭和24年-平成6年』ホーム制資料集編纂委員会編 1997年10月 福井県立若狭高等学校 全国書誌番号 98016932
- 『教育理念と学校組織の社会学 : 異質なものへの理解と寛容 : 縦割りホームルーム制の実践』苅谷剛彦,酒井朗編著 1999年3月 学事出版 ISBN 978-4-7619-0602-3