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浜田幸一 - Wikipedia

浜田幸一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

浜田 幸一はまだ こういち1928年9月5日 - )は、日本政治家タレント、政治評論家。「悪党党」幹事長(ビートたけしのTVタックルを参照)。自民党では副幹事長や広報委員長などを務めた。現在は「政治活動家」と称している。ニックネームはハマコー。また、「国会の暴れん坊」「政界の暴れん坊」の異名をもつ。

千葉県富津市出身。旧制千葉県立木更津中学校(現:千葉県立木更津高等学校)卒業、日本大学農獣医学部(現:生物資源科学部)中退。実弟の浜田正雄は京葉銀行元頭取。

目次

[編集] 経歴

[編集] 少年期

1941年(昭和16年)に月謝免除の特待生として木更津中に入学。ちょうど太平洋戦争が勃発した時期であったことから、2年に上がった頃から学徒動員で板金工として木更津航空廠に奉職し、飛行機の翼を作るなどしていた。[1]

中学3年のときに茨城県土浦の海軍航空隊に赴き海軍予科練習生の試験を受けるも、年齢的にまだ早いとのことで不合格となった。このことについて、「もし合格していたら戦後まで生きてはいなかっただろう」と回想している。[2]

1945年(昭和20年)には朝鮮出身の同級生とともに学校推薦で南満州鉄道に入ることが決まったものの、出発直前に終戦となって立ち消え、動員先の木更津航空廠で玉音放送を聞くこととなった。ちょうどこの頃に兄が戦病死。[3]

それから日大農獣医学部拓植学科(現:国際地域開発学科)に入学したが、翌1946年(昭和21年)まで芸者遊びや喧嘩に明け暮れる日々を送った。[4]

[編集] 政治活動

富津町議会議員・千葉県議会議員を経て、2度目の挑戦となった1969年(昭和44年)の衆議院議員選挙で千葉3区より自由民主党から初当選し、川島派に加わった。以後、通算当選7回。

1973年には中川一郎渡辺美智雄石原慎太郎らと共に民族主義右派の青嵐会を結成、マスコミ対応の事務総長を務めた。この頃から武闘派議員としても有名になり、数々の逸話を残す。農林水産政務次官・防衛政務次官・衆議院建設委員長・予算委員長などを歴任したが、予算委員長は「宮本顕治人殺し」発言で辞任を余儀なくされた (後述)。

1993年7月に息子である浜田靖一に地盤を譲り政界を引退した。当選7回を数えたが、閣僚への就任は無かった。

[編集] 政界引退後

議員引退後はタレント活動を活発化させ、数多のバラエティ番組に出演するほか、連続ドラマ『お玉・幸造夫婦です』で、八千草薫と夫婦役を演じテレビドラマにも出演した。1993年12月に出版された著書『日本をダメにした九人の政治家』(講談社)は、発行部数168万部(1995年4月現在)のミリオンセラーとなった。現在は主に政治を話題としたバラエティ番組に出演し、歯に衣着せぬキャラクターには一定の人気がある。

[編集] 逸話

[編集] 元・ヤクザ

テレビ等のメディアでも千葉でヤクザをしていたと公表している(右翼団体大行社を抱える稲川会とつながりが有ったと指摘されている。後述)。自身の著書でも触れているが、戦後、法律の枠外に置かれた在日朝鮮韓国人の不良行為に対して我慢がならず、現場を見つけては暴れていたと自称している。この逸話と日本の戦争責任問題を同時に語るため、浜田の歴史認識はバランスが取れているといわれる。

傷害事件を起こすなどし、以後、さまざまな非行を重ねて「木更津のダニ」との悪名をとった(「町のダニ」とも)。この渾名は当時(1951年)の地元の新聞記事でも用いられている。24歳のころケンカに巻き込まれ、相手を刺してしまい、『日雇い人夫浜田幸一』との見出しで報じられた。この時、浜田の母が、木更津で一番有名な弁護士を用立て、息子を助けた。

自ら尊敬する人物と公言してはばからないのが熱海の暴力団稲川会初代会長・稲川聖城である。懲役1年の実刑判決を受け服役、出所してみると所属していたヤクザ組織は稲川組に吸収されていた。1950年代半ば、所属する組の親分が死んだため稲川に相談したところ、別の道を考えたほうがよいと言われ、政治に関心があると答えると、児玉誉士夫に紹介してくれた。後年『新潮45』の企画にてビートたけしと対談した稲川は、「あれでいいところもあるから監督(たけしのこと。芸人ビートたけしとしては五寸の挨拶は許されないため、映画監督として処遇)も面倒みてください」と浜田を気遣っていた。

児玉邸に2、3年住み込み下働きを務めた。児玉とかつて所属していた組に援助され、富津町議会議員・千葉県議会議員を経て、衆議院議員選挙に挑戦。国会議員になってからは児玉と小佐野賢治に加え笹川良一町井久之が後援者に加わり、依然としてかつて所属していた組の支援も受けていた。

元運転手にバーニングプロダクション社長の周防郁雄、元秘書にプロレスラーのユセフ・トルコがいた。トルコは稲川会2代目会長・石井進総会屋の勉強をさせる為に小川薫の下で勉強させていたが上手くないため、浜田が引き取ったとされる。

共産党の議員に「あいつはヤクザじゃないか」と罵られた時、「自分は確かに、かつて一時期そういう時代もあった。それを否定しない。その過去を責められたら素直に認める。しかし、それをもって私の存在自体を否定したり、また再びチャレンジ(=再チャレンジ)できないような社会をつくってはいけない」と述べている。

[編集] ハマコーの武功

1979年、自民党史上最大の危機と言われた四十日抗争で、党内の反主流派が築いたバリケードを強行突破。両院議員総会の開催を導いた。

バリケードを一人で破壊する姿はテレビでよく流される。この時に、「いいか、断っとくけどなー。かわいい子供達の時代のために自民党があるってことを忘れるな。お前らのために自民党あるんじゃないぞ」という名演説を張る。実際は、浜田がバリケードを突破するところではなく、主流派が部屋に乗り込んだ際に破られていたバリケードを片付けている最中の姿だった。

浜田は前日にテレビ各局に「明日、やるからな」と電話をかけた上でのことだったが、「NHKに出ると必ずこの時の映像が流れる」と本人も苦笑していた。

[編集] ラスベガス事件

1980年3月6日に発覚。ラスベガスカジノで4億6000万程度を一晩ですってしまったとされる事件。

当然そんな大金を浜田が用意できるわけはなく、当時浜田が不動産関係で世話になっていた小佐野賢治が代わりに用立てて支払った。ところが、その金が実はロッキードから小佐野に流れた金であるとの議会証言がアメリカで行われ、大騒ぎになった。浜田も言うとおり、ロッキード事件とは直接関係はなかった。しかし、この年に行われた総選挙へ自民党の公認が得られなかった。自ら出馬を見送り、収入の無くなった浜田は小佐野の不動産会社で真面目に働き、土地の売買等を通じて数年かけて借金を全額小佐野に返済したと語っている。

なぜ4億6000万という金額になったのか、一体何をしたのかを、テレビ番組で平沢勝栄に問われ、「一度失敗すると500万失くす」ゲームで損失が膨らんだと答えた。また、当時のことを振り返り、「ラスベガス大学に留学していた」と自嘲し、笑いをさそうことがある。

現地の日本向け旅行社ではガイドが浜田が大損をしたホテル(en:Sands Hotel)の前で「あれがかのハマコーさんが4億5000万円をすったホテルです」とアナウンスをしていた。本人もこのことをネタにしている。

[編集] 法相殴打事件

1984年9月19日、自由民主党本部が中核派に放火され炎上した(自由民主党本部放火襲撃事件)。浜田はいち早く駆けつけ消火にあたった。そこへ当時の法務大臣であった住栄作が酔っ払った状態で現れ、「マッチポンプな真似しやがって」と発言した。それに怒りを感じた浜田は、住を殴りつけてしまった。後に住は発言が不適当だったことを認め、浜田に謝罪した。

1984年9月20日、日本テレビ「ワイドショー」において、浜田は「(自民党本部放火事件の)責任はだれにあるというかというと、泳がしていた我々にあると思いますよ。『中核派』を泳がしていた。やっぱり法律違反で破壊するものを泳がした。そういう一つの政策の誤りがあるんじゃないですか」と「過激派の泳がせ政策」を認めている。

1984年11月27日には、中核派によって木更津市の事務所に時限爆弾を仕掛けられるなど、激しい攻撃も受けた。

[編集] 「宮本顕治人殺し」発言

1988年2月6日、衆院予算委員会で質疑に立った日本共産党正森成二議員が、「過激派への政府の対応は、泳がせ政策ではないか。」との趣旨の発言をし、竹下登首相が「泳がせ政策などをとったことはない」と答弁したことに対し、正森が「浜田委員長も過去、ワイドショーで共産党と同じ意見を述べていた」と発言した(参照:#法相殴打事件)。当時の衆院予算委員長だった浜田は、共産党と自分の意見の違いを見せようと思い咄嗟に「我が党は旧来より、終戦直後より、殺人者である宮本顕治君を国政の中に参加せしめるような状況をつくり出したときから、日本共産党に対しては最大の懸念を持ち、最大の闘争理念を持ってまいりました」と、過激派と宮本率いる共産党をあたかも同一視しようとしたため、正森は激昂したが、このとき浜田は正森の言う「泳がせ政策」発言を肯定したため、正森は対決を避け、他の質問に移った。

その後終了間際、正森が円ドル為替問題の質疑中であったが、唐突に浜田が

「昭和八年十二月二十四日、宮本顕治ほか数名により、当時の財政部長小畑達夫を股間に……針金で絞め、リンチで殺した。このことだけは的確に申し上げておきますからね」
「私が言っているのは、ミヤザワケンジ君(宮本顕治の誤り)が人を殺したと言っただけじゃないですか。」

と発言。正森が発言の撤回を求めて抗議し、委員会室は一時騒然となった。

NHKでこの審議の模様が生中継されており、自分の意見と共産党の意見は違うと印象づけるための、中継放送の終了時間を逆算した確信的発言であると浜田本人は述べている。

この時、浜田を予算委員長に推薦した金丸夫人は「バカ!あんたなんか死んじゃえばいいんだ」と号泣した。浜田は、自分の首と議事録削除阻止を狙っていたが、結局委員長を辞任した。NHKはこの模様を時間の関係上途中で打ち切って「大草原の小さな家」を再放送したことに対し、同局には苦情の電話が殺到した。

後に、正森議員と国会の廊下ですれ違った際に「俺の首を獲りやがって」と発言したが目は笑っていたという。

第112回国会 予算委員会 第7号(63. 2. 6)議事録

[編集] 選挙活動

自身が長く政治家を続けられた理由のひとつとして、その選挙戦の戦い方がある。わざわざ白いスーツを着て田んぼで畑仕事をしている有権者に握手を求めたり(当然スーツは泥で汚れてしまうが、それが狙い)、「お母さんの歌」を大声で泣きながら熱唱するのが常であった。同僚議員の応援に行くと、必ずといっていいほど「お母さんの歌」を歌い、自民党の幹部をこき下ろし(野党に対してはその倍は酷評している)、最後に壇上から「よろしくお願いします」と土下座するのも見慣れた風景であった。

出身地であり選挙区の一つである富津市の市長だった白井氏は、ハマコー嫌いでつとに知られ、この「お山の大将」同士を比べた場合は柄の悪さでいい勝負と評された。辣腕の持ち主だがワイシャツにラーメンの汁がついていても頓着しないこの名物市長は、講談社の月刊誌「現代」で「浜田さんは何で選挙に強いんですか」と聞かれた際に、「コレに決まってんだろ」と親指と人差し指で輪を作ってみせた。記事は(議員も議員なら、市長も市長だ)とまとめている。

あまりに忙しく、選挙時に浜田の唾を手で受け止める係の女性スタッフが存在した。本人は選挙時にはほとんど睡眠しない事を公言しており、そこまで集中して、かつ周りがフォローしていた逸話として知られている。

[編集] メディア出演

議員引退後はタレント活動を活発化させ、数多のバラエティ番組に出演。連続ドラマ『お玉・幸造夫婦です』では、その素人演技と内容の突飛さ(元相撲取りという設定)が失笑を買い、今もスカイパーフェクTV!で再放送されるほどのカルト的な人気作品となった。この頃には「かわいい」として女子高生からの人気をも集めた[5]

現在もマルチに活躍中。だが、発言など粗暴なのは相変わらずであり、番組収録中に激昂して途中退席することもしばしばある。

  • 郵政民営化法案の採決を棄権した参議院議員大仁田厚が、出演した『ワイドスクランブル』にて「僕らは小泉さんの子供です。親を裏切れなかったんですよ」と大声を発したため、浜田が「お前、何俺にどなってんだよ」と大仁田を一喝。大仁田は先程のテンションから一転「すいません」と謝った。

[編集] その他の逸話

  • 県議会議員時代に小佐野賢治と出会い、以後は不動産取引で大もうけした。昭和44年の衆議院議員選挙で初当選した時、出馬当初はほとんど泡沫候補扱いされていたが、大規模災害時に、大雨などにも関わらず浜田一人で各家庭にローソクを配るなど、日頃の行動が実を結んだ当選であると自称している。
  • 当時角栄が属していた佐藤栄作佐藤派入りを希望するも、同期当選の佐藤派議員数名(梶山静六小沢一郎ら)から「ヤクザのハマコーが佐藤派に入るのなら、派閥から出て行く」という声が上がり、断念。角栄の命を受けて、川島正次郎の許に身を寄せる。川島と角栄の他、中川一郎金丸信に師事した。
  • 元々青嵐会田中角栄内閣の日中国交正常化に伴う台湾切捨てに反発した若手議員による政策集団という色彩が濃厚であったが、浜田はその中でも特に強硬な反中、親台派議員であった。後の福田赳夫内閣における日中平和友好条約承認審議を巡って、青嵐会の取った抵抗は単に本会議の欠席という中途半端なものであった。しかし浜田と中山正暉だけはあえて出席し、堂々と反対票を投じている。この時浜田は「青嵐会が中華民国(台湾)に対して、信義を重んじる世界の人々に対して、公約を実行できなかったことを顔向けできないことだと思っている」と語った。
  • さらに青嵐会は田中に対する反発から昭和49年の参議院議員選挙において、既に自民現職が2人もいる北海道選挙区(定数4)に「青嵐会公認」と称し無所属の高橋辰夫を立てる。この時浜田も堂々と高橋の応援に駆けつけている。高橋は落選したものの意外に票を取り、結果現職2人も共倒れとなった。非公認候補の擁立、応援はれっきとした党規違反であり、ましてや北海道の全議席を失なった責任は重大であった。しかしなぜか浜田含む青嵐会への処分は不問とされた。
  • 自著『弾丸なき抗争』で、「田中角栄、三木武夫、福田赳夫の3人の権力亡者は今すぐ死ね」と言い切っている。しかしさすがに田中は度量が広く、その出版記念パーティーで「浜田君に死んじゃえと言われた田中角栄です」と挨拶して会場の大爆笑を誘った。
  • 竹下登が予算委員会で英語を引用して答弁したところ、予算委員長の浜田は「総理、ここは日本の国会ですから日本語で答弁してください」と注意した。
  • 国会内で英字新聞を読んでいた人物に対し、「日本の国会議員なら日本語の新聞を読みなさい」と言ったところ、その人物が宮沢喜一だった。ちなみに宮沢は「国会議員だったら英字新聞を読みなさい」と返した。また、三木武夫に向かって「話し方やら性格やら、私は三木さん、あなたが大嫌いだ」と言ったという話も残っている。
  • 自民党の幹事長会に出た内閣総理大臣森喜朗に「森てめぇこのやろうぶっ飛ばすぞ」と言い、それを止めに入った幹事長古賀誠に「調子にのってんじゃねえぞ」と言った。森は苦笑いをしていた。
  • 東京湾アクアライン建設の立役者。神奈川県川崎市千葉県木更津市をつなぐ高速道路の建設を推進した。建設費は1kmあたり1000億円で、1兆5000億円かかったという(15km)。川崎市から海ほたるまでは海中道路で、海ほたるから木更津市は海上道路となる。通行料が高いことや、通行する自動車数が予測よりも少なく、赤字となっており、国会などでも問題となった。この点を指摘されると「私の責任です」と言い、続けて「あと100年後したら、必ずこの事業の意義が分かる時がくる」と述べた。
  • 自らの過去の行動を顧みて、息子だけは立派に育てて社会に恩返しをするとの信念から、息子・浜田靖一を幼少の頃から渡辺美智雄の家に預ける。1993年7月、靖一に地盤を譲り政界引退。羽田孜から新党への誘いを受けていたが、これを固辞。本人は後年インタビューで「二世議員なんてもってのほかだと思っていたから、息子が政治家を目指すにしても地盤を継がせる気はなかった。でも自分の意に添わない後継者が選ばれるのは嫌でしょうと説得された」と語っている。
  • 社会党議員に対し「黙れ!強姦野郎!」「強姦をやるのとはわけが違うんだぞ!」と野次を飛ばし問題化した事がある。しかし結果的に浜田自身は何の処分も受けず、逆にその社会党議員(安宅常彦)の方が次期総選挙で党公認を貰えず引退に追い込まれている。
  • 1989年の社会党のマドンナブーム直後に「社会党は北朝鮮から金を貰っている。」と発言し社会党と北朝鮮との関係をいち早く追及した。
  • 1993年の政治改革関連法案の是非を決める総務会ピケを張り開会を妨害しようとする若手議員に対しわざと躓き「人殺しが。」と絶叫するシーンは今でもテレビ番組でよく放映されている。

[編集] 最近の言動

  • 自由民主党国会対策委員会委員から要請され、師である中川一郎の長男中川昭一(当時経済産業大臣)に対し、酒癖の悪さを厳しく叱咤した。(前述『弾丸なき抗争』によると中川一郎も前後不覚になるまで酔い潰れるのが常であり、浜田はそれを「政治家として敵に弱みを見せる失態」と批判している。昭一に父と同じ轍を踏んで欲しくないからこそ、あえて浜田は苦言を呈したのである。)
  • 靖国神社問題に絡む富田メモの報道は、天皇制を廃止して大統領制成立を目指す勢力の陰謀であると、『ビートたけしのTVタックル』において真顔で主張。
  • 『TVタックル』の番組中、「22年間議員をやって、天皇陛下から勲章を貰っていないのは自分だけ。それは自分の言う事が常に本当のことしか言わないから」と発言している。
  • 同番組でいじめ自殺問題が取り沙汰された際は、日教組及び日教組からの支持を得ていた旧日本社会党の、教育界における影響力の弊害を指摘する。いじめ自殺多発の原因は国内の革新勢力にありと発言。
  • 2003年の党役員人事で、自民党幹事長に安倍晋三が抜擢されたが、これを事前に同番組内で予想して見せていた。当時は多くの識者や政治家が山崎拓幹事長の留任を有力視していた。
  • 2005年郵政民営化騒動の際にも登場し、「自由民主党総裁が、日本の総理大臣が、やろうとすることに反対するなら自民党から出て行け」と反対派議員を叱責した(この辺、上記青嵐会時代の一連の行動とは逆のスタンスを取っている)。小泉首相が衆議院解散を示唆し始めたころ、民営化反対の自民党議員たちに対し、「(衆議院の)解散もいやだ、自民党にも残りたい、では筋が通らない」と述べていた。
  • 2008年には同年6月8日投開票の沖縄県県議会選挙に合わた自由民主党のテレビコマーシャルに出演、自らも対象(79歳)となっている後期高齢者医療制度についてアピールした。

[編集] 語録

  • 「自民党の終わりは日本の終わり」
  • 「日米安保なくして日本の繁栄はない」
  • 「これから大増税時代が来る」 
  • 「自民党は可愛い子供たちの時代のためにあるんだ」
  • 「平和は願っているだけではやってこない」

[編集] 著書

  • 弾丸なき抗争―権謀術数に生きる男の戦い(1983年1月)  ISBN 4584005028
  • 不肖ハマコーがゆく―一所懸命に闘い、一所懸命に死ぬ(1989年7月) ISBN 4890367691
  • 実力者に問う!!―これからの日本をどうする(1990年11月) ISBN 4062051877
  • 日本をダメにした九人の政治家(1993年12月) ISBN 406206779X
  • 永田町、あのときの話―ハマコーの直情と涙の政界史(1994年2月) ISBN 406256033X
  • ハマコーの世の中間違っとる(1994年4月) ISBN 4643940352
  • ハマコーの証人諫問―国民のために代表質問いたします(1994年7月) ISBN 4334970907
  • ハマコーの何度言ったらわかるんだ!(1995年5月) ISBN 4643950382
  • たまには誉めてやる これからの18人―ハマコーの政治家“私”観(1995年6月) ISBN 4331504921
  • ハマコーの非常事態宣言(1995年7月) ISBN 4391117622
  • 新版 日本をダメにした九人の政治家(1995年10月) ISBN 4062561190
  • みっともない「生き方」はするな!―ハマコー、この“破天荒人生”に知恵あり(1996年3月) ISBN 4837916317
  • 予言集(1996年6月) ISBN 4643960590
  • 石原慎太郎くんへキミは「NO」と言えない(1999年6月) ISBN 482110671X
  • 日本を救う9人の政治家とバカ1人(2001年7月) ISBN 4575292524
  • お願いだから、わかって下さい。国会というところ…(2002年4月) ISBN 4591072118

[編集] 出演番組

[編集] 脚注

  1. ^ 『永田町、あのときの話―ハマコーの直情と涙の政界史』 P.86-87 〔ISBN 406256033x
  2. ^ 『永田町、あのときの話―ハマコーの直情と涙の政界史』 P.88-89 〔ISBN 406256033x
  3. ^ 『永田町、あのときの話―ハマコーの直情と涙の政界史』 P.90,92 〔ISBN 406256033x
  4. ^ 『永田町、あのときの話―ハマコーの直情と涙の政界史』 P.95 〔ISBN 406256033x
  5. ^ 『何の因果で』 P.19 - ナンシー関 [ISBN 4041986052]

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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